
「反乱軍がもう戻ってきたと?」
執務室で今後の砦の守備について、書面にペンをはしらせていたジキド・ザイボスの手がピタリと止まった。そして、いまいましげな顔をして、片膝をつき頭を垂れている側近の騎士グインサー・ウェイドの方を見やった。
「ハッ!斥候部隊の報告によると、その総数はおよそ6000人と200騎とのことです。その中にはリューベン王子の姿もあったと」
『リューベン王子』という名前を耳にして、ジキドの声音はにわかに興奮をおびたものに変っていった。
「何?それは本当か!?」
「ハ!銀色のティアラ、顔の特徴、聖剣オートクレール……間違いございません」
ジキドは大きく深呼吸すると、革の椅子をギシッといわせた。
「グインサーよ、これぞ天佑だ。奴は反乱軍の象徴。奴を仕留めれば、反乱軍の指揮は崩壊し、万に匹敵する敵を打ち倒した事になる……フフ、起死回生の機会をザフネス神はお与えになってくれた」
ジキドは不敵な笑みを浮かべ、両手を机の上で組んでみせた。
「して、いかがいたしましょう?」
ジキドは突然椅子から立ち上がると、鋭い声で迅速かつ的確な指示を下した。
「砦の屋上と、全ての窓に全弓兵を配置せよ!城門前にはランス(突撃槍)を持たせた槍騎士団と弓騎馬兵の混合部隊を待機させ、橋を渡る敵を片っ端から撃滅できるよう配置させておけ!いいか、リューベン王子とおぼしき人物は、全て抹殺しろ!これは最優先事項である!」
「御意に……」
※※※※※※※※※※※※
「お~、こりゃ壮観だな」
望遠鏡でゲッセマネの砦を覗いていたネヴァンは、思わずそうつぶやいていた。
敵は明らかに籠城の構えを見せていた。打ち壊したはずの城門も、完全とはいわないまでも修繕されている。
城門前にはランスを持った槍騎士団と弓騎馬兵500騎余りが待機しており、今は姿を見せていないが、砦の屋上や、窓という窓に弓兵が身を潜めているのは明らかだった。
「ネヴァン、なにをのんきな……」
水筒を渡しながら、リューベンは呆れたように言った。
「ハハハ、すまんすまん。なんか、俺にはこう、王者の威厳というか、緊張感みたいなものが足りないんだよな。ヴァハやウィンディにもよく注意されるよ」
「そんなことはないさ、緊張の連続だと人は疲れる。お前のような奴が同盟軍の将軍であることに、みんなは助かってると思うよ」
「そうかねぇ……」
その時、リューベンの返事を代弁するように背後から声が響いた。
「リューベンの言う通りですよ、ネヴァン」
「レティシア?」
2人は、同時に振り返り、同時に同じ名前を呼んだ。
「それにあなたは知勇を兼ね備えた名将でもあります。今回の作戦は、あなたとウィンディが要となります。が、私は全く心配はしていません。必ずや成功してくれるものだと信じていますよ」
そう言って、レティシアはにっこりと微笑んだ。
「おいおい、緊張させるような事を言うなよなぁ。ったく、そういうのに俺が弱いのは知ってるくせして」
「あら、これは失礼」
3人は一斉に吹き出し、楽しそうな笑い声が響いた。とても今から生死をかける者達が戦場におもむく直前とは思えない、なごやかとすら見える光景であった。
「レティシア王女!」
その時、後方に待機している本隊の方からウィンディが息を弾ませて走ってきた。
「なんですか?ウィンディ」
「ほ、本当に私なんかでいいんでしょうか?もし失敗したらと思うと……もっと身軽な者に頼んだ方が……」
ウィンディの声音は、自らの双肩に課された責任の重さを激しく感じるあまり、うわずっていた。
だが、レティシアはそんなウィンディの肩を優しく抱くと、
「何を言ってるの、ウィンディ。同盟軍内でも、あなたの俊敏さと運動神経の良さは誰もが認めるところ。それに同盟軍十二神将であるあなたがやってみせれば、兵の士気は何倍にも膨れあがります。大丈夫、ウィンディ。やれますよ。私はあなたを信じています」
