第7章 集結、十二神将

『――『転移の術』について――
この術はマグスの血筋の者にしか扱えず、物質を全く別の空間に瞬時に転送することに極意がある。マグスは、自らの精神力を源にして魔法を行使するが、自分の精神力のみで自由自在に瞬間移動ができるのは、術者の魔力にもよるが、距離にして最大で数百メートルが限界である。
それ以上の長距離となると、特殊な結界を張った転送用の魔法陣(ゲート)が必要となる。
しかし、この魔法陣(ゲート)を使った物質の転送にも膨大な魔法力が必要とされ、転送する物体の質量に比例して、消費する魔法力も大きくなる。この『転移の術』は、あまりに強力な術ゆえ、多用すると術者の寿命を縮め、最悪の場合、死に至る事もあるので、使用には十分な注意が必要である。
なお、魔法陣(ゲート)の詳細は以下の通り――』

 たいまつの明かりを頼りに、レティシア・ビュネーンはかすれた文字を真剣な眼差しで追っていた。
「レティシア、いるのか?」
  司令官用の天幕の外からネヴァン・フリーダムの声が響いた。
  ファルコン自由解放同盟では、禁断の書とされる魔導書の文字を食い入るように読んでいたレティシアは、我を忘れていたことに思わずハッとなった。
  慌てて魔導書をパタンと閉じ、机の引き出しにしまってから、両手を組み、いつも通り落ち着いた返事を返す。
「ええ。どうぞ、お入りください」

 時間は既に夜。
  ゲッセマネの砦から突然、謎の奇襲を受けたゲッセマネ方面軍は、天幕を構えた陣地を捨てて数キロの後退を余儀なくされた。そして、アストリア運河沿いに北上していた同盟軍の別働隊と合流し、運河のほとりで野営の陣を組んでいたのだ。

 レティシアの招きを受け、天幕の入り口から鎧姿のネヴァンがむっつりとした顔をして入ってきた。レティシアの机のそばに椅子をカタンと置くと、無言で腰を降ろした。その手には紙切れが握られている。
「報告だ。後退に際して我らが被った損害は、負傷者1428名、死亡者524名、天幕が2025だ。もっとも、天幕はあとで取り返せばいいが、死んだ者達は帰ってこない……クソッ!」
  紙切れを読み終えたネヴァンは自責の念に駆られ、自分の膝を拳でバシッと叩きつけた。
「ネヴァン……そう自分を責めないで。あなたが早急に私達に知らせてくれなければ、もっと大きな被害が出ていましたわ」
  レティシアはそっとネヴァンを優しく慰める言葉をかけた。
「しかし、もっと早く異変に気付くべきだった――だが、敵は一体どこにあんな数の兵力を温存していたんだ?もっと早くゲッセマネ側があの兵力を出動させておけば、俺達に城壁を破ることなど易々と許さなかったはずなんだが……奇妙だな……」
  確かにネヴァンの言うとおりだった。
  ゲッセマネの砦は、同盟軍の猛攻撃によって、城壁も壊滅的な打撃を受けて崩壊し、4ヶ月にわたる攻城戦でかなりの兵を失っていたはずなのだ。しかも、完全にシーガイア王朝首都アストレーゼから砦への補給線を絶たれ、兵糧攻めにもあっていたゲッセマネの砦に、あれほどの大兵力と大量の武器がまだ温存されていたなどと、どう考えても解せないことであった。
「油断した我々を引き寄せておいて、一気に叩くつもりだったのでは?」
  レティシアは、そう提案してみせた。しかし、ネヴァンは眉をしかめて反論する。
「自分たちの砦の城壁を破られるまで黙って見ていたってのか?それこそ自殺行為だ」
  確かに砦にしろ城にしろ、城壁というのは防御の要となる建築物だ。それを破壊されても、まだ兵力を出し惜しみしていたというのは、通常の兵法ではありえない策である。だが、レティシアはあえてそれを逆手にとった作戦を説明してみせた。
