第3章 亡国の王子

 そして、それから7年の歳月が流れた――

 ファルコン半島は未だシーガイア王朝の支配下にあり、人々は地獄のような日々を強いられていた。
  すでにシーガイア王朝の圧政は7年間にもわたっており、民衆の我慢と苦しみも限界に達しようとしていた。
  だが、人々は黙って手をこまねいているわけではなかった。ファルコン半島各地で組織された無数の抵抗軍は日増しにその勢力を拡大しつつあったし、戦術や装備も数年前と比べるとずっとましなものになっていた。また、人々はもはや封建制度にこだわっている場合ではないと悟り、身分を問わず貴族と平民、農民が一体となって結託し、各地の酒場や広場、会議場などで演説や会談が積極的かつ極秘裏に行われるようになり、抵抗軍は虎視眈々と反撃の機会をうかがっていたのである……。

※※※※※※※※※※※※※※※※※

 ウォルス歴1638年、早春。
  春の始まりを予感させる季節ではあるが、まだまだ寒さは厳しく、雪が降る日も珍しくはなかった。
  ファルコン半島内陸部を中心とした抵抗勢力の秘密会合所は、今は廃墟と化したセレネの街外れにあった。
  右に左に入り組んだ狭い路地を進むと、一軒の酒場がある。しかし、その外見は民家ぐらいの大きさしかなく、大人が10人も入れば窮屈なことは一目で分かるほどであった。それに、漆喰を塗った外壁は、黒緑色の苔がむし、まるで廃屋のような雰囲気だった。
  が、これこそシーガイア王朝の目を欺くための仮の姿なのである。
  酒場の床下には、巧妙に隠された地下に通じる階段が造られている。地階はまるで地下道のような廊下が縦横に走っており、地上の酒場の敷地とは比べようもないぐらい大きいものだった。
  そして、その中でもひときわ大きな部屋が、抵抗勢力の秘密の会議場として使われていたのだった。

 石造りの会議室はかなり広く、天井からは天然ガスを利用した照明灯が吊され、会議室全体を煌々と照らしていた。
  調度品といえば、十人掛けの机が置かれただけの簡素な部屋だ。そこに、何十人もの人々が所狭しと人々が詰めかけており、一人の女性の発言を耳を澄まして聞き入っていた。 
「ヴァハ、イリース・イザーンが率いるディマンドラ抵抗軍との会談はどうでした?」
  レティシアは、穏やかな口調で横の席に座っているヴァハに聞いた。
「ええ、順調です。先方の話によると、我らの抵抗軍と合流し、協力しあおうというということに話がおちつきました」
  ヴァハ・フレイムはレティシアに拾われ、ディアナ抵抗軍に身を寄せてから7年が経ち、既に17歳になろうとしていた。
  炎のような赤い髪に、同じく赤い瞳。一見細い体をしているが、よく見るとそれは無駄な肉がついてない非常に鍛錬されたものだと気付く。体にぴったりとあった皮鎧が、彼女の体の輪郭をよりはっきりと浮き上がらせていた。今や彼女は抵抗軍随一の剣の使い手として、またレティシアの片腕として、レティシアのみならず皆からも絶大な信頼をおかれる程にまで成長していたのである。
「そうですか。ご苦労でしたね、ヴァハ。さて――」
  レティシアはそこで一旦言葉をきると、ゆっくりと肘掛け椅子から立ち上がり、会議室に集まっている一同をぐるりと見回した。
「私たちはこうやって日増しに力をつけていますが、問題は他にも各地にちらばっている抵抗軍の勢力がひとまとめになっていない、ということに尽きます」
  レティシアは凛とした表情で、現在、自分たちが置かれている状況を簡潔に切り出した。
  シーガイア王朝に討ち滅ぼされたディアナ王国の元王女、レティシア・ビュネーンは今年で18歳になる。
  豊かで艶やかなプラチナブロンドの巻き毛、白磁のような滑らかな肌、紺碧の両眼、形のよい唇――なにひとつとっても魅入られるような美しさだ。質素な黒のローブにマントを羽織っているだけだが、その姿は、気品に満ち溢れていた。