「私もだ、ウィンディ。君なら絶対うまくやれる!私は今回の作戦では先発隊に参加できないが、後方から、君の勇姿を見ているよ」
リューベンは微笑みながら、ウィンディの方に手を差し伸べた。レティシアとネヴァンもそれにならう。ウィンディの震えが止まった。
「……ありがとうございます。私……私、絶対、うまくやってみせますから!」
4人はがっちりと拳を固く握りあった。心がひとつになった瞬間であった。
「そう、その意気ですよ!ウィンディ。それこそが勝利を呼び込むのです」
「俺達の力を見せてやろうぜ!ウィンディ!」
※※※※※※※※※※※※※※※※※
そして作戦は開始された。
レティシアは、まず重装歩兵を砦の正面と左右に展開するよう命じた。すかさず砦の屋上や窓から矢の雨が降り注いだが、厚い鎧で身を固めた重装歩兵にはビクともしない。鉄の集団が、まるで巨大な甲虫のようにじわりじわりと前進していく。
拠点防衛でもない限り、全身を鎧に包み大きく厚い盾を携えた、鈍重な兵を前に出す事は少ない。実際、機動力を売りにする敵騎馬兵のほとんどが、進むべき場所がなく橋の向こう側でたむろさせられていた。
重装歩兵達は剣を抜く事もなく、全身を覆うほどの厚い鋼鉄の盾を両腕でしっかりと支えていた。レティシアが命じたのはただ盾を構え、決して敵に突破されない事のみである。
まずは、砦の正面に待機している敵の槍騎士部隊を沈黙させるのが狙いだった。
槍騎士団は、この異様な戦法に戸惑い、攻めあぐんでいた。なまじ同盟軍側の重装歩兵の足が遅いだけに、考える時間は迷いに変わる。
彼ら槍騎士団の考えはこうだ。
砦の城門に辿り着くまでの橋は狭い。攻め込んできた敵の重装歩兵達は逃げる場所もなくランス(突撃槍)に貫かれ命を落とすしかないだろう……と。
ランスの威力は強大だ。全力疾走する馬に乗った状態ですれ違いざまに突き刺す一撃は、いかなる敵も蹴散らし、絶大な威力を発揮する。
しかし逃げ場がないのは彼ら槍騎士団も同じなのだ。彼らは城門を守らなければならない。そのためには同盟軍側が城門に近付いてくれば戦いを挑むしかない。
だが重装歩兵が両手でガッシリと支えた鋼鉄の盾を、ランスで貫くのは至難の業だった。出来るとするなら、その勢いで押し切り、盾を弾き飛ばし、その間隙に槍をねじ込む事だけ。
だがそれも、重装歩兵たちが武器を持つべき右腕まで盾の保持に回した時点で不可能となる。
場の緊張感は頂点に達した。
我慢しきれなくなった敵の槍騎士の一人が、ランスを構え駆け出したのだ。
重装歩兵達に緊張が走る。
「恐れるな!盾の影から身体が出なければやられはしない!」
王子という身分でありながら、同盟軍内でも最強の槍騎士として名を轟かすネヴァンは、ほぼ半身を覆うほどの縦長の盾、カイトシールドで『矢の雨』の攻撃を防ぎつつ、重装歩兵達の背後から檄を飛ばす。
一瞬の間を置き、ランスの凄まじい衝撃が重装歩兵達を揺るがした。
だが破られはしない。
重装歩兵の鎧の重量と厚さは、伊達ではないのだ。その重さは、防御を高めると同時に敵に押し切られないためのものである。
衝撃は、すぐに止んだ。敵の騎馬の入れ替えがうまくいってない。槍騎士が恐ろしいのは強い突進力を持ったランスの攻撃が連続して襲いかかる点だ。
だが先に突撃した槍騎士がどかなければ、続けて攻撃する事は出来ない。味方ごと攻撃してしまうからだ。そうなればただ少々強力な突進でしかできなくなるのだ。
「おぉ」
重装歩兵の誰かが感嘆のため息を漏らした。
槍騎士……特に集団で現れた槍騎士は、戦場でもっとも恐ろしい敵の一つだ。歩兵を蹴散らし、弓兵の攻撃を弾き返し、立ちはだかる敵をなぎ払う。たとえ重装歩兵であろうと、片腕では盾を支えきれない。
その槍騎士の突撃を、自分達の盾が受け止めた。それは驚きと共に興奮を生み出す。
「よし、陣形を乱すな。防御に徹すれば、槍騎士の攻撃といえど恐れる必要はない!」