「こういうのはどうでしょう?あれほどの兵力をどこに温存していたかは知りませんが、我々が勝利を確信してノコノコと城塞内に入ったところを、指揮官だけ狙って奇襲するということは充分出来ます。げんに、私も、あなたも、ヴァハも、あの時矢の当たり所が悪ければ死んでいたかもしれないのですよ?」
  確かに、ネヴァンもヴァハも武芸の達人ではあるが、しょせんは生身の人間である。超人ではない。油断しきっているところをナイフで背中を刺されれば、いかに武芸を極めた者とはいえ、例え相手が子供でも簡単に殺されてしまうのが現実というものだ。
「そうか……王族の指揮官だけを狙って殺害し、同盟軍を一時(いっとき)でも混乱させ、その間に体勢を立て直すという算段か。確かに、シーガイア王朝にはもうあとがない。背水の陣であれば、そのような無茶な作戦も決行するかもな?」
  ネヴァンもつ緑色の瞳が、たいまつの光を反射してキラリと光った。
  レティシアの提案した敵の作戦は突飛なものであったが、他に説明がつきそうにない案がない以上、それで納得するしかないのが今のネヴァンであった。
「少々無理があるような気がしますが、そう考えるのが妥当でしょう。ともかく、リューベンがあの場にいないことが不幸中の幸いでした。彼が死ねば、盟主を失ったファルコン自由解放同盟は大打撃を受けます。体勢を立て直すのも、かなりの時間を要するでしょう。なにしろ、彼は民衆や全同盟軍の希望の象徴なのですから」
  その言葉を受けて、ネヴァンは思い出したようにレティシアの方に向き直って口を開いた。
「そうだ、そのリューベンだがな、もう、すぐそこまで来てるらしい」
「本当ですか?」
  普段は冷静沈着なレティシアだったが、この時ばかりは目を輝かせた。
「ああ、本当だ。あいつが戻れば、兵達の士気も復活する。ゲッセマネの砦なんざ、ひと捻りだ」
  ネヴァンは、まるで自分の事のように誇らしげにリューベンの事を口にして、身につけている板金鎧の上からドンと胸を叩いた。それほど彼らにとってリューベン・スターロードという存在は大きいものなのだ。
「リューベンが……やっと帰ってきてくれたのですね」
  レティシアは、かすかに喉をふるわせ、目元に薄い涙を浮かべた。
「だから……な。元気を出しなよ、レティシア」
  そう言って、ネヴァンはニッコリ笑うとレティシアの肩を優しくポンと叩き、踵を返して出口の方へ歩いていった。
「ええ。ありがとう、ネヴァン……」
  レティシアの言葉を背中で受け止めたことを示すため、片手を上げたままネヴァンはレティシアの天幕を辞した。
  そして……ネヴァンが完全に退出したのをじっと目を細めて見計らうと、再びレティシアは引き出しから魔導書を静かに取り出し、熱心に読み始めたのだ。


  ネヴァンの言ったことは本当だった。
  リューベン率いる同盟軍騎士団150騎が、レティシア達が陣を構える宿営地のすぐそばまで迫っていた。
「もうすぐゲッセマネ方面軍の天幕が集まっている宿営地に着きますよ、リューベン様」
  馬に乗り、たいまつを持った若い伝令兵が、後ろを振り向きニッコリと笑いかけた。
「本当に皆、無事なのか?」
  毛並みの良い駿馬に跨った青年が、眉間に皺を寄せて心配そうな声音で問うた。
  この青年こそ、今や総勢10万の兵を擁するファルコン自由解放同盟の盟主、リューベン・スターロード王子その人だった。
  18歳になったリューベンは、2年前と比べ、すっかり盟主としての風格を漂わせる立派な青年に成長していた。顔つきも気品のある中に精悍さがあり、もう、どことなく残っていたあどけなさはすっかり消えていた。豪華な彫刻が施された鎧を身にまとい、腰には昔からずっと愛用している長剣、聖剣オートクレールを吊していた。