  しかし、皆が真に注目しているのは、彼女の実務能力にあった。頭が切れ、この7年間で多大な戦果もあげているレティシアは、今や抵抗軍の中では最重要人物の一人として大いに認められていたのである。
「この7年間で、ファルコン半島各地に潜伏している抵抗軍はかなりの数にのぼると推測されます。それらをすべて団結させれば、おそらくシーガイア軍の全兵力にも匹敵するでしょう。ですが、未だに多くの抵抗軍は連携が薄く、それぞれが独自の行動をとるだけで、ひとまとめになっていない。この問題を解決しないことには、いつまでも我々はシーガイア王朝に拮抗する力を手に入れることができず、これからもずっと敵の影におびえていなければなりません」
  レティシアはあくまで冷静に、そして明瞭に軍事的な観点から現在の抵抗軍がおかれている状況を説明する。
「もっと各地に広い情報網を張り巡らせ、他に潜伏している抵抗軍と連携することに重点をおくということですか?」
  ミロトー抵抗軍のリーダー、リリッツ・グメイアが尋ねる。
「それもありますが……私が構想しているのは、各地に潜伏している抵抗軍の全勢力を集め、固い同盟を結び、ひとつの巨大な『軍』をつくる、という事です。今の各抵抗軍は横のつながりだけで、縦のつながりを持っていない。指揮系統が完全でないのです」
  その場が、しんとなった。
  それは、誰もが心の片隅で思っていたことだったからだ。ここまで多くの抵抗軍が連携し、組織自体が大きくなると、いずれは全軍を統率する総指揮官の存在は必須なのだ。
「しかし、そんな巨大な軍を結成したとして、誰が総指揮をとるのです?レティシア様ですか?」
  リリッツは、期待にふくらんだ瞳で問うた。その口調からは、レティシアを指揮官として充分認めていることがわかる。
「私はレティシア様なら何の異存もありません」
「私もです。レティシア様の聡明さと知勇は誰もが認めるところです」
「それに深い慈悲深さも持っていらっしゃる。レティシア様に救われた孤児や身よりのない者は大勢います。誰もがレティシア様を総指揮官に推薦するでしょう」
  リリッツに続いて、他の抵抗軍のリーダー達の口からも次々にレティシアを総指揮官として認める声があがる。
  息のあった各抵抗軍のリーダー達の様子を見て、レティシアはかすかに口元をほころばせると、
「みなさん、ありがとうございます。ですが、裏を返せば問題はそこにあるのです。私にさせてもらえるものなら、やってもみせましょう。けれど、果たして我々以外の抵抗軍の人々がそれで納得するかどうか……」
「………」
  レティシアのもっともな意見に、一同のあいだに重苦しい沈黙が流れる。
  一番の問題はそこなのだ。
  ほかの地方の抵抗勢力にも、人望を一身に集めているカリスマ的人物は存在するかもしれない。レティシアをよく知らない人々に、『我々の傘下に入れ』と説得するのは容易なことではない。よしんば説得できたとしても、その結束力はたかが知れているだろう。下手をすると、分裂を引き起こし派閥争いにもなりかねない。
「……とにかく、我々がシーガイア王朝に対抗するには、各地に潜伏している抵抗軍と団結し、巨大な組織を作ることが事が最優先課題です。今のように分散した戦力では、とてもシーガイア軍にはかなわないでしょう」
  しばらくたってから、ようやくレティシアが声を出した。その声が、うめくような感じであったのは、仕方のないことだろう。
「レティシア様の言われることはもっともだ、これからは各自、連絡を取り合いながら、少しでも他の抵抗軍と人脈のある者は我らの提案を受け入れてもらうよう、説得に当たってほしい」
  そうしめくくったのは、フォルカス抵抗軍のリーダー、レイドリック・マクシミリアン卿であった。かなりの高齢であるが、判断力と決断力に秀で、レティシアの次に人望を集めている俊英である。
  マクシミリアンの言葉に、一同は大きく頷く。
「では、これにて解散する。――それから、ここのところ、特にシーガイア軍の監視が厳しくなっている。各自、自分たちのアジトへの帰り道には充分注意するように!」
