第1章 奪われた少女


「あけろッ!あけないとブチぬくぞッ!」
  扉越しに男達の鋭い蛮声が飛び、扉を蹴り上げる音が薄暗い部屋中に響き渡る。
  まだ10歳くらいのほんの小さな赤毛の少女は、母親のスカートをぎゅっと握り、がたがたと体を震わせていた。
「お母ちゃん、怖いよ……」
  そんなヴァハを、母親は優しく抱き、教え諭すような口調で言った。
「大丈夫よ、ヴァハ。あなたはわたしの命に代えても守ってあげる。わたしの宝を奴らに絶対に渡したりするものですか。だから安心して。ね、ヴァハ」
  そう言って母親はにっこり微笑んだが、やはり母親も怖いのだろう。その声音は恐怖でかすれて震えていた。
  その時、バアンという弾けるような音が扉の方から響いた。相手は、頑強な木製の扉に対して斧をもって打ち破ろうとしていた。もはや扉が破られるのも時間の問題だった。
「お前、ヴァハを連れて裏口から早くお逃げ!お前達だけでも助かるんだ!」
  いつもは優しいけれど気弱な父親が、決意を固めた必死の形相で母親にむかって叫ぶ。こんな顔をした父親をヴァハは今まで見たことがなかった。
「でも、あなたは……」
  母親がそこまで言いかけた時、ついに扉が蹴破られた。
  次の瞬間、板金鎧に身を包んだ5、6人の男たちがあっという間に部屋に乱入してきて、鈍い光を放つ剣をつきつけられた。武器も持たない無力な親子3人は、すっかり取り囲まれてしまった。
「ベストン様!酒場の中には3人の家族しかいませんっ!」
  兵士の一人が玄関の方に向かって叫んだ。
「まったく、バリア人めらが……手間をかけさせおって」
  玄関から、銀色の鎧の上から純白のマントに身を包んだ、指揮官らしき男が姿を現した。
  痩せぎすで、背が高いが、それでいて筋骨のたくましさを感じさせる若い銀髪の青年だった。しかし、目が細くつり上がっており、唇は薄く、まるで蛇のような男だと幼いヴァハの目には映った。
  ベストンと呼ばれた若い指揮官は、父親のほうにつかつかと歩み寄ると、いかにも尊大そのものといった口調で問うた。
「奴らを出せ」
「奴ら、と申しますと?」
「とぼけるなッ!」
  ベストンは目の下を一瞬ピグッと痙攣させたかと思うと、強烈な平手打ちを父親の横っ面に叩き込んだ。そして、力任せに胸ぐらを掴み上げる。
「村の中はくまなく探したが、お前らバリア人どもの姿がほとんど見当たらん。ここは酒場だ。床下の貯蔵庫にバリア人どもをかくまっているな?貯蔵庫の鍵を渡してもらおうか」
「わ、私は何も知りません!ここにいるのは家内と娘だけです!」
  父親は悲鳴に近いような声をあげる。
「フン……鍵を渡さないなら、いの一番に貴様を斬り捨ててやってもいいんだぞ?」
「………」
  ベストンは、恐ろしくドスのきいた声で父親を脅したが、それでも父親は黙りこくったままだ。
「だんまりか……フフ、面白い。――おい!家中に油を撒け!バリア人どもをいぶり出すんだ!」
「ハッ!了解しました!」
  ベストンの命令に、兵士達は実直に応え、その準備にとりかかろうとする。
  父親の表情は、みるみる青ざめていった。
「ま、待ってくださいッ!家族が……」
「このまま家族ごと焼かれるのと、バリア人どもを引き渡すのと、どっちを選ぶんだ?ええ?」
  若い指揮官はねっとりとした口調で問いただした。もはや父親には選択の余地はなかった。
「わ、わかりました……これが貯蔵庫の鍵です」
  父親は、震える手で懐から古びた鍵を取りだし、ベストンに手渡した。
  ベストンは鍵を受け取ってニヤリと笑みを浮かべたかと思うと、次の瞬間、父親の顔面にバキッっという鈍い音とともに真正面からベストンの鋭い正拳突きがまともに入った。