槍騎士の脅威は去ったが、この戦いを制するには次の一手が重要なのである。敵は、すぐにランスを持ち替え、小ぶりな槍や剣で隙間を狙ってくる。ネヴァンに必要なのは、敵が冷静さを取り戻すまでに次の手を打つ事であった。
「お先に!」
背後から現れた声は、ウィンディのものだった。彼女が率いる軽装歩兵団は、重装歩兵の隙間をかいくぐりながら鉄壁の向こうへと躍り出る。
「ウィンディ!頼むぞ!」
細身の両刃刀を携えた少女と、それに続く軽装歩兵団は敵のまっただ中に飛び込んだ。着地すると同時、剣を抜き放ち銀の刃を一閃させた。
彼女達の周りにいた何騎かの馬が呆気なく崩れ落ちる。
ここまで敵陣の懐深くに飛び込めば、もう『矢の雨』は気にしなくていい。敵にとっては味方まで狙撃してしまう事になってしまうからだ。
槍騎士の包囲が一瞬広がると同時にウィンディはその隙間をすり抜けつつさらに数騎の騎士をなぎ払った。
それは攻撃と言うよりまるで華麗な舞い。
刃が陽光を弾き返し、銀の光が優雅に流れた。
敵も味方も、誰もが一瞬その舞いに心を奪われ、そして敵には確実な死が与えられる。
レティシアは冷静に事態を見極め、そして後方に指示を飛ばした。
命令が届くと、後方にたむろしていた味方の部隊から、カイトシールドと呼ばれる大型の盾で『矢の雨』を防ぎつつ、いくつかの小隊が駆け出した。目指すのは橋のほうではない。橋は未だに人が密集し、とてもではないが入り込む余地はない。
飛び出した小隊が進むのは橋の両翼。遠巻きに回り込み、そして砦をとりまく小川を挟んだ対岸にたどり着いた。兵種は弓兵隊。弓も得意とするヴァハ、レスターが指揮する小隊であった。
弓を操れるありったけの兵員が全て、重装歩兵と槍騎士が押し合っている橋の左右に位置する対岸に駆けつけた。部隊は2つの係に分かれていた。すなわち、すでに砦の両翼に展開させておいた重装歩兵の隙間からカイトシールドをずらりと前面に突きだし『矢の雨』弾く係と、その後ろに回って矢をつがえる係である。
ウィンディ率いる軽装歩兵団は槍騎士の包囲を突き抜け、その後方に待機している敵の弓騎馬部隊へと突き進んでいた。ネヴァンの目の前には、ウィンディの突撃で動揺を強め、たむろする敵の槍騎士団隊。
「撃てぇっ!」
ネヴァンは対岸の弓兵隊に向かって号令を発した。
弓兵隊は両岸で一列に並んだが、号令への反応は鈍かった。なにしろカイトシールドと重装歩兵が守ってくれているとはいえ『矢の雨』をかいくぐって狙撃しなければならないので、準備に手間取っていたのだ。素早く行動に移したのは、ヴァハとレスターの部隊だけである。
敵の槍騎士達は、不思議そうにその様子を見ていた。普通の騎士とは違いランスを保持し突進する事が基本である槍騎士は、重装歩兵には及ばないものの細かい動作を必要としないぶん防御に関してはかなり重武装である。乗馬にも鎧をまとわせ、弓の効果は薄い。
だがヴァハとレスターは迷う事なく、前面に出ている重装歩兵達とカイトシールドを掲げる兵達の隙間をぬって、それぞれ第一撃を放った。
――シュッ。
風を裂いて、一本の矢が川の向こうから飛来した。
「がっ!?」
それは一人の槍騎士の、分厚い鎧に吸い込まれるようにして、彼を馬上から突き落とした。
ゲッセマネ方面軍は、潤沢な装備を整えていた。対ゲッセマネ砦用の高価な武器防具が配備されている。
その中に、ミスリルの矢というものがあった。鋼鉄より固いミスリル鉱をふんだんに使い、貫通力を極限まで高め、鋼鉄の防具であろうと弾き返されることなく突き刺さる。槍騎士がいくら武装を固めようと、足を止め、精度の高い狙撃が行える状況に持ち込めば、その鎧の弱い部分を貫通して本体に損傷を与える事が出来る。
ヴァハとレスターの一撃が、それを証明した。
すると動きの鈍かった他の部隊も、にわかに色めき立つ。
ヴァハとレスターの隊は他の部隊に構わず次々と矢をつがえ放っていく。さも、準備にそれだけ手間取るなら自分達で充分だと言うように。
シュシュ。
