
「シオンよ、余は明日、リューベン・スターロード王子によって殺されるだろう」
『魔王』の異名を持つシーガイア王朝の王、ゴルベリアス・イレードは、ゆっくりと自分の息子であるシオン王子にそう告げ、幾十もの宝石に飾られた玉座に腰を下ろした。
ゴルベリアスは巨躯の上に黄金の鎧を身にまとい、漆黒のマントに身を包んでいる。
だが、その頬はげっそりとこけ落ち、目の周りは黒く落ちくぼみ、肩まで伸ばした白髪は乱れて、肌は灰色にくすんでいた。まさにその風貌は疲労の極地にあるように見えた。
しかし、強い意志力をみなぎらせて赤く輝く両眼がその印象を見事に裏切っていた。眼光は強く、生死の境にいるような激しい緊張感を示していた。明らかに人間離れした“気”といったものが、全身から発散されている。
薄暗い謁見の間には、広いわりに飾り気が全くない。玉座の左右に二つの青白いたいまつがゆらめいているだけだった。白い石でできた床の中央には、神秘的な文様を施した魔法陣らしきものが描かれていたが、それが何を意味するのかまではわからない。
「な、何ですとっ!?我らにたてつき、愚民どもが勇者などともてはやしている、あのリューベン王子にですか!?あのような道化ごときに父上がっ!?」
ゴルベリアスの前に片膝をつき、律儀にかしずいていたシオンは、外見はまだ十歳を過ぎたばかりほどの幼子だったが、礼を忘れて顔を上げ、はっきりとした口調でそう聞き返した。
その問いに対して、ゴルベリアスはゆっくりとうなずいた。
シオンの表情はみるみる蒼ざめ、真っ白な肌がさらに蒼白になっていった。
シオンもまた、ゴルベリアスと同じく魔力を秘めた深紅の瞳を宿している。しかし、その肌は静脈が透けるほど白く、白磁を思わせるような滑らかさがあった。髪もゴルベリアスの白髪とは違い、艶のある銀髪を短く刈り込んである。ゴルベリアスと同じく、漆黒のローブに身を包んではいるが、そのローブには神秘的なルーン文字がいたるところに描かれていた。
「先ほど、占星術の儀式により、星々の導きが出た。明朝、リューベン王子率いる反乱軍は、全兵力をもって、このシーガイア王朝首都アストレーゼに攻め込んでくるだろう。いや、もはや占星術に頼る必要すらない。反乱軍は最後の頼みの綱であったゲッセマネまで占拠し、首都は完全に包囲されている。
――この戦争は……我らの負けだ」
ゴルベリアスは、淡々とした口調で、しかしはっきりと断言するように言った。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
ゴルベリアスの支配するシーガイア王朝は、今や滅亡の危機に瀕していた。
しかし、つい2年前まではファルコン半島全土をその掌中におさめ、強力な騎士団を有し、栄華を極めた大帝国だったのである。
それが、なぜこのようなことになってしまったのか……?