「ぐはっ!」
  真正面からベストンの鉄拳制裁をくらった父親は、吹っ飛び鼻血を垂らしながら、四つんばいになる。
「あなたっ!」
「父ちゃんっ!父ちゃん、大丈夫!?」
  あわてて駆け寄るヴァハと母親。
「だ、大丈夫だ。それよりすまない……」
  母親に抱きかかえられながら、父親は心底悔しそうな声を絞り出した。
  そんな光景を尻目にベストンは、
「最初からさっさと渡してりゃあいいんだ。お前ら下等人種ごときの頭で、私たちの目を欺けるとでも思っていたのか?バカめが」
  クックックと勝ち誇ったような笑い声を響かせながら、ベストンは鍵を部下に手渡し、床下の貯蔵庫を開けさせた。
  床下の貯蔵庫を開けると、そこには男、女、子供、老人問わず、20人近い人々が貯蔵庫いっぱいに隠れ潜んでいた。そして、そのほとんど誰もが赤毛か紫色の髪、青色の髪の人さえいた。瞳の色も、人によって全く違っていた。
  彼らこそ、ベストンをはじめとした兵士達がやっきになって探していたバリア人と呼ばれる人種だった。髪の色から瞳の色、肌の色まで全く統一性がないのがバリア人の特徴だった。ただし、バリア人を他の人種とはっきり見分ける方法はいくつかあった。まず、バリア人には金髪、あるいは銀髪の人間は存在しない。また、青い瞳を持たないのもバリア人の特徴だった。
  バリア人狩りを生業としているベストンは、一瞥しただけで貯蔵庫に隠れていた人々が全員まぎれもないバリア人であることを瞬時に見抜いた。
「バリア人ども、ジタバタしてもお終いだ!出ろ!」

 ヴァハ達家族一行は、貯蔵庫に隠れていたバリア人とともに村の広場に集められた。広場には他の場所に隠れていた村人達もすでに十数人も集められていた。
  50人ほどの村人達をぐるりと囲むように、屈強な兵士達が槍を構えており、場はなんともいえない緊張感が支配していた。
「お母ちゃん、あたしたちどうなっちゃうの?みんなあいつらに殺されちゃうんじゃないの?ねえ?」
  ヴァハは母親のエプロンをぐいぐいと引っ張りながら、これから自分がどうなってしまうのかという恐怖で、ほとんど涙声に変わっていた。
  母親は、膝を折って、ヴァハと同じ目線まで落とし、両肩を抱くようにして手をおいた。
「バカなことを言うんじゃないよ。そんなことあるわけないじゃない。ごうして何も悪いことをしてない私たちが殺されなきゃならないの?みんなも、お父ちゃんも、お母ちゃんも、ヴァハも、殺されるような悪いことをした?」 
  ヴァハはふるふると首を横に振った。
「でしょ?大丈夫……大丈夫よ。私たちの国は戦争に負けてしまったけれども、騎士でもない、私たち普通の人たちは、大事に扱わなくてはならないことになってるの。それが、戦争というものなのよ」
「ほんとうなの?」
「ええ、本当よ。だから安心して。ヴァハ。大丈夫、大丈夫だから……」
  母親は何度も『大丈夫』という言葉を使う。ヴァハだってもう10歳だ。母親が無理をして、娘のヴァハを安心させようとしている事ぐらいはわかっていた。だが、母親は戦争に負けた自分たち民間人にはそこまで酷いことをしないという。それも一理あるなと思い、ここは大人しく母親の言うことを聞いておくことにした。
「そうだよね。あたしたち、何も悪いことしてないものね。ザッハークの神様にだって、毎日お祈りを捧げてたんだから、そんなに酷いことがあるはずないよね?母ちゃん、父ちゃん」
「そうだな。ヴァハはいい子にしてたから、きっと神様も見てくれているよ。悪いことなんか起こるはずないさ」
  父親はうんうんと頷いて、ヴァハの言うことを優しく汲み取ってくれる。