音を立て矢が敵の槍騎士団を襲い、そして次々と馬上から突き落としていった。
戸惑っていた弓兵達が、慌てて自分達もミスリルの矢をつがえ射始める。
城門前の勝負が決するのはそれから間もなくの事である。槍騎士団と弓騎兵部隊は全滅し、城門から新しい増援が来る気配もない。
城門前の戦いはひとまず鎮静化した。あとは『矢の雨』に備えてカイトシールドを装備した歩兵隊が一斉に城門前に駆けつけ、修繕されかかった木の城門を斧などで破壊し、砦中になだれ込むだけでよかった。
レティシアの提案した作戦は、見事成功したのだった。
※※※※※※※※※※※※※※※※※
「どうやら反乱軍の中に相当な切れ者がいたらしいな」
砦の屋上にいたジキドは、城門前に配置した部隊の惨敗を目にして目を細めた。
屋上から矢を放っていた弓兵達も、すでに自分たちの敗北を感じ取っていた。敵の主力部隊はすでに砦内に進入してしまったのだから。
彼らがこの屋上に迫ってくるのも既に時間の問題だった。
「ハ……申し訳ございません」
グインサーが謝る事はなかった。全ての采配の責任はジキドにあるのだから。だが、口をついて出たのは謝罪の言葉だった。側近であるグインサーがもっとジキドの提案した作戦を緻密に分析していれば、という後悔の念から出た言葉である。たとえ主命であろうとも、側近であるなら、自分の頭でよく考え吟味し、そして進言しなければならなかったのだ。自分はそれを怠った。それは怠慢である。
「ゲッセマネの砦もここまでか……陛下が命を賭してまで我らを魔法で転送してくれたというのに、たった一日で陥落とは――フッ、わしにバーナードのことを嘲る資格はなかったということか……」
そう皮肉めいた口調で言うと、ジキドはマントをひるがえして踵を返した。
「ジキド将軍閣下!」
グインサーは、とっさに下に降りる階段を目指して歩くジキドを呼び止めようとした。
だが、ジキドの決意は固まっていた。
「かくなる上は、一人でも多くの反乱軍兵士どもを道連れにしてから果ててくれるわ。でなければ、陛下に対して申し訳が立たん!皆の者、わしに続け!」
「そうはいかないね!」
高く鋭い女性の声が屋上に響き渡った。
ヴァハとレスター率いる歩兵部隊が、ぞろぞろと階段から昇ってくる。階段へ通じる入り口は、完全に同盟軍兵士達によって閉鎖された。
「……もうこんなところまで!閣下!お下がり下さい、ここは私が相手を!」
即座にグインサーがジキドの前に立ち、剣の鞘に手をかける。
「あんたがゲッセマネの砦の総大将?バーナード将軍は倒したはずだったけど、代理がいたのか?」
ヴァハはそう言いながら、鞘から剣をスラッと抜き取り構えた。レスターや、他の部下達もそれにならう。
「ほう」
ジキドは一瞬驚いたようだったが、すぐに冷静になり、ヴァハとレスターを上から下まで眺め意味ありげな声を漏らした。
「バリア人か……グインサー、下がれ。他の者も一切手を貸すな!手を出せば命はないと思え!」
シーガイアの兵達はジキド・ザイボスという将軍の性格をよく知っていた。己の信念のためなら、平然と味方の首も刎ね飛ばすだろう。屋上にいた兵達は後ずさり、石になってただ傍観するだけの人形と化した。ただ、側近であるグインサーだけは引こうとしなかった。
ジキドはマントを跳ね上げながら自らの剣を引き抜いた。大人の背丈ほどもある大剣(バスタード・ソード)だ。それを片手で抜き放ち易々と構える。
「ジキド将軍閣下っ!このような下郎、このわたくしめが!」
グインサーが口にした『ジキド将軍』という言葉に、同盟軍は一斉にどよめいた。もちろんヴァハやレスターも例外ではない。
シーガイア王朝にその人ありと謳われたジキド・ザイボス将軍の勇猛さと剣の腕は、同盟軍にも轟いていたからだ。
「ジキド将軍!?あんたが、あの猛将といわれる……?」
ヴァハとレスターは思わず互いの顔を見合わせた。