  それが合図になり、今日の会合は解散することとなった。
「では、私たちもディアナ抵抗軍のアジトに帰りましょう。みんなが待ってるわ」
  レティシアは机の上の書類を整理しながら、ヴァハに話しかけた。
「はい!では、私は先に出て、隠れさせてある馬車を呼んで参ります!」
  ヴァハは元気よく返事をすると、急ぎ足で会議室をあとにした。


  レティシアが酒場から出ると、簡素な1頭立ての軽装馬車が用意されており、ヴァハがドアを開けて待っていていくれた。
  このタイプの馬車は狭くて窮屈なうえに、乗り心地も悪いのだが、レティシア率いるディアナ抵抗軍のアジトまでは、かなりの距離があり、おまけに深い森を抜けなければならない。シーガイア軍の監視網を抜けるには、これで我慢するしかないのだ。
  2人が乗り込むと、御者はさっそく鞭をふるい、馬車を静かに走らせ始めた。
「今日もお疲れ様でした。レティシア様」
  狭い馬車の中ではあまり大きな動きはできないが、ヴァハはうやうやしく頭を下げた。
「いいえ、私たちがやっていることはあくまで机上の空論に過ぎません。それより、よくシーガイア軍の目を欺きながら、遠く離れたイリース殿が率いるディマンドラ抵抗軍との接触を成功させてくれましたね。改めて礼をいいますよ、ヴァハ」
  レティシアは優しい口調で、にっこりと笑みを向けた。
「いえ、そんな……」
「マクシミリアン卿の言うとおり、ここのところ特にシーガイア軍の監視が厳しくなっているのです。それを険しい道のりを兵を率いてあえて行軍し、一人の犠牲も出さなかったというのは、あなたには剣士としてだけではなく、作戦指揮官としての素養もあるということです。――やはり、あの時の私の目に狂いはなかったようですね」
  そう言ってレティシアは昔を懐かしむように微笑した。
「レティシア様とエクス様には、いくら感謝してもし足りません。私が剣を使えるようになったのも、私がこうしていられるのも、全てレティシア様とエクス様のおかげです」
  これは、いつもヴァハが思っていると同時に、口に出している事である。7年前、絶望に身を委ねて自殺しようとした自分をレティシアが引き止めてくれなかったら、本当に今の自分はないと常に実感するのだ。それに、レティシアは自分を快くディアナ抵抗軍に迎え入れてくれ、レティシアの妹であるエクスをはじめ、抵抗軍の人々にも世話になった。
  ヴァハにとっては、本当に感謝してもしきれないのである。
  だからヴァハは、自分を救ってくれたレティシアとエクスには、剣士として、一人の人間として、死ぬまで忠誠を誓おうと決意しているのである。
「いいえ、私たちはただのきっかけを与えたにしか過ぎませんよ。全てはあなた自身の心の強さが、今のあなたを作ったのです。この7年間、よくもまあ、あれだけ激しい剣の修行に耐えられたものです。しかも、あなたは全く弱音を吐かなかった」
  確かに、レティシアの目から見ても、ヴァハの剣術にかける情熱と気合いは半端なものではなかった。毎日、レティシアが与えた剣術指南役の師匠に全身全霊をかけて挑み、傷だらけになって訓練中に気絶することもしょっちゅうだった。しかし、その代わり、剣術の方はメキメキと腕を上げ、17歳になった今では師匠どころか、ファルコン半島内陸部の抵抗勢力の中で誰もヴァハにかなわないほどにまで上達していたのだ。
「ええ……みんなとの……約束でしたから……」
  ヴァハはレティシアの言葉を受けて、独り言のように呟いた。
  レティシアは、ヴァハの壮絶な過去は聞き及んでいた。焼き殺された両親、命を捨ててまでかばってくれた友の存在……。だが、それらは全て話に聞いたことにすぎない。余人が深く立ち入れることではないのだ。
  だから、レティシアはあえて多くを語らず、ヴァハの肩にゆっくりと手を添えて一言だけ声をかけるだけにとどめた。
「その、あなたのお友達も、ご両親も、今のあなたを見たらきっと喜んでくれているはずですよ」
「そうでしょうか?」
「そうですよ」