全ての発端は9年前に遡る。
9年前、平和そのものだったファルコン共和国に対して、シーガイア王朝は突如として遙か東方の地からザフネス教の教化政策のため侵略戦争を仕掛けたのだ。
ファルコン共和国と、それを構成する5王国を、強大な武力によって瞬く間に討ち滅ぼしたゴルベリアスは、まず第一にファルコン人達が信じていた宗教の改宗に乗り出した。しかし当然、ファルコン半島に住んでいた人々には、それまで信仰していた土着の神々と宗教があった。だが、ゴルベリアスは無理矢理それらの宗教を全て排除し、光の神ザフネスを唯一絶対の神と崇める『ザフネス教』への改宗を民衆に強要したのである。そして、改宗に従わぬ者は容赦なく抹殺していった。
しかも、シーガイア王朝が強要するザフネス教は、『人種によって人間を格付けする』という教義を持っていた。その中で最も下等な人種であるとされるバリア人達には、ザフネス教の教義にならって容赦のない制裁を加えていったのだ。
ファルコン半島に住む全人口の6割はバリア人で占められていた。
シーガイア王朝のバリア人狩りはとどまる事を知らず、このまま続けば、ファルコン半島に住むバリア人達は遠からず絶滅してしまうのではないかと危ぶまれるほどであった。
人々は怨念と憎悪を込めて、ゴルベリアスを悪魔の化身、『魔王ゴルベリアス』と呼ぶようになり、その存在に恐れおののく毎日を送っていた。
民衆達は7年間もシーガイア王朝の圧政に耐えつつも、抵抗軍を組織して細々と地下に潜伏していた。しかし、それももはや我慢の限界であった。
そして2年前。
ゴルベリアスが強行する、徹底した人種迫害と改宗を迫る圧政に耐えかねた各地の抵抗軍は、『ファルコン自由解放同盟』として団結。
ファルコン半島南部と内陸部を中心に、反乱を起こしたのである。
それからのファルコン自由解放同盟の活躍にはめざましいものがあった。
ファルコン自由解放同盟の誕生に呼応して、他にも生き残っていた王族達や抵抗勢力が次々と正体を明かすようになり、同盟軍は次々とそれらを迎え入れた。
これを機に、同盟軍の勢力は爆発的な勢いで拡大していったのだ。
リューベン王子を代表とした将軍達の指揮のもと、貴族達は槍を片手に戦場を駆け抜け、傭兵達は遊撃隊として様々な戦法を駆使して敵を打ち倒し、平民や農民達は兵士達が安心して戦えるよう、食料の確保や衛生兵として傷ついた者達の治療にあたった。また、ゲリラ戦法も盛んに取り入れられ、シーガイア王朝側から武器や防具、食料と資金を強奪するのは同盟軍にとって最重要課題であった。
その解放運動は、絶望しかけた人々を勇気づけ、さらに各地で蜂起の狼煙が次々と上がった。
そして、ついにファルコン半島全土を巻き込んだ、ファルコン自由解放同盟とシーガイア王朝の全面戦争に突入したのである。
そして2年の時が過ぎた。
2年間に及んだ度重なる同盟軍の猛攻撃によって、シーガイア王朝は領地を次々と奪回され、残るはゴルベリアス王が居城を構える首都アストレーゼのみであった。
その首都さえも、今となっては完全に同盟軍によって完全に包囲されており、堅牢を誇っていた城壁が破られるのも時間の問題、首都に住む兵も民も疲弊しきっているという有様だった。
かつて民衆を恐怖で支配し、栄華を誇っていたシーガイア王朝の姿は、もはやどこにもなかったのである……。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
「父上、何を弱気なことをおっしゃります!父上と私の魔力を合わせれば、リューベン王子率いる烏合の衆など、ものの数ではありません!父上、どうか私とシーガイア神聖騎士団に出撃の許可を!私の魔法で、リューベンめを焼き殺してご覧にいれますっ!」
シオンはそう言うと、右の拳を固く握りしめ、その拳からは赤い火柱がボッと立ち上った。小さいが激しくゆらめく紅蓮の炎は薄暗い部屋を煌々と照らし出すほどのものだった。しかし、シオンの右手はヤケドひとつ負っていない。