「……残念ながら、ゲッセマネ側の奇襲で死亡した者もおりますが、レティシア様をはじめとした同盟軍十二神将の方々は壮健でいらっしゃいます」
  伝令兵は、リューベンがレティシア達の生存を聞いて喜ぶかとおもったが、リューベンの表情は沈痛な面持ちのものへと変わっていった。
「そうか……。無念だ。私がゲッセマネの地を離れたばかりに、命を落とした者がいると思うと無念でならない」
  若い伝令兵は、その言葉を聞いて、憐憫と同時に尊敬の念を抱いた瞳を向けた。
  この人は、他人を理解して尊重し、決して卑下したりしない。本当の意味での王族なのだと改めて思った。
「リューベン様、それは違いますな」
  リューベンの慈悲の心に対して、真っ向から鋭く対立する言葉が側近の一人から放たれた。
  その言葉を発したのは、リューベンを幼い頃から支えてきたクルトニア王国の騎士、ミュッセ・リガンスタインだった。
「戦いに犠牲はつきものです。むしろ、同盟軍十二神将であるレティシア王女、ネヴァン王子、ヴァハ達が無事でいらっしゃった事こそ、不幸中の幸いというべきです。特に王家の血筋を持った将軍の存在は重要です。彼らが死ねば、同盟軍の士気に関わります」
  刃物のように鋭く、そして理路整然と言葉を突きつけてくるミュッセ。今では全同盟軍の作戦参謀も兼ねる彼は、合理的かつ冷徹な思考にますます磨きがかかっていた。戦時においては、正論といえば正論なのだが、その言いようはリューベンの癇に触った。
「ミュッセ、そんな言い方はないだろう」
  リューベンは嫌悪感をあらわにし、ミュッセの言い方を諭した。
  ミュッセの理論でいえば、価値ある人間は生き残るべきだが、それ以外の雑兵はいくらでも代えがきくから死んでもかまいはしない、ともとれる一種残酷な考え方なのだ。
  リューベンは、幼い頃から自分に剣と、そして王族としての作法を教えてくれたミュッセに感謝はしてはいたが、年を経るにつれ、ミュッセのあまりに合理的な部分とリューベンの感情論が噛み合わず、衝突することがこの2年の間に、特に多くなっていた。特にリューベンは、ミュッセの合理的、冷徹すぎる面を嫌悪しているきらいがあった。
  ミュッセの言葉がきっかけとなって、互いに無言となり、しばし二人の間には険悪な空気が支配した。
「ま、まあ、リューベン王子、ともかく被害が大きくなる前にレティシア王女とネヴァン王子、ヴァハが率先して犠牲を最小限に食い止めたといいますから、よしとしましょう」
  見るに見かねたのか、二人の後ろにいたレスター・レイギスが交互に二人の顔を見比べて、その場の空気を中和しようと努めた。
「……そうだな。ネヴァンとヴァハ、それにレティシアの迅速な判断と行動力には感謝しなくてはな」
  リューベンは心の中でホッと溜息をつき、レスターに感謝した。
  レスター・レイギスは、シーガイア王朝に滅ぼされたエレボス王国出身の貴族で、よく衝突するミュッセとリューベンの緩和剤的な役割をよく果たしてくれる男だった。
  エレボス王国は、王族が全て殺されていたため、現在ではその傍系(※同じ始祖から分かれ出た血族のこと)であるレスターがエレボス王国の代表として同盟軍十二神将を務めている。
  レスターは、中肉中背。取り立てて体格に恵まれているわけではないが、鋼のように鍛え上げられた身体は肉食動物のような躍動感に溢れている。顔は端正な二枚目であり、赤毛の髪と緑色の瞳といった統一感のない風貌は、ヴァハと同じくバリア人特有の特徴を顕著に備えていた。
「そうですよ、リューベン王子。それに志半ばで散っていった同胞のためにも、なんとしてもゲッセマネの砦は落としませんと。彼らの弔い合戦をやればいいんですよ!」