それも当然である。同盟軍が手に入れた情報によると、ジキドはつい数日前まで首都アストレーゼで指揮をとっていたはずなのだ。目撃証言もある。こんなところに『いるはずがない』のだ。
ジキドは意味深な笑みを浮かべ、一歩踏み出した。
「グインサー、下がれと言っておろう――下郎だからこそ、なおさら許せんのだ。こんな虫ケラ同然のバリア人ごときが指揮官づらをしている光景など我慢ならん。バリア人などという害虫は、大人しくただ火あぶりになっているのがお似合いだ」
ジキドはそう言って刃物のような笑みを浮かべた。
ヴァハの頭にカッと血が上った。
「な、なにッ!?もう一度言ってみろッ!」
レスターは慌てた。ヴァハの声音が、みるみるうちに怒りを含んだものに変っていくのがわかったからだ。
「お、おい、よせヴァハ!挑発に乗るな!」
だが、ヴァハはレスターの制止の言葉などまるで耳に入っていない様子だった。
「バリア人などはなぁっ!消し炭になって肥料にでもなっていればいいのだっ!」
ヴァハの中で、なにかが切れた。
「き、きっさまぁーッ!!」
ぎりぎりと、革の手袋が軋みを上げるほど剣を握りしめ、そしてヴァハは突進した。
レスターは一瞬絶望した。ヴァハはまったく冷静ではなかった。自らの疲労もまわりの状況も確かめることなく、ただただ敵に向かって挑んでいる。
「あのバカ!」
レスターは思わず叫んで走り出していた。
「てえぇぇいっ!」
距離を詰めつつヴァハは渾身の斬撃を放つ。
ジキドは大剣を構えて悠々とこれを受け止め、逆に弾き飛ばした。
反撃どころではない。ヴァハはバランスを崩され、地面に転げた。
「死ねッ!バリア人めがッ!」
大剣を振りかぶり、ジキドが猛烈な勢いで振り下ろしたその刹那、レスターがヴァハの前に出てかろうじてこれを受け止めた。甲高い音があたりに響き渡り、激しい火花が散る。
「仮にも騎士の決闘に割り込んでくるとはなっ!いいぞ!それでこそゲスなバリア人だっ!」
ジキドは、小さく唇の端をつり上げながら嘲笑うように言った。
「な、なにをっ!」
次の瞬間、両者は互いに後ろに弾きとばされていた。
ジキドは何事もなかったかのように両手を大きく左右に広げると、
「さあ、二人がかりでかかって来い。それが貴様らバリア人のやり方だろう?なんなら部下全員でかかってきてもかまわんぞ!しょせん、虫ケラの仲間は虫ケラに過ぎんのだからな!」
だが、ヴァハはもう挑発に乗るような事はしなかった。バカではないということだ。
「くそ!あいつ、すごい腕前だ……」
ヴァハは肩で息をしながら、ジキドの剣技をそう評した。同盟軍最強の剣士であるヴァハ・フレイムにここまで言わせるのである。ジキドの剣技は、そのヴァハさえも遙かに陵駕しているという事だ。
ヴァハは力任せに剣を振り回す剛の剣士ではない。素早さで相手を攪乱し、的確に相手の弱い部分に攻撃を加える柔の剣士だ。そのため剣速には絶対の自信があった。それがかすりもしないどころか、あっさりと弾き飛ばされた。ヴァハには剣を交えた時にわかっていた。相手が自分よりも数段に強く、次に挑んだ時はいつでも自分が斬り捨てられるということを。
一対一では勝てない。
「ヴァハ……わかっているな?」
レスターはヴァハの側に駆け寄り、そう耳打ちした。
「ああ、たとえ卑怯者と何だろうと言われようとも……」
「俺達が勝たなければバリア人に明日はない!」
2人は剣をかまえ直し、ジキドに向かって突進していった。
その時、ようやく砦内の掃討を終えたリューベンとミュッセ、それにウィンディが屋上に昇ってきた。
リューベン達は、目の前で繰り広げられている光景に目を見張った。
眼帯をした男に、同盟軍が誇る武芸の達人が2人がかりで挑んでいるというのに、全ての太刀筋を難なくかわされ、逆に2人の方が一方的に押しまくられているように見えた。
眼帯の男の動きは素早く、鋭い打ちこみや、驚くほど鮮やかなフェイントを使い、2人を確実に追いやっていた。相手は凄まじい手練れだと、リューベン達にもすぐにわかった。
「ヴァハッ!レスターッ!」