「……ありがとうございます、レティシア様」
  ヴァハは感極まったのか、少し震えた声でお礼の言葉を口にした。その様子を見て、レティシアは優しい微笑みを絶やすことなく、繊細な女剣士を見守っていた。
  その時、急に馬車がガクンと激しく前後左右に揺れた。
  明らかに、普通の揺れ方ではない。
「!?……なに?」
  ただならぬ気配に、2人は一瞬互いの顔を見合わせた。
「御者っ!どうしたっ!?」
  ヴァハが素早く正面にある鉄製の小窓を開いて外を覗くと、そこには信じられないものがあった。
  馬を操っていた御者は、全身に矢を受け、体中から赤黒い血を流しながら座ったまま絶命していたのである。
「なっ!?」
「ヴァハ、まさか……」
  レティシアが全てを言い終わるまでもなく、ヴァハは次の行動に移っていた。幾多の死線をかいくぐってきた戦士としての判断力が、すぐにヴァハを突き動かしていたのである。
「レティシア様!シーガイア軍の奇襲です!私がすぐに馬車を操りますから、レティシア様は身を低くしていてください!」
  一刻も早くこの場から逃げなければならない――そう思いながらヴァハは素早く馬車の扉を開けて外に出た。
  しかし、既に遅かった。
  馬車の周りには20人ほどの完全武装したシーガイア兵達が取り囲んでいたのである。
「ぐっ!いつの間に!?」
「抵抗軍の者だな。馬車は完全に包囲した。大人しく投降してもらおうか」
  隊長格らしき中年の男が前に出て凄んでみせる。背丈はヴァハと同じくらいだったが、戦場で鍛え上げられたと思われる無骨さと顔の大きな傷跡が、その存在感を浮き出たせていた。なかなか高位の騎士なのだろう、他の兵士達の白で統一された鎧よりも輝きを増した白銀の鎧で身を固めている。
  外の様子を察したレティシアは、両手を挙げてすごすごと馬車から降りてくる。そのレティシアの容貌を一目見て、隊長は目を見開いた。
「ほう!見たところウォルス人のようだな。嘆かわしいことだ。神の子たるウォルス人と、害虫にも等しいバリア人が同じ馬車に乗るなどとな。この世の理(ことわり)を知らんとみえる。お前には、特別な教育が必要そうだな?ええ?」
  そう言って、隊長は手でレティシアの顎をぐいっと引き上げ、ねっとりと顔を近づける。
  見事な金髪に青の瞳。レティシアは、ザフネス教の中でも一流人種であり『神の子』とされているウォルス人の特徴を全て完璧に備えていた。
「貴様ッ!レティシア様に触れるなッ!それ以上レティシア様に何かしてみろッ!貴様を斬り殺してやるッ!」
  ヴァハが激昂して剣の鞘に手をかけようとすると、一斉に兵士達が駆けつけてきて羽交い締めにされてしまった。
  そのヴァハの様子を見て、隊長はまるで興味がなさそうな眼差しを送り、側にいる兵士を呼びつけた。
「……うるさい小娘だ。おい、そいつを始末しろ。かまわん、どうせバリア人だ」
「ハッ」
  羽交い締めにされてるヴァハの目の前で、兵士が剣をスラリと引き抜く。その刃は月の光を反射して、妖しい光を放っていた。一方、ヴァハは羽交い締めにされたまま、他の兵士によってロープで手と足を固く縛られ、身体の自由を拘束されつつあった。
「ヴァハッ!」
  見かねたレティシアが悲鳴に近いような声で絶叫する。
「くっ!こんなところで……!」
  ここで自分を羽交い締めにしている腕を振りほどき、目の前の兵士を斬り捨てることは簡単だ。だが、それではレティシアの身が危なくなる。それだけはヴァハにとって絶対にあってはならないことだった。それに、さすがのヴァハも20人もの訓練された兵士を倒す自信はなかった。
  なにか手はないか……なにか……
  ヴァハが全身全霊をかけて解決策を考えている間に、処刑の準備は完了したようだった。
  手足をロープによって完全に拘束されたヴァハは、羽交い締めにされていた腕をほどかれた。目の前を見てみると、兵士が剣を上段に構えて不気味な笑みを浮かべている。
“ここまでか!レティシア様をお守りすることもできないで……!”