「そうよ、ヴァハ。ザッハークの神様を信じましょう」
  そう言って、母親はヴァハの赤毛の頭をぐりぐりと撫でながらにっこりと微笑んだ。

※※※※※※※※※※

 一方、指揮官であるベストンは村の捕虜たちから離れた場所で、まだあどけなさの残る若い騎士の報告を受けていた。
「生き残った村人はあれで全員か?」
  ベストンは両手を腰にあて、村人達の方を向きながら目を細めた。
「はい、村の若い男達は義勇兵として我らと戦い、全員戦死したようです」
「ふむ、では残った村人達は収容所に連行しろ。奴隷に使う。それから村人の中からバリア人のみを小屋に押し込んで、油をまいて火をつけろ」
「……は?」
  若い騎士は、ベストンが口にした言葉が一瞬理解できず、思わず聞き返した。
「聞こえなかったのか?バリア人は残らず焼き殺せ、と言ったのだ。もっとも、子供は殺すなよ。それが今回の任務における上からの命令だ」
「し、しかし、生きながら焼き殺すのでありますか?いくらなんでもそれは……せめて他の方法で殺してから焼くというわけにはまいりませんか?」
  人を生きながら焼き殺す……まだバリア人狩りの任務について間もない若い騎士は、身の毛もよだつような処刑法をいとも簡単そうに言うベストンに対して抗弁の言葉を口にした。だが、悪いことに、その意見はベストンの神経を逆撫でしてしまったようだ。ベストンはキッと若い騎士を睨み付け、凄まじい形相で詰め寄る。
「貴様……自分が何を言ってるのかわかっているのか?それでもシーガイア王朝の騎士か?」
「そ、それは……」
  若い騎士は思わず目を伏せた。額にジットリと脂汗が吹き出るのが分かる。この目の前にいるベストンという騎士も、指揮官ではあるがまだ20歳前だという。自分と歳は大して変わらないはずなのに、この威圧感は一体なんなのだろうと思う。
  それは、周りにいた他の若い騎士達も同様であった。他の騎士達は、2人のやりとりを固唾を飲んで見守っていた。
「貴様は我らが信じるザフネス教の教義を忘れたのか?あいつらバリア人は害虫以下の存在だ。狡猾で抜け目なく、野放しにしておけば世の中を堕落させ、腐敗させる、人間として最下等の人種だ。生かしておくこと、そのものが罪なのだ。いくら騎士になって日が浅いといっても、貴様の言動は、シーガイア王朝の騎士、いや、それ以前にザフネス教教徒としての資格を疑うぞ?」
「……は」
  顎を少し上げ、見下すように詰め寄ってくるベストンを前に、若い騎士は消え入るような返事しかできない。
「我らはバリア人狩りの部隊として、これからも多くの村々を回らねばならん。そのためには効率のいい処刑方法を選ぶ必要があるのだ。刃物を使って処刑すれば血で切れ味が鈍る。矢を使ったとしても、使う矢の本数はバカにならん。一気に焼き殺すのが最も効率のいいやり方なのだ。しょせん、相手は虫ケラだ。なにをためらうことがある?」
「はい……」
「貴様らは教典の上でしかバリア人の低劣さを知らないから、そうやって迷いが出る。今回の任務は貴様らヒヨッコの教育も兼ねているんだ。いいか、これだけは頭に叩き込んでおけ。奴らを人間と思うな。害虫だと思え。やるのだ!やらねば貴様を査問会にかけ、騎士の称号を剥奪するぞ!」
「!査問会へ……?!」
  ベストンの最後の一言が決め手になった。シーガイア王朝本国に戻り、バリア人に情けをかけたということで査問会にかけられたりしたら、騎士の称号どころか命すら危ない。
  次に若い騎士から発せられた言葉は次のようなものだった。
「わかりました、己に課せられた任務を精一杯遂行いたします。騎士ベストン・クリューガー殿!」