  それに同調したのが、レスターと同じく同盟軍十二神将の一人、ウィンディ・ビゲンゾン公女であった。シーガイア王朝に滅亡させられたネメシス公国の公女である彼女は、同盟軍十二神将の中でも最年少の16歳という若さである。
  栗色のショートヘアに茶色い瞳、薄い唇は、このファルコン半島でも極めて少数派であるカルム人の特徴を備えていた。目が大きく、すっと通った鼻筋をしている美しい少女なのだが、惜しむらくは額から頬にかけて大きな傷跡があることであろうか。小柄で華奢な体付きをしているが、剣の腕は一流であり、そのしなやかな身体から繰り出される鋭い一閃は敵を瞬時にして切り裂く。
「そうか……そうだな。ありがとう、ウィンディ、レスター。どうやら、ここにきて少し弱気になっていたのかもしれない」
  リューベンは、あえてミュッセの名だけは呼ばず、二人の心強い声援に励まされたことを強調し、なんとか沈んだ気分を持ち直したことを感謝した。
「それがまたリューベン様のいいところなんですよ。その慈悲深さに、誰もが魅力を感じてついてくる……私もその一人なのですから」
  そう言って、レスターは屈託のない笑みを見せた。
「レスター……ありがとう」
  レスターの気遣いに、リューベンは微笑みをもって返した。
  その時。
「リューベン様、見えましたぞ!あれが、ゲッセマネ方面軍の宿営地です!」
  伝令係の男が、小高い丘の上から運河沿いにある宿営地を指さした。
「あれがそうか!ご苦労!さあ、みんな、宿営地の者達と合流するぞ!」
「はいっ!」
  リューベンの号令に、若々しい兵達の声が続いた。


  リューベン率いる同盟軍150騎が宿営地に到着した途端、天幕の中から一斉に同胞達が歓声の声をあげてリューベン達の帰還を歓迎した。
  レティシアは、リューベンの姿を認めると、早足で駆け寄ってその胸に飛び込んだ。
「レティシア!」
「ああ、リューベンッ!あなたの帰りをどんなに待ちわびたことか……」
  リューベンは、喜びに満ちたレティシアの頭を優しく撫でながら、そっと背中に腕を回して抱きしめた。
  周りの者達は、暖かい眼差しで二人の抱き合う姿を見て囁きあっていた。
  同盟軍の中でリューベンとレティシアの仲を知らない者はいなかったが、普段は冷静でしとやかなレティシアが、こうもリューベンに身を委ねる姿を見た者は少なかった。
「すまない、レティシア。私のいない間、よくやってくれた。君の機敏な判断のおかげで、ゲッセマネ方面軍の被害は最小限に抑えられたと聞いてるよ。本当によくやってくれた」
  リューベンはレティシアの肩を両手で優しく抱くと、彼女の健闘を褒め称えた。
「いいえ、そんな。私の力など微々たるものです。全てはネヴァンやヴァハが迅速に動いてくれたからこそ、こうまでできたのよ」
  リューベンは、そんなレティシアの謙虚さを愛おしいと思った。
「そうか……それは君の謙遜として受け取っておこう。エクスも戻ってきたんだ、会ってやってくれ」
  エクスは、レティシアの実の妹で、今では同盟軍十二神将の一人としてリューベンに随伴していた王妹であった。彼女もまだ16歳という若さながらも、姉レティシアの代理として充分に働いてくれ、大きな助けとなっていた。
「ええ、そうさせてもらうわ。ありがとう、リューベン……」
  そう言うと、レティシアは名残惜しいかのようにリューベンの側から離れ、妹のエクスを探しに人混みの中へと消えていった。

「リューベン!久しぶりだな!」
  名を呼ばれて振り返ったリューベンの顔に、眩しい笑顔が浮かんだ。声の主は、リューベンの親友、ネヴァンだった。その傍らにはヴァハもいる。
「久しぶりって、お前、私がこの地方を離れて6日しか経ってないぞ?」
「いやぁ、やっぱりお前がいないと同盟軍は締まらなくていけねえ」