リューベンは2人の名を思わず絶叫した。
すぐに加勢に向かおうとするリューベンだったが、万力の力をこめて左手をがっちりと掴まれた。振り向くと、そこにはウィンディの真剣な眼差しがリューベンを射貫いていた。
「何するんだウィンディ!あの男の太刀筋を見ろ!2人とも殺されてしまうぞ!」
リューベンはウィンディの手を振りほどくと、戦っている2人の方を指さして怒鳴った。ウィンディも相当な手練れの剣士だ。敵の実力がわからないはずがない。
だが、ウィンディは少しも動じることなく、首を横に振った。
「今、加勢に入って勝ったとしても、リューベン王子……後であなたは2人から本気で殴られ、憎まれるだけですよ」
「なぜ?!今まで私達は騎士としての誇りを捨てて戦ってきた!だからこそ、ここまで勝ってこれたんじゃないか!?」
リューベンの言う事はもっともだった。
シーガイア王朝の騎士や兵士達は、ザフネス教や騎士道としての誇りを重んじるあまり、敵前逃亡の拒否、主に対する絶対的な服従、一騎討ちの精神などを至上のものとしている。
その証拠に、ジキドの戦いを見守るシーガイア兵達はビクとも動こうとしない。
同盟軍は逆にその点につけこみ、ゲリラ戦法や不意打ち、多勢で襲いかかるなどの一種卑怯ともとれる戦法を何でも駆使してきたからこそ、強大な軍事力を持つシーガイア王朝をここまで追い詰める事ができたのである。
だが、今のウィンディの言は違った。
「私、カルム人だからよくわかるんです。あの2人の気持ちが……2人はバリア人としての誇りを賭けて戦っている。余人が立ち入る事はできない」
そう言いながら、ウィンディは自分の顔に刻まれている傷の痕を静かになぞった。
「誇り?殺されたら何にもならないんだぞ!それに、そんなものはみんなで捨てたはずだ!」
勝つためには仕方ない。
その思いで、王族たるリューベン達でさえも『騎士としての誇り』を涙を飲む思いで捨て去り、今日までやってこれたのである。
「リューベン様の言われるとおりです、ウィンディ公女、かたくななこだわりは味方を死なせるだけです」
ミュッセは眉をひそめて、ウィンディの理論を否定する言葉を投げつけた。
「あなた達がバリア人なら、加勢してもいいかもしれない。けれどあなた達は私達とは違います。ミュッセ殿、かたくななこだわりなんかじゃない。2人が守ろうとしているものはとても大切なものよ」
リューベンはやっと気付いた。
ヴァハとレスターは生粋のバリア人。ウィンディも劣等人種と蔑まされてきたカルム人である。ザフネス教では高貴な人種とされる、ウォルス人のリューベンや、アヴェレスト人のミュッセなどとは、シーガイア王朝に踏みにじられてきた次元そのものが違うのだ。騎士としての誇りは捨てても、自分に対しての、自分の人種に対しての誇りは捨てきれるものではない。その証拠に、ここにいるウォルス人、アヴェレスト人の同盟軍兵士達は固唾を飲んで2人の戦いをじっと見守っている。
「……!そういう事…なのか?」
「そう。だから……だから、ここは耐えてください。リューベン王子……」
「デヤァッ」
レスターは相手をワナにかけるため、同じパターンの攻撃を3回繰り返した。左肩へのフェイントから右肩への打ち込み、そして首を狙っての変化。
「ふん、そうやって無茶苦茶に剣を振るった所で無駄なだけよッ!」
ジキドは大剣を振りかぶり、猛烈な勢いで振り下ろす。
間一髪でよけるレスター。しかし、完全には避けきれずレスターの右腕を守っていた金属製のこてが弾けとび、肉が切り裂かれ赤いしぶきをあげた。
「素早さならあたしの方がッ!」
ヴァハは全速で斬りつけ、斬り返し、突き、払う。しかしその全てをジキドは易々とかわし反撃を加えていく。いずれも紙一重で避ける事ができたが、確実にヴァハの体を傷つけていった。
2人は疲労の極地にあった。情けない事に、自分たちの倍以上の年齢であるジキドのほうが、まだまだ余力を残しているように見えた。2人はすでに自ら攻撃をしかける事ができず、防戦一方に追い込まれていた。