  若い騎士はかかとを鳴らし、最敬礼をした。
「わかればいい」
  ベストンはフッと薄い笑みを浮かべた。

※※※※※※※※※※

 村人達が兵士に取り囲まれ、恐怖に震えていると、ベストンをはじめとした騎士達が近付いてきた。そして、若い騎士の一人が大声で叫ぶ。
「いいか、貴様らはこれから護送用の馬車に乗ってダンツヒ収容所に送られる。お前ら異教徒にはそこで強制労働に従事してもらうぞ!収容所での労働は過酷だ。衰弱しきって命を落とすことなど日常茶飯事だ。そこで貴様らにチャンスをやろう!貴様らの崇める神を捨て、我らシーガイア王朝の国教であるザフネス教に改宗するのであれば収容所行きは見逃し、シーガイア王朝の四等市民としての待遇を約束しよう!どうだ?これは破格の待遇だぞ!?」
  村人達は一瞬シンと静まりかえった。もちろん誰一人として改宗を名乗り出る者などいなかった。
「誰がザフネス教などに改宗するか!」
  村人の一人が叫んだ。その野次が他の者にも伝播し、他の者も次々に口を開く。
「改宗だなんてとんでもない!」
「私たちは生まれてからずっと私たちの神様に守られてきた!」
「我々をこんな目にあわせておいて、なにが四等市民だ!奴隷と一緒じゃないのか!?」
「いくら我々の国がシーガイア王朝との戦争に負けたからといって、宗教まで押しつける権利はないはずだ!」
  村人達は口々に自分たちの生活を踏みにじったシーガイア王朝への怒りを若い騎士にぶつける。
  若い騎士が狼狽し、村人達の扱いを持て余していると、
「やかましいッ!」
  指揮官ベストンの鋭い怒声が広場にこだました。村人達は、ベストンのあまりに凄みのある恫喝に、またシンと静まりかえった。
「貴様ら……まだ自分たちの置かれている立場がまだよくわかってないようだな。貴様らに何かを言える権利などこれっぽっちもないんだよ。ザフネス教に改宗するか、しないかだ。……フン、それも収容所に放り込まれれば少しは考えも変わっているだろうよ。――おい!村人達を護送用馬車に積み込ませろ!」
「ハッ」
  ベストンが部下に指示をとばすと、しばらくして大型の馬車が広場に何台も到着した。どの馬車にも荷台には頑強そうな鉄格子がはまっている。
「早く乗れ!ノロノロしていると、その場で斬り殺すぞ!」
  兵士達は、まず銀髪や金髪、または青の瞳をした村人達を優先的に選び出し、剣や槍でせっついて馬車の荷台に乗せた。無力な村人達は、みな屈辱に顔を歪めながら馬車の荷台に乗り込んでいく。
  バリア人を除いた村人達が全て馬車に乗り込むと、兵士の一人がベストンのもとまで報告に来た。
「準備完了しました!」
「よし、馬車を出せ」
  ベストンの声を合図に、荷台の鉄格子には鍵がかけられ護送用の馬車は動き出した。鉄格子から覗く村人達の顔は恐怖で引きつりながらも、残ったバリア人達の方をじっと見つめていた。

 護送用の馬車が見えなくなってから、ベストンは改めて残った村人達の方に向き直った。
「見ての通りだ。護送用の馬車の台数には限りがある。残った貴様らバリア人には、ひとまとめになってもらい、次の護送用馬車が来るまで小屋に監禁させてもらうぞ。……そうそう、念のためだ。貴様らの子供は人質として我らが預かる。我らの目を盗み、逃げださんようにな」
  残ったバリア人達は、子供を入れても20人余り。みな、ベストンの言葉に顔を青ざめさせ、どよめいたが、先程のように野次を飛ばすようなことはしない。抵抗しても、無駄だということを知っているからだ。
  ヴァハは、ベストンの言葉を聞いて母親にだだをこねた。
「母ちゃん、あいつ、あんな事言ってるよ?あたし、嫌だ!母ちゃんや父ちゃんと離れたくないよ!」