  ヴァハは心の中で絶叫し、思わず目を閉じた。兵士の構えからすると、自分は脳天から背中まで叩き斬られるはずだ。
  ………だが、いつまでたってもそのような衝撃は襲ってこない。
  それどころか「おおっ!」というシーガイア軍のものとおぼしきどよめきが聞こえ、何事かとヴァハは恐る恐る目を開いてみた。
  ヴァハは、目の前に信じられないものを見た。
  なんと、自分を処刑しようとしていた兵士の頭に、どこから飛んできたのか一本の矢が突き刺さっているのだ。兵士は白目をむき、その場にドウッと倒れ込んだ。
「そこまでだっ!」
  鋭く、甲高い声があたりに響き渡った。
  その声を合図に、森の茂みの中や木々の裏から多くの戦士が一斉に現れ、ボウガンを構えてこちらに狙いを定めている。
  この予想外の展開に、隊長は狼狽し2人に向かって怒鳴った。
「なに、抵抗軍だとッ!?貴様ら、囮だったのかッ!?」
「?!……」
  ヴァハもレティシアも、そんなものは用意してない。一体これはどういうことなのか、こっちが教えてほしいぐらいなのだ。
「貴公らは完全に包囲した!その婦人達を解放し、武器を捨てて投降しろ!大人しくすれば、無下には扱わない!」
  一人のリーダーらしき青年が、小高い崖の上から威嚇するように、シーガイア軍を見据えながら大声で怒鳴っている。青年の周りにも弓やボウガンで狙いを定めた戦士達が待機しており、もはやシーガイア軍に逃げ場はなかった。
  レティシアはその青年の正体を見定めようと目を凝らした。しかし、青年は月を背にしているため逆光でよく見えない。しかし、よく目を細めてみると、青年が腰に吊している豪奢な彫刻が施された長剣が目に入った。
“あの剣は……!”
  確かに見たことのある剣だった。そう、遠い昔に……。
「ぬかせ小僧!そんな事で我らシーガイアの勇士達がひるむと思うか!?それに、そんなところから我々をボウガンなどで狙い撃ちにしたら、この女2人もただでは済まんぞ?それでもいいのなら撃つがいい!」
  隊長は青年に負けじと怒鳴り返した。
「………」
  その言葉を受けて、青年は黙り、何か考え事をしているようだった。
「どうした!?飛び道具など使わず、直接剣を交えてみろ!私に勝ったら女どもは解放しようっ!それとも青二才っ!一騎討ちもできぬ腰抜けだというのではあるまいな!?」
  一見、隊長は威勢良く挑発しているように見えるが、実はこれは非常に危険な賭けだった。相手が騎士道精神に近い考えを持っていない限り、通用しない手なのだ。

 小高い崖の上では、参謀らしき男が青年に耳打ちしていた。
リューベン様、危険です。あの婦人達には気の毒ですが、ボウガンで一斉掃射いたしましょう。それが一番確実です」
  リューベンと呼ばれた青年は、その言葉を聞いてやれやれという風に嘆息した。
「……相変わらず容赦がないな、ミュッセ……。無関係な人々を巻き込むのは、絶対に必要な時以外は避けたいとあれほど言っただろう。それに……あの金髪の女性……確かにどこかで見たことがある。見殺しにはできない」
「あの、金髪の婦人が……ですか?」
  ミュッセと呼ばれた参謀は、レティシアの方を見て目を細めた。
「なにをグダグダ言っている!一騎討ちの申し出を受けるのか、受けないのか、どっちだ!?」
  崖下からは、相変わらず隊長ががなり立てている。
  リューベンは、キッと覚悟を決めたような表情をすると、大声で応えた。
「わかった!その申し出、受けよう!」
「リューベン様っ!」
  ミュッセが思わず声を大にして諫めようとする。
  『リューベン』……崖下にいたレティシアはその名前を聞き逃さず、それは確信へと変わった。
“やっぱり!あの青年は……!”