  苦笑するリューベンの背中を、ネヴァンはバンバンと豪快に叩いて笑った。
「リューベン!おかえり!待っていたよ!」
  ヴァハは顔に満面の笑みを浮かべて、リューベンの帰還を歓迎した。
  ヴァハは、レティシアとその妹エクス以外の十二神将には、敬称も敬語も使わなかった。
  リューベンがそうさせたのである。
  仮にも十二神将であるヴァハが、同じ立場の十二神将にへりくだった態度をとるのは兵の士気にかかわる。
  特にヴァハは、王族や貴族でほとんどが占められている他の十二神将達と違い、平民の出身なので、なおさらだった。
  だが、ヴァハは個人的に大恩のあるレティシアとエクスだけには、敬称や敬語を使って接すると言い張った。
  あまり表面に出すことはないが、元来、生真面目な性格なのだろう。
「ただいま、ヴァハ。レティシアから聞いてるよ。つきっきりでレティシアの補助をよくこなしてくれたそうじゃないか。ありがとう。感謝の言葉もないよ」
「いいえ、恥ずかしいけれど、あたしはただ暴れ回っていただけよ。ほとんどの指揮は、レティシア様の的確な指示があってこそのものだったわ」
  そう言って、ヴァハは少し恥ずかしそうに頭を掻いてみせた。
「相変わらず、レティシアには甘いんだな、君は」
  リューベンがフッと薄い笑みを浮かべると、ヴァハは俄然目の色を変えて反論した。
「あなたこそ、レティシア様のお力を見くびり過ぎよ。あの方は、その気になれば、あなたを越えるほどの指揮官としての資質を持ったお方なんだから!」
「これはまた、手厳しいな」
  ヴァハのレティシアに対する入れ込みようは相変わらずか――そう思ってリューベンは肩をすくめて微笑してみせた。
  その時、ミュッセが近づいてきて、リューベンの側で耳打ちした。
「コホン、せっかくの再会の感激を邪魔して悪いようですが、リューベン様、さっそくゲッセマネ攻略の軍議を開きたいと私は考えますが?」
  リューベンは、多少ミュッセに煩わしさを感じたが、それももっともだと考え直し、彼の要望に応えた。
「ああ、わかってるよ、ミュッセ」

 司令官用天幕の中では、同盟軍十二神将のそうそうたる顔ぶれが集まった。
  すなわち、リューベン、レティシア、ネヴァン、ヴァハ、ミュッセ、ウィンデ、レスター、エクスといった面々である。
  一同は、丸い木製のテーブルに着き、従者の淹れてくれたお茶で喉を潤しながら軍議を進めていた。
「伝令から話は聞いている。ゲッセマネの砦から、今まで見たことのない大部隊が姿を現しただって?」
  リューベンは、実際に『矢の雨』を体験したヴァハに尋ねた。
「ええ。その数は、目で確認できただけでもざっと1000人以上はいたわ。砦内にはもっといると考えるのが妥当でしょうね」
  ヴァハは、未だに信じられないといったような口ぶりでゲッセマネの砦の怪異現象を伝えた。
「しかし、なんとも妙な話だな。ゲッセマネの砦はすでに我々が壊滅的な打撃を与え、補給線も完全に遮断しているはず。シーガイア王朝首都アストレーゼから増援を送ってもらえるはずがない。おまけに、砦に残っていた少ない兵達も兵糧攻めで飢餓状態に追い込んでおいたはずだが?」
  リューベンは小首をかしげ、腕組みをしながら唸った。
「どこか、包囲網に穴があったとは考えられませんか?」
  ウィンディは周りの面々を見渡しながら、その可能性がないかどうか聞いてみた。
「いや、それはないですな」
  そう言いながら、ミュッセは天幕の幕に掛けられている地図の前まで歩いていった。日に焼け、色あせた羊皮紙にはファルコン半島の地図が描かれており、シーガイア王朝首都アストレーゼとゲッセマネの砦の位置にそれぞれ印がつけてある。
  ミュッセは地図を指すための指し棒を懐から取り出すと、地図上に描かれた首都アストレーゼの位置をトントンと叩いた。