「ヴァハ、静かにしなさい!」
  父親が押し殺すような声でヴァハをたしなめる。
  母親は目をすっと細めて、静かに言った
「いいこと、ヴァハ。お母ちゃんやお父ちゃんと別れるのは、つらいことだけれど、ほんのちょっとの間だけよ。すぐに次の馬車が来て、3人とも一緒になれるわ。あの人達を怒らせたら怖いのはヴァハも知ってるでしょう?だから、ヴァハは一人になっても絶対に泣いたり、わめいたりしないこと。いいわね?」
「でも……でもっ!」
  ヴァハは喉に何かかたまりのようなものが詰まっていてうまく喋ることができなかった。そうしているうちに涙が止まらなくなった。極度の緊張や恐怖のせいで、ぽろぽろと涙をこぼしていた。
  見かねた母親は、そっと両手をヴァハの背中に回すと、軽く胸に抱いた。
「ヴァハ、頼むから言うことを聞いてちょうだい。お前はいざとなったら強い子でしょう?大丈夫だから。すぐに家族3人で会えるから。ね?」
「……ぜったい?絶対だよ?!」
  しゃっくりを押さえながら、ヴァハは聞き返した。
「ええ、絶対よ。約束する。母ちゃんと父ちゃんが、がんばって絶対にヴァハを迎えに行くから……だから泣いちゃだめよ?」
「……うん」
  ヴァハはのろのろと手を上げ、濡れた顔をごしごしと拭いた。
「いい子ね。ヴァハが母ちゃんの言うとおり、うんといい子にしてたら、またこの村に戻って、ヴァハにはちょっと早いけど、ヴァハが前から欲しがっていた母ちゃんの金の首飾りをあげるからね。ご褒美よ」
「ほんとう?!」
  母親は優しくうなずいた。
「ええ、本当よ」
  その時、背後から屈強そうな兵士の怒声が響き、親子のささやかな別れのひとときを引き裂いた。
「なにをグダグダ喋っているっ!女っ!さっさと小屋へ入らんかっ!」
「は、はい、今すぐに……」
  母親はすくっと立ち上がると、ヴァハの小さな手をぎゅっと握り、手を離した。そうして、兵に急かされるままに小屋の方へと向かっていった。だが、その視線は、いつまでもヴァハの方を向いていた。
「じゃあヴァハ、ちょっとの間、お別れだ。父ちゃん、絶対に迎えに行くからな。元気でいるんだぞ」
  そう言って、父親はヴァハを力強く抱きしめた。普段は感情をほとんど表に出すことのない父親に、ここまで強く抱擁されたのは、ヴァハにとって初めての経験であった。
「うん、父ちゃん。あたし、待ってるから……」
「小屋に入れと言うのが聞こえなかったのかっ!斬り殺されたいのかっ!」
  再び兵士の怒声が響き、背後から剣を突きつけられた。
「は、はい!わかりました」
  父親は心底名残惜しそうにヴァハの身体から身を離し、兵士に剣を突きつけられたまま小屋の中へと入れられた。
  全ての大人のバリア人が小屋に押し込められたのを確認すると、ベストンは兵士達に指示を下した。
「よし、窓と扉に板を打ち込め。途中で暴れだして出てこられてはかなわんからな。釘は念入りに打ちつけておけよ!」
  兵士達はどこに隠し持っていたのか、大量の板や木材を運び込み、窓や扉を板で何重にもがっちりと塞いで、その上から金槌で釘を刺した。
  ヴァハの他にも、家族から引き離された同じ年頃の子供達がさかんに泣き続けていたが、ヴァハはぐっとこらえていた。
“母ちゃんと約束したんだ。絶対泣かないって。そしたら、すぐまた会えるって……”
「ベストン様、準備完了しました」
「よし、油をそそげ」
  ベストンからは距離があったが、ヴァハは『油』という言葉を聞き逃さなかった。その瞬間、全身が凍り付くような思いだった。
“油?……油って、まさか……。そんなことあるはずない。閉じこめるだけだって……”