「ほらほら、どうした?避けるだけでは始まらないぞ!」
大振りは変らない。しかし、ヴァハは同時にある事に気付いた。避ける事に集中する事でジキドを観察することになったのだ。
そしてさらに攻撃をかわす内に、ジキドの大きなクセに気が付いた。振りが大きすぎ、攻撃をかわされたあとの背中がまったくの無防備になるのだ。
一撃、
二撃、
さらに繰り出される攻撃をかわしながら、ヴァハは確実に間合いを見極め、次の一撃が自分ではなくレスターの方に繰り出されるのを待った。そして次の一撃がレスターの方に振り下ろされようとしているのをヴァハは見逃さなかった。
ヴァハは今までよりも一歩だけ大きく動いてジキドの背後に回り込んだ。
踏み込むと同時に剣を振り上げ、腕の、肩の、背の、腰の筋肉を使って限界まで体をねじり上げ力を溜め、そして放つ。
「つああぁぁーッ!!」
ヴァハの渾身の一撃は、確かに背後からジキドの体を捉え、心臓を貫いた。鎧や何か他の防具ではない、人間の肉の感触が確かに伝わってきた。
「ガァッファッ!!」
ジキドの口腔から大量の鮮血が吐き出された。振り返ったジキドは一瞬信じられないような顔で、ヴァハの顔を凝視した。
「ジキド将軍閣下っ!!」
シーガイアの兵達の中に戦慄が走り、ジキドの名を叫んだ。
「こ、このわしが、バリア人ごときに?……バ、バカな……。へ、陛下……」
呻きながら、ジキドは地面に膝を落とし、そのまま絶命した。
「や、やった!」
2人を見守っていた同盟軍から一斉にうおーっと勝利の歓声があがる。
リューベンとウィンディは、崩れ落ちた2人のもとに真っ先に駆けつけ抱きかかえた。
「大丈夫かっ!?レスター、ヴァハ!?」
2人とも体中切り傷だらけで、肩でぜいぜいと息をを弾ませていたが、幸いなところ致命傷は負っていないようだった。
「へへ……思ったより手こずっちゃった」
そう言って、ヴァハは白い歯を見せてニッと笑ってみせた。
「それだけのへらず口がたたけるなら安心だな……」
リューベンは半ば呆れながらも優しく微笑んだ。
「間一髪でしたね。ヴァハの機転がなければ危ないところでした」
レスターは体中の痛みをこらえ、なんとか立ち上がった。ヴァハも、リューベンの手を借り、起き上がった。
「シーガイアの諸君!貴公らの大将は死んだ!武器を捨て、すみやかに投降せよ。決して無下には扱わぬ!」
ミュッセの投降を呼びかける声が屋上じゅうに響いた。
だが、そのミュッセの言葉に対してシーガイアの兵達は目をぎらつかせ、睨み付けた。
「ふざけるな!誰が投降など!」
「バリア人どもを擁している反乱軍に命乞いするぐらいなら、死を選んだほうがマシだ!」
「我々は最後まで戦う義務がある!」
凄まじい野次と罵倒の嵐。あくまで彼らは徹底抗戦を続けるつもりだ。
「静まれ!」
それを鋭く制したのは、ジキドの側近だった騎士グインサー・ウェイドだった。
「皆の者!無念であるが、我らが大将、ジキド将軍閣下は敗れ去った。閣下が亡くなった今!たった今からこのグインサー・ウェイドが将軍の位を引き継ぐ!」
場の空気がシンと静まりかえった。誰もが固唾を飲んで次のグインサーの言葉を待った。
グインサーはすうっと大きく息を飲み込むと、胸を張って絶叫に近い声を張り上げた。
「全兵に告ぐッ!リューベン王子を殺せッ!」
「ハッ!」
グインサーの号令を合図に、シーガイア兵達は一斉に弓を投げ捨て鞘から剣を抜き、リューベンめがけて襲いかかってきた。
「これだから、シーガイア王朝の人間はッ!」
怒りを感じながら抜刀するリューベン。
「皆の者!リューベン様をお守りするのだッ!かまわん、シーガイア兵を皆殺しにせよ!」
ミュッセは即座に同盟軍兵士たちに号令を発した
「おおっ!」
同盟軍兵達はリューベンの周りを固め、襲いかかってくるシーガイア兵達を迎え撃った。
勝敗は明らかだった。