「我々はこの6日間、首都アストレーゼを既に包囲している同盟軍部隊と綿密に連絡をとってきたのです。敵の首都が包囲されているのに、増援の出しようがありますまい?」
  ミュッセの指摘に、リューベンも素直に頷く。
  リューベンは、軍師としてのミュッセの能力に対してだけは絶大な信頼を置いていた。
  なにより、ゲッセマネの砦を4ヶ月という短期間でここまで追い詰めることができたのは、ミュッセの働きによるところが大きかったからだ。
  攻城戦の困難な点は、敵の防御の高さにある。
  こちらの兵力が大幅に優っていようとも、相手が堅固な城壁に守られている以上は力攻めだけでの作戦は損害を増やすだけだ。防備にすべてを注いだ要塞を攻め落とすには、攻撃側も多大な出血を強いられる。しかも、要塞の攻略には長期間の持久戦が主流とされているのだ。
  それをミュッセの提案した作戦のおかげで、通常なら8ヶ月はかかると想定されていたゲッセマネ攻略戦を、たった4ヶ月で陥落寸前まで追い込むことができたのだ。
「うん、ミュッセの言うとおりだ。首都アストレーゼは同盟軍十二神将シェルナーの指揮のもと、完全に包囲してある。首都からの増援はまず無理だな」
「じゃあ、どうやってあれだけの大軍をゲッセマネの砦に寄越したというの?」
  ヴァハは眉をしかめながら、リューベンとミュッセの顔を交互に見つめる。
「……わからない。もしかしたら、ゲッセマネの砦の包囲網の方に穴があったのかもしれない」
  リューベンの発した言葉を、またしてもミュッセが即座に否定した。
「それもありえませんな。ゲッセマネの砦を攻略するとき、緻密かつ厳重に包囲網を配備しました。例えゲッセマネの砦付近にシーガイアの部隊が残っていたとしても、近寄ることすらかなわぬはずです」
「気味が悪いですね。まるで魔法か何か使ったみたい……」
  ウィンディがいまいましげに『魔法』という言葉を口にすると、横にいたレティシアの眉がほんのわずかにピクッと反応した。
「魔法……」
  レティシアは極めて小さな声でポツリと呟いたが、それは誰の耳にも届いていないようだった。 さきほど読んだ魔導書で、レティシアは魔法陣(ゲート)の存在を知っているはずなのだが、それをこの場で口にするのははばかられた。
“今はまだ口にする時ではない”
  レティシアはそう判断し、口をつぐんだ。
  そんなレティシアのかすかな表情の変化に皆は全く気付くことなく、リューベンはウィンディの言葉に応えていた。
「確かにな。けれど、魔法などというものはこの世に存在しない。どこかに巧妙な策略(トリック)が隠されているはずなんだ」
  リューベンは断定するようにそう言い放った。レスターもそれに続いて首肯する。
「そうですね。問題はその策略の仕掛けが分からないということですが……」
  レスターの言うことはもっともだった。正体がわからない策略を敵が持ち合わせていたとしたら、うかつな行動はできない。リューベンは黙り、レスターも黙り込んだ。
  その沈黙を破ったのが、ネヴァンだった。
「しかし、まあ、どちらにしろゲッセマネの砦からいないはずの兵が湧き出てきたといっても、無限に湧いてくるわけじゃなし、その増援の数はたかだか1000人から3000人がいいところだろう?同盟軍が本気を出せば、簡単に叩きつぶせる数だ」
  ネヴァンのもっともな意見に、一同は頷いた。
  ファルコン自由解放同盟が擁する全兵力はゆうに10万。その10分の1でもゲッセマネの砦に投入すれば、圧勝は確実なのだ。
  だが、ネヴァンの意見に対してミュッセだけは首を横に振った。