彼ら親子は、この世界でも数少ない『魔法』を行使できる存在――マグスと呼ばれる存在であった。
ゴルベリアス・イレードは占星術に長けていた。彼ひとりではない。シーガイアの王家の者には、未来を予知する魔力があった。それも回避不能な絶対なる予知である。歴代のシーガイアの当主達はみな、この世に存在する万物の運命を司る星々の配列を読むことができた。ゴルベリアスも、そして息子であるシオンもそうだった。
彼の占星術は絶対に外れることがない。自然、政治は占いに依った。
家臣達のなかには、ゴルベリアスの魔力を心から信じている者も大勢いたが、「迷信に頼りきりの王よ」と、眉をひそめる者も少なからずあった。
ある時、ゴルベリアスの魔力を信じない側近の一派が、運河や街道を作ることでシーガイア王朝を栄えさせることを提案したが『その土木工事は豪雨による被害で必ず失敗する』『このファルコン半島の土地で街道を造るなどの大工事をしても必ず行き詰まる』と、地図を見ることすらせず、そう予言した。
むきになった側近の一派は、ゴルベリアスの予言を無視して工事をはじめた。しかし、ゴルベリアスは一切口出しをしなかった。案の定、それらの事業は全てゴルベリアスが予言した通りの障害に阻まれ、全て失敗に終わってしまった。
ゴルベリアスには、自分に反目する一派が現れることも、工事が失敗することも、全て予知によってわかっていたのだ。
それからは、家臣の全てがゴルベリアスの予知を信じるようになり、シーガイア王朝全体が彼の行う占星術の結果によって忠実に動くようになったのである。
ゴルベリアスが最も得意とするのは占星術だが、その魔力を他に活用すれば、一瞬にして何百人もの敵兵を焼き殺す業火の術、魂まで凍てつかせる吹雪の術、広大な森林を一瞬で破壊し焼き払う雷撃の術など、絶大な魔法力を有しているのだ。
また、マグスはその魔力を含んだ血ゆえに、並みの人間より数倍の知性と認識力を持つ。シオンもまた、13歳になったばかりではあったが、魔力は相当なものであり、知能に至っては並みの大人など遙かにしのいでいた。
「父上っ!父上と私が力を合わせれば、運命にさえ打ち勝つことができるはずです!どうか、どうか、お考え直しくださいっ!」
シオンは胸に手を当て、勇ましい口調で喋っていながらも、徐々に自分の声が震えたものに変わっていくのが自分でもわかっていた。
父ゴルベリアスの占星術の結果は絶対なのである。
――なにか、なにか防ぐ手だてはあるはずだ。
シオンは父ゴルベリアスを説得する一方で、全身全霊をもってこの危機を打破する方策を考え抜いていた。
せめて父をはじめとしたシーガイアの重臣達だけでも『転移の術』(テレポーテーション)を使って亡命するというのはどうだろうか?
反乱軍の人間達は、ゴルベリアスとシオンが『魔法』を行使できるのを迷信の類と決めかかっていると聞く。
ゴルベリアスは莫大な魔法力を有しているにもかかわらず、息子のシオンと一部の極めて信頼する重臣を除き、決して人前で魔法を披露するような真似はしなかった。その事から『魔法などというものは、この世に存在しない』というのがファルコン半島に住む人々の常識になっている。
それゆえ、反乱軍はシーガイア王朝が各地に建設した、転送用の魔法陣(ゲート)が設置された施設を戦略的価値なしと思いこんで、破壊せず放置しているとの情報もある。その隙をつき、反乱軍の包囲網の外に魔法で脱出し、体勢を立て直せばあるいは……。
シオンが懸命に頭脳を酷使し、眉間に皺を寄せている様子を見て、ゴルベリアスはそっと声をかけた。
「シオンよ、もうよい……よいのだ」
シオンは父の言葉を受け、ハッとなって我に返った。
「し、しかし父上!今からなら、どのような手段でも講じられるはずです!――そう!活きの良い子供の肝をこれまで以上にもっと集めて、魔力を回復させるのです!今からでも充分間に合うはずです!」