  そんなレティシアの思いなどつゆ知らず、リューベンは参謀のミュッセに対して説得にあたっていた。
「大丈夫だ。『一騎討ち』などを申し込むあたり、相手はシーガイア王朝でもかなり高位の騎士とみた。その性質を利用させてもらう。ミュッセもよく知っているだろう?」
「それはそうですが……」
  シーガイア王朝の騎士や兵士達は、ザフネス教や騎士道としての誇りを重んじるあまり、敵前逃亡の拒否、主に対する絶対的な服従、一騎討ちの精神などを至上のものとしている。高位の騎士であればあるほどその傾向は強く、一騎討ちを申し込んでおいて、いざ戦いが始まると部下全員で襲ってくることなど絶対にしない。
  これまで数多くのシーガイア軍と戦ってきて、リューベンとミュッセはそのことをよく熟知していた。
「少しは信用してくれ。私はお前から剣を習ったんだぞ?大丈夫だ、私は必ず勝つ!」
  リューベンはそう言って白い歯を覗かせると、颯爽と小高い崖の上から飛び降りた。

  青年が 崖から飛び降りてきてくれたおかげで、やっとレティシアは青年の外見をじっくり観察することができた。
  艶のある金髪を銀色のティアラで前髪を留め、まだあどけなさが残るものの王者の気品を兼ね備えた端正な顔立ちをしている。決して華美ではないが凝った造りの鎧を身にまとい、腰には見事な意匠が施された長剣を差していた。剣の柄はやや長めで、いざという時には両手でも扱えるように作られている。
“リューベン!やはりリューベン・スターロードだわ!”
  レティシアは心の中で歓喜の感情が湧き上がってくるのを感じ取っていた。
「!?……貴様もウォルス人か?……冥土の土産にわたしと剣を交えることができたことをザフネス神に感謝するのだな」
  隊長は手早く鞘から剣を抜くと、その鞘を後方へ投げ捨てる。
「冗談じゃない。貴公こそザッハークの神に祈ったらどうだ?」
  リューベンは少しも動じず、鞘から剣を抜き取り構えた。
「よかろう、ならば格の違いというものを見せてやろう」 
  一撃で終わりにしてやる……そう思いながら隊長は剣を振りかざしてリューベンに向けて駆け出す。
「行くぞッ!」
  腹の底から絞り出すような隊長の低い声が周囲で見守る者たちの耳へ飛び込んだかと思うと、ギィーンッという甲高い剣戟の音がすぐ後を追った。
「……チィッ!」
  一撃でカタをつけ、抵抗軍の士気を削ごうと思っていた隊長は舌打ちする。
  たしかに隙だらけに見えた。だからこそ、先に仕掛けたのだが……。思ったより素早いと言うことか。
「ならばっ!」
  すぐさま斬り返す隊長。その刃は同じように斬り返そうとしていたリューベンのそれとかち合う。再び烈しい剣戟の音がこだまする。
  次にリューベンは先手を取るべく、今度は自分から斬りかかる。
「ぬえいっ!」
  その剣先を弾きながらも、隊長の心中は穏やかではなかった。
“このガキ、ただものではない……!”