砦の屋上にいた兵達は、主に弓を専門として訓練された兵士達である。歩兵部隊としての訓練を受けた同盟兵にかなうはずがなかった。おまけに一方は勝利を目前にし、一方は惨敗を喫して指揮官であるジキドまで失ったのである。士気には天地の開きがあった。
次々と同盟軍の前に打ち倒されていくシーガイア兵達。その中から切りこむように突進してくるグインサーの姿があった。
「リューベン王子ッ!覚悟おぉぉ!」
グインサーは奇声に近い絶叫をあげながら、リューベンの脳天めがけて剣を振り下ろそうとした。
しかし、リューベンの周りを固めていた兵達の剣によって一気に胸を貫かれ、口から鮮血をほとばしらせ、その場にドウッと倒れ込み絶命した。
その後も同盟軍によるシーガイア兵の『掃討』は続いた。その光景は、あまりにも一方的すぎた。
夕方になり、全てが終わった頃には、赤い夕焼けに照らされた砦の屋上は血の海となっており、シーガイア兵の屍の山で埋め尽くされていた。
リューベンは、無念さのあまり、死体の山に向かって絶叫した。
「せっかくの機会を……助けてやると言ったっ!命をなんだと思っているんだっ!」
そのリューベンの様子を、少し悲しそうな表情で見守っていたミュッセは瞼を閉じ首を振った。
「仕方ありますまい。シーガイア王朝の人間は、狂信的なまでにザフネス教を信仰しています。死して地上になくなったとしても、自らの使命を果たせば、死後、遙か天空に位置されるという『天界パージ』に昇れると信じているのです。どこまでも我々と相容れぬわけです……」
そう、幼い頃からミュッセから何度も聞かされてきた。
ありもしない神と天の世界を信じ、そのためなら平気で自分の命を投げ出させる宗教。それがザフネス教だと。
自分たちとは根本的に『死』に対する概念が違うのだ。もちろん、人種迫害を代表とした他の思想も……。
「さあ、リューベン様、落ち込んでいる暇などありませんぞ。これからが正念場です。やらなければならないことは山ほどあります。そして、それはリューベン様にしかできぬ事なのです。まずは、ジキド将軍の首をゲッセマネの砦に残ったシーガイア兵達の前に晒し、投降を呼びかけませんと……まあ、無駄だとは思いますが」
ミュッセは軽いため息をついた。彼だって気が重いだろう。
「わかってる……わかっているっ!ミュッセ!」
歯を食いしばるような思いだったリューベンは、こぶしを固く握りしめ、怒鳴るように返答した。
このぶんだと、5万もの市民が暮らす首都アストレーゼ戦はどうなるのかと、今から気が重く、足をひきずるようにして砦の屋上をあとにした。
ゲッセマネの砦は、完全に占拠され、ファルコン自由解放同盟の新しい拠点となった。
ゲッセマネの砦からは、シーガイア王朝首都アストレーゼは目と鼻の先である。これからファルコン自由解放同盟は、各方面からの補給線を街道を経由してゲッセマネの砦に最大限に集中させて、大量の物資と兵力を首都アストレーゼにいくらでもぶつける事ができるのである。
首都アストレーゼの城壁が破られ、最終決戦に突入するのも時間の問題だろう。
最大の問題は、そこに住む狂信的なザフネス教信者の市民達をどうするかだが……。
しかし、それから3ヶ月近く経ち、思いがけない書簡がゲッセマネの砦に届いた。
なんとそれはゴルベリアス王直筆の書簡で、大敗したシーガイア王朝側はもはや戦争を続行するのは困難だとして、同盟軍側に『首都アストレーゼの開城を条件に、首都の市民全ての安全を保証してもらいたい』と要請する内容のものだったのである。
リューベンをはじめ、同盟軍の誰もがホッと胸をなでおろした。
これで無抵抗な市民を虐殺しないで済むと思うと、本当に心休まる思いだった。
あとは、騎士と騎士の戦いである。が、これは武器をもった対等な軍人同士の戦いなので問題にする事はなかった。
だが、これが本当の地獄の始まりになるとは、この時は誰一人として予想だにしなかったのである……。