マグスは、健康な子供の肝から精製した特殊な薬で魔力を回復し、同時に高めることが出来る。この9年間、シーガイア王朝は子供狩りを続けてきたが、ファルコン自由解放同盟の勢力が大きくなるにつれ、それすらも困難になった。おかげで、魔法を使い続けているゴルベリアスの身体は衰弱する一方で、その命はいつ尽きるとも知れなかった。
だが、今からでも遅くない。収容所に監禁している子供の肝を総出でかき集め、父上に飲ませることができれば……そんな風にシオンが必死に思索を巡らせていると、
「……シオン、お前にも分かっているはずだ。星が告げた運命は覆しようがない。例え今から、どんな手をつくしても、余は、必ず別のかたちで、リューベン王子に首を刎ねられ、我がシーガイア王朝は滅亡するだろう。例え千通りの策を講じたところで、千通りの殺され方をするだけ……。これは回避不可能だ。シオン、それがわからぬお前ではあるまい?」
ゴルベリアスは、極めて冷静に、自らにふりかかる絶対なる死の宣告を口にした。
しかし不思議な事に、その声音は恐怖に歪んでいるわけでも、怯えているわけでもない、いかなる感情も表していない澄みきったものだった。
もはや、父ゴルベリアスは全てを覚悟し、そして己の死を受け入れているのだ。
「そんな……」
シオンはがくっと膝を折ってうめいた。
「案ずることはない、シオン。余はただでは死なん。死ぬ前に、リューベンめに一泡ふかせてやるつもりだ。我がシーガイア王家に伝わる最大の秘術でな……」
「父上ッ!それは……ッ」
シオンが必死に何か言いかけたが、ゴルベリアスはそれを遮り言葉を続けた。
「そして、シオン。占星術によると、お前は死なん……絶対にだ。少なくともあと20年は生きながらえる事ができるだろう。だが、その間に決して余の仇(かたき)を討とうなどとは考えるなよ。いや、やろうとしても失敗するはずだ。それも星が教えてくれた」
「そんな……父上。父上は、私にだけ生き恥をさらせというのですかっ!?」
シオンは眉をつりあげ毅然とした態度で、父の言葉を否定した。
父も、臣下も、国民さえも見捨て、王子である自分だけがおめおめと生き延びる――シーガイア王朝の第一王子としての誇りがそれを許さなかった。
ゴルベリアスは、再びゆっくりと玉座から立ち上がり、窓からさしこむ満天の星空を見上げ、天を仰いだまま言った。
「……未来が見えるという事は不幸な事だ。我らマグスは、運命を司る星々の配列を見て、未来を予知する魔力を授かった。シオン、お前にもその血が流れている。しかも、この運命は絶対に変えることができない。忌々しいことだ……」
「…………」
シオンが二の句が継げずにいると、ゴルベリアスは改めてシオンの方に向き直り、威厳をこめて言った。
「シオンよ。確かに星の導きによると、お前は余の仇を討つことはできない。反乱も、蜂起も、暗殺も、リューベン王子を殺す事につながる行動はすべて失敗する。だが安心しろ。余は、生涯最後の秘術をもって、その運命を変えてみせる」
「?!……父上ッ」
「星々が告げた運命に逆らうのは、余にとってはこれが最初にして最後になろう。だが、リューベン王子には、死ぬより辛い地獄を味あわせてやる。余がリューベン王子に殺された、その瞬間……シオンよ、お前の復讐は完了しているのだ」
その言葉を受けて、シオンはすべてを悟った。そして、ゆっくりと立ち上がった。
その瞳には、固い決意の炎が宿っていた。
「わかりました、父上。このシオン・イレード=シーガイア、シーガイア王朝の末裔として、そして誇り高き賢王ゴルベリアスの子として、あえて修羅の道を生きてゆきましょう」
ゴルベリアスは強く息子を抱きしめ、呻くように言った。
「すまん、シオン……お前には辛い役目を押しつけてしまう。不甲斐ない父を許せ……」
「……父上………」
シオンも小さな手で、固く父の肩を抱いた。
涙があふれそうになったが、理性がそれを許さなかった。
謁見の間には再び冷たい静寂が流れた。
運命の時は刻一刻と近づいている………。