  ままよ、と隊長は決心した。
  腰を落とし、体勢をひくく構えてから、前に踏み込んで激しく剣を突き出した。
  力強く、鋭い攻撃だった。
  風を裂きながら、剣先がリューベンの胸もとに伸びる。
  が、リューベンは上体だけそらし、指揮官の一撃をなんなくかわしていた。そして、すくいあげるような長剣の一撃を隊長に見舞う。
  一瞬の間さえ感じさせぬ流れるような動きだった。
  次の瞬間、隊長の首は胴体を離れて地面に転がっていた。
  首の切断面から大量の血しぶきが吹き出し、隊長の胴体はその場に倒れ込んだ。
  一騎討ちは、見事、リューベンの勝利に終わった。

 うおー!と周りの男達から歓声があがる。
「貴公らの指揮官は倒れた!これでもまだ続けるか!?命を粗末にするんじゃない!」
  リューベンは威嚇するように、残ったシーガイア兵達に言い放つ。
  さすがに、今の様子を見ては、すぐに手向かってくる者はいなかったが、それでもシーガイア兵士達はひるむことなくリューベンを睨みつけている。
“これは……危ないな……”
  シーガイア兵達の瞳に宿るただならぬ光からそう判断したリューベンは、素早くレティシアとヴァハのもとに駆け寄り、ヴァハの手足を縛っているロープを剣で切ってやった。
  その直後、シーガイア兵たちの間から凄まじい野次と怒号が飛んできた。
「我々には最後まで戦う義務がある!」
「バリア人を擁する抵抗軍の捕虜になんぞになってたまるか!」
「シーガイア軍人の意地を見せてやる!」
  一斉に剣を抜き放ち、森に潜む抵抗軍とリューベン達に襲いかかっていくシーガイア兵たち。
「ボウガンの一斉掃射がはじまるっ!馬車の中に隠れてっ!早くっ!」
  リューベンは2人に向かって絶叫した。
「は、はい!レティシア様!お早く!」
  ヴァハはまずレティシアを馬車に乗せ、続いて自分も飛び乗った。リューベンは、襲ってきたシーガイア兵の一人を一瞬にして斬り捨てると、滑り込むようにして馬車の中に飛び込み、すぐに扉を閉めた。
  それからボウガンの一斉掃射が始まった。
  矢を全身に受け、断末魔とともに次々と倒れていくシーガイア兵たち。馬車に乗った3人は、窓からその様子を呆然と見つめていた。
  ようやく騒音が止むと、まず一番最後に乗ったリューベンが外に出た。
「まったく……シーガイア王朝の者たちは、すぐに命を投げ出す……」
  リューベンは外の様子をぐるりと見渡して、そう嘆息した。
  外にはシーガイア兵の亡骸が至る所に折り重なっており、女性にはあまり見せたくない光景ではあったが、この際、仕方がなかった。
「お二人とも、お怪我はありませんか?」
  リューベンは、あくまで紳士的かつ穏やかに馬車の中にいる2人に手を差し伸べる。
  2番目に馬車に駆け込んだヴァハは、その手をとり、外に出て礼を言った。
「ええ。本当にありがとう、あなたは命の恩人だわ。私はいいとして、レティシア様にもしもの事があったらと思うと……」
  ヴァハの言葉に、リューベンは目を丸くした。
「!?……レティシア……?まさか、ディアナ王国のレティシア・ビュネーンか?」
「ええ、その通りよ。久しぶりね、リューベン」
  馬車から自分で出てきたレティシアは、満面に笑みを浮かべて地面に降り立った。
  リューベンはレティシアの方に駆け寄ると、その両手をとって固く握る。
「レティシア……本当にレティシアなんだなっ!?無事だったなんて……よかった……本当によかった……」
「それはこっちの台詞よ。7年間も何の音沙汰もなしで……てっきり私はもうあなたは死んだものだと……」
  気がゆるんだせいだろうか、いつもは凛としているレティシアも涙が溢れてリューベンの顔がにじんでしまう。
「あの……レティシア様?この方は……?お知り合いですか?」
  せっかくの感激の再会に水をさすのもどうかと思ったが、ヴァハは思い切ってレティシアに聞いてみた。
  レティシアは、慌てて拳で涙を拭い、
「ああ、紹介が遅れたわね。彼の名はリューベン・スターロード。滅亡したクルトニア王国の王子よ」
「ええっ!?」
  ヴァハは驚いて、腰を抜かしそうになった。
  ヴァハも、元はといえばクルトニア王国領の山奥村の出身である。それに、クルトニア王国といえば、ファルコン共和国5王国の宗主国(※従属国に対して宗主権を有する国家)であり、シーガイア王朝に滅ぼされるまではファルコン半島で最も栄華を極めていた大国だったのだ。