「そうしたいのは山々ですが、同盟軍の兵力の大半は首都アストレーゼの包囲に回していますからな。それに各方面から進撃している部隊から応援を求めるのにも、かなりの時間と労力がかかります。その間に、敵に体勢を立て直させる時間を与えることになってしまうのは明白。なんとか、今の我々の兵力だけでゲッセマネの砦は落としたいものです」
  確かにミュッセの言うことは的確だった。壊滅的打撃を与えたとはいえ、ゲッセマネの砦の守備力は侮れない。それに、他部隊に増援を頼みにいくにしても数日を要してしまうのは必須だった。その間に少しでも城壁を修復されたら厄介なことになる。
「そうだな――ミュッセ、この宿営地の兵力は?」
「リューベン様が率いていた騎兵隊、レティシア王女が率いていたゲッセマネ方面軍、そこから損害を被った兵を差し引くと、歩兵約2000名、重装歩兵約1200名、弓兵約1000名、騎兵200騎といったところです」
  頭の回転が早いミュッセは即座に返答した。
「確か、報告によると砦の城門前には500騎近くのランス(突撃槍)を抱えた槍騎士団と弓騎馬部隊が待機しているのだろう?」
  リューベンが『ランス』という単語を強調しながらネヴァンに問うた。
  ランスというのは、非常に長い槍で(普通4~5メートルの長さがある)、太く頑丈な柄と、基部の握りの前にあるカップ状の護拳が特徴だ。馬上では絶大な威力を発揮する長槍である。
「あ、ああ。俺達は後方にいたから直接目撃したわけじゃないが、最前線にいた兵達はそう言っていたな……信じていいと思う」
  ネヴァンは顎をさすりながら答えた。
「城壁がないとはいえ、砦に入るには正面から狭い橋を渡らなければならない。しかし、そうなれば槍騎士団の持つランスの格好の標的になる。おまけに砦の上からは矢の雨だ。……さて、これをどう突破するかだな……」
  リューベンは顔をしかめて、額に手をやった。他の者も何かいい方策はないかと考えを巡らせている。
  矢の雨を防ぐだけならどうにかなろう。しかし、ランスをもった槍騎士団は侮れない。
  ランスの威力は恐ろしい。馬の突進力による運動エネルギーをそのまま攻撃に加えられるのだから、命中すればそれはまさに致命的なものとなる。生半可な盾や甲冑などでは、とても防ぎきれたものではない。
  その時、レティシアが何かを思いついたように横にいるヴァハに聞いた。
「ヴァハ、たしか、ミスリルの矢の備蓄はまだふんだんにありましたよね?」
  レティシアがヴァハに聞いたミスリルの矢とは、高い硬度を持つミスリル鉱を材料とし、貫通力を極限まで高め、鋼鉄の盾であろうと弾き返されることなく突き刺さる高価な鏃(やじり)を使った矢のことである。
「え?あ、はい。備蓄は充分あります。けれど、それを使っても、弓やボウガンの射程は伸びませんよ?『矢の雨』の射程外から城門前の騎馬部隊まで届いてくれません。それに例え砦の中にいる狙撃手を狙ったとしても、それは向こうの弓矢の射程内に入ってる事を意味しますから、良くても相討ちになってしまいます」
「そう……ありがとう。ところでネヴァン、重装歩兵専用の鋼鉄の盾と鎧、それから一般兵用のカイトシールドは充分な数がありますか?」
  カイトシールドとは、縦の全長が12メートルはある大型の盾のことだ。
「ん?ああ、もちろん。それがどうかしたか?」
  ネヴァンがきょとんとした顔で答えると、
「あら、では十分ゲッセマネの砦の城門前は突破できるではありませんか?考えるまでもありませんわ」
  ひどく軽い口調でレティシアはにっこりと笑みを浮かべた。
「なに!?本当か、レティシアっ!?」
  一同は、目を丸くして屈託のないレティシアの顔を覗き込むのだった。





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