  だが、火のついた松明を手にした兵士を目にした時、ヴァハの疑念は確信に変わった。
「よーし、もう充分だ。点火しろ」
「ハッ」
  松明の火を吸い込み、一瞬にして小屋は紅蓮の炎に包まれ、凄まじい火柱があがった。
「うあああぁぁぁぁっ!」
  ヴァハは胸が張り裂けんばかりに絶叫した。想像を絶するものを見た時、理性は吹き飛び錯乱する。だが、あの中には母ちゃんと父ちゃんがいるという理性だけは残っていた。気が付いた時、ヴァハは小屋に向かって風の如く疾走していた。
「父ちゃんッ!母ちゃんッ!」
  刹那、凄まじい力で後ろから兵士に羽交い締めにされた。
「おっと、小娘、どこへ行く気だ?火の中へ飛び込むなんざ、危ないぜぇ」
  兵士の臭い吐息がヴァハの顔にかかる。
「だましたなッ!はなせッ!父ちゃんと母ちゃんがッ!」
  ヴァハは全身をジタバタさせ、兵士に蹴りを入れるが、屈強な大人の兵士にはビクともしない。
「はなせ!はなせ!はなせぇーッ!」
「ぎゃあっ!」
  次の瞬間、兵士は悲鳴をあげ右手をおさえつけながら地面をのたうち回った。
「どうした!?」
  ヴァハを羽交い締めにしていた兵士の悲鳴に、他の兵士達が駆けつける。
  彼の指からは白い骨がはみ出し、鮮血が吹き上がっている。
「指が……俺の指が……あのガキ、俺の指をっ!」
  駆けつけた兵士達はヴァハの方を見る。
  ヴァハは、噛みちぎった兵士の指をペッと吐き出すと、また小屋の方に向かって走り出し、絶叫した。
「父ちゃんッ!母ちゃんッ!」
「このクソガキッ!甘やかしていれば、つけあがりやがって!」
  兵士達が一斉にヴァハに飛びかかった。兵士達はまるでおしくらまんじゅうをするように鉄板入りの革靴で幼いヴァハを蹴りまくり、護身用の棍棒で殴打する。ヴァハの皮膚から感覚が消えていく。
「おい、もうやめておけ。殺してしまっては元も子もない」
  誰かが制止する。指揮官ベストン・クリューガーである。
「ハッ、ベストン様」
  ベストンの言葉に、兵士達はすぐに動作を止め、さっと直立不動の姿勢をとる。
  ベストンは、うつ伏せになり息も絶え絶えなヴァハの目の前まで来ると、甲冑に包まれた足でヴァハの小さな頭をぐりぐりと踏みつけた。
「運がよかったなぁ、バリア人のガキ。上からの命令がなければ、貴様も今頃、生きながら焼き殺されていたとこなんだぞ?それだけでも儲けものだと思うんだな。ええ?」
「う……うう……」
  もはやヴァハは動こうにも、全身を襲う激痛によって、まともに声すら出せない有様であった。
「フン、意識を失ったか」
  ベストンは、まるで遊び飽きた玩具を捨てるような子供の目つきで、ヴァハの脇腹をゴツと軽く蹴った。
  他の子供達も、中にはヴァハと同じようなリンチを受けた者もいたので、それ以後、子供達は飛び出すこともなく、身を寄せ合って震えることしかできなかった。
「すぐに村の外に待機させてある護送用馬車を呼べ!ガキ共をぶちこむんだ!」
「ハッ」
  遠くから声がする。一体、あたしたちはどこへ連れて行かれるのだろう?いや、そんなことはどうでもいい。ヴァハの意識はただひとつの事だけに集中していた。
「……父ちゃん……母ちゃん……」
  小屋から響く断末魔の悲鳴。紅く燃える火柱。肉の焦げる臭い……。
  ヴァハは、炎に包まれる小屋の火を、瞳から溢れる涙に映しながら、呆然と見つめていた。
  そして、それを最後に、ヴァハの意識は深い闇の底へ落ちていった……。





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