  クルトニア王国がシーガイア王朝に滅ぼされてからというもの、生き残った王子の噂はこの7年間、まるで耳にしたことがなかった。レティシアが先程言ったとおり、誰もが死んだと思っていたのだ。
  それが、こんな形で会うことができるとは……
「リューベン・スターロードだ。レティシアを必死で守ろうとしていてくれたね。本当はすぐにでも飛び出して助け出したかったんだが、奴らを包囲するのに手間取っていたんだ。ありがとう。心から礼を言わせてくれ」
  リューベンは、かすかな微笑を浮かべて、ヴァハに手を差し出してくる。
「あ……ヴァハ・フレイムといいます。ディアナ抵抗軍に属し、レティシア様の護衛役を務めさせてもらっています。こちらこそ、危ないところを助けていただき、何とお礼を言っていいか……」
  ヴァハは、握手を返しながら、たどたどしく自己紹介をした。
「リューベンとはね、国は離れていたけれど親同士が仲が良くて、幼なじみだったのですよ。昔はよくお互いの国を行ったり来たりして、一緒に遊んだものです」
  レティシアは、まるで夢でも見ているかの表情で2人の関係を説明する。こんなレティシアを見るのは、ヴァハにとって初めてのことだった。
「そのようなご関係だったのですか」
「懐かしいな。2歳しか歳が違わないのに、やたらとお姉さんぶる君にいたずらされて、泣かされたのを今でもよく覚えてるよ」
「あら、そうだったかしら?」
  2人はまるで月日のへだたりがないかのように昔の事を懐かしむ。
  その時、おだやかな中に、鋭く切りこむような冷静さをもった声が背後からかけられた。
「お久しぶりです。レティシア王女」
「騎士ミュッセ!あなたも生きていたのですか!?」
  声の主は、元クルトニア王国の騎士、ミュッセ・リガンスタインだった。
「はい。今はリューベン様を助け、クルトニア抵抗軍の参謀を務めさせてもらっています」
  おそらくまだ三十代だというのに、苦労のためか彼の顔にはいくつものシワが刻まれており、彼の苦々しい半生を物語っている。だが、さすがに騎士と言うだけのことはあって、適度に鍛えられた筋肉の上から、クルトニア王国の紋章が刺繍された軍服とマントに身を包んでいる。金色の髪には丁寧に櫛を入れ、細く尖ったあごと知性の宿る目からは神経質そうな雰囲気が発せられていた。
「クルトニア抵抗軍?でも、そんな抵抗軍があれば、私どもの耳にも入ってきているはずですが……」
  ミュッセの言葉に、レティシアは小首をかしげた。
  その疑問について、リューベンが説明する。
「この地方まで進軍してきたのはごく最近のことなんだ。今まで私たちは主にファルコン半島南部でゲリラ活動をしていた。組織の地盤がだいぶ固まってきたので、内陸部の抵抗軍とも接触をとろうと思ってね。こうして北上してきたというわけさ」
「そうだったの……」
「レティシアは?今、どこかの抵抗軍に身を寄せてるのか?」
「ええ。ディアナ抵抗軍という組織を作り、主に内陸部の人々で構成された抵抗勢力に参加しているわ。――けれど、驚きね。話を聞いた限りだと、ファルコン半島南部の抵抗軍はかなりの勢力をもっているようね?」
「そうだな、現在は25の抵抗軍がクルトニア抵抗軍の傘下に入っている。総数は約7000人といったところかな」
「そんなに!?」
  7000人という数を聞いたとき、レティシアは思わず驚きの声をあげてしまった。ファルコン半島南部に25も抵抗軍が潜伏していたのも驚きだったが、それらの抵抗軍が『クルトニア抵抗軍の傘下に入っている』という事実にはもっと驚いた。
「南部はシーガイア王朝首都アストレーゼからも遠く、奴らの勢力も薄かったからね。それだけ抵抗勢力も動きやすかったんだよ。……まあ、実質、各抵抗軍と連携をとったり、引き入れたりといった組織作りは、ミュッセが必死になって動き回ってくれていたおかげだけどね」
  そう言って、リューベンはミュッセに目配せし、それを受けた彼はうやうやしくお辞儀をする。
  リューベンが生きていたこと、南部の抵抗勢力の巨大さ、そしてその頂点に立つクルトニア抵抗軍……レティシアは頭の中で状況を整理し、思索を巡らせていた。そして、ようやく口を開いた。
「……リューベン、改めて話し合いたいことがあるの。私たちのアジトに案内するわ。少し遠くなるけど……」
「それはありがたい。それを目的に私たちはここまで進軍してきたんだからね。ぜひ、案内をお願いしたい」





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