
「ここだと思ったよ」
「ネヴァン……」
軍議の時とはうって変った、いつも通りの気安さのこもったネヴァンの声にリューベンは振り向いた。
「お前、河が好きだものな。それも広い夜の河がさ。なにか行き詰まることがあると、いっつも河のほとりに一人でボーッとしてやがる。いいかげん、お前のクセなんか読めてきたよ」
「……静まるんだ。河のせせらぎを聞いてると。嫌な事も忘れて、落ち着く……月がでていればなおいい……」
二人の目の前には、ファルコン半島の生命線ともいえるアストリア運河が静かに横たわっていた。
広大なアストリア運河は、月光に照らされ神秘的な光を放っており、それでいて流れは穏やかそのものだった。
「情けない話だよな…私はファルコン自由解放同盟の盟主だというのに、思い通りにいかない事にうろたえて、ダダをこねたりして……なんで、こんな男にみんながついてきてくれるのかって、いつも不思議でならない……」
リューベンはネヴァンの方を見ることなく、自嘲気味に独白した。
ネヴァンは、河原に座ったままのリューベンの横にゆっくりと腰をおちつけあぐらをかいた。
「……悩むのは尊いことだ。最初から全ての物事が分かっていて事を進められた者がいるか?そうやって一歩一歩、みんな君主としての器を完成させて成長していくんだよ。ただ……今の俺達には時間がない」
「わかってる。兵士達を鼓舞し、士気を高めるのが私の役目だ。それが迷ったままだと、困ると言いたいんだろう?」
「ま、端的に言えばその通りだな。王家の血筋を受けた者が誰でも盟主をやればいいというものじゃない。このファルコン自由解放同盟は、お前が導いてきた。リューベン、お前でなくてはならんのさ。と、言うかお前にしかできない」
その通りだった。
王族の血筋が流れている者だったら、同盟軍の中にもニュクス王国王子であるネヴァン王子、ディアナ王国のレティシア王女、エレボス王家の傍系であるレスター、ネメシス公国のウィンディ公女といった若く、高貴な人材が揃っている。
しかし、彼らでは、やはりネヴァンの言うとおり無理なのだった。
人々は、かつてのファルコン共和国の宗主国、クルトニア王国王子であるリューベン・スターロードに『英雄』としての、そして『ファルコン半島』そのものの幻想を重ね合わせている。
それはリューベンも十分承知していることだった。
しかし、そのあまりにも大きすぎる期待に応えようとするあまり、リューベンはいつも苦しい決断を迫られてきたのも、また事実なのである。
「ネヴァン……私は間違っているのだろうか?ヴァハの言うとおり、確かにアストレーゼ市民は、ザフネス教の信者がほとんどだ。彼らが害虫のようにバリア人やカルム人を蔑んできたことも知っている。私がウォルス人だから、心から彼らの気持ちが分からないだけなのだろうか……?」
ザフネス教では、リューベンは最も高貴で『神の子』とされるウォルス人の血統である。
そして、ネヴァンやミュッセといったアヴェレスト人は二流の人種に属する。しかし、改宗し、努力さえすれば上の階級に進むことを認められていた。それゆえに、ネヴァン達は、ザフネス教の信者達から軽視こそされるが、風当たりはそれほど強いものではない。
ウィンディに言ったら怒られるだろうが、三流人種とされるカルム人でさえ、奴隷身分という道が残され、同じく改宗さえすれば上の階級に進む事を認められているから、まだマシな方といえる。
最下等人種であるバリア人はそのような権利すら与えられていない。
産まれたときから死ぬまで、永久に粛正の対象のままなのだ。
「そういうことは、思っていても口に出すものじゃないな。……お前は立派だよ。シーガイア王朝を討ち滅ぼすことだけを考えれば、もっと簡単に事は進んだかもしれん。だが、お前はこのファルコン半島から、ザフネス教まで追放するという。これは大事(おおごと)だ。人種の問題や、宗教、人々の生活の在り方……全てを解決しなければならんということだからな。お前のやろうとしていることは、途方もない苦労がつきまとうだろうが、あえてお前はその道を選んだ」
「ああ。私は、これ以上、バリア人やカルム人、アヴェレスト人達が苦しむ姿を見たくない……生まれの人種だけで不当な扱いを受けるなど、あってはならない事だ」
そう言って、リューベンは河原の小石をつかむと運河にポチャリと投げ入れた。
「さっきな、ウィンディに『あなたは他人の糞を食えと言われたら食えますか?』と聞かれた時、ギョッとしたよ。迫害って、そういう事なんだよな……殺されたり、拷問を受ける事ばかりが迫害じゃない。心の底から屈辱を与えられ、自我をメチャクチャにされる事の方が多いんだ。それを私は、忘れかけてたのかもしれない……フッ、情けないだろ?」
「思い出せただけ、いいじゃないか。それを胸にしっかり刻み込んでおけばいい。絶対忘れないようにな」
「そうか……ネヴァン、お前ってどこまでも優しい奴だよな。――だが、アストレーゼの市民もまた同じ人間だろう?……本当のことを言うと、私だって彼らが憎いよ。祖国を奪い、両親を殺したシーガイア王朝の市民ともなれば、憎き仇には違いない……」
「そりゃ、そうだよなぁ……」
ファルコン半島の人々が敬う『勇者リューベン』にあるまじき発言である。
しかし、ネヴァンはじっとリューベンの告白に耳を傾けていた。
いつもそうであった。
リューベンにとって、ネヴァンだけは同じ亡国の王子という似た境遇という事もあり、唯一仮面を脱ぎ捨てて語れる相手だった。
「だが、それではいけないんだ。誰かが、この憎しみを断ち切らねばいけないんだ……」
リューベンは絞り出すような声で言った。
「昔の私達は……弱かった。ファルコン半島に住む人々は、おだやかで、か弱くて……戦いなんか知らなかったんだ。なにしろ200年間も戦争などなかったのだからな。それが、強力な武力と闘争心を持つリドル神聖国とシーガイア王朝につけ入るスキを与えてしまった。それからというもの14年間も、シーガイア王朝の影に怯えながら暮らしてきた。だが、今は私達の方が力を持っている。それをどう使うかなんだよ……復讐心を爆発させてまた新しい憎しみを生むか、次の世代のために道を開くか……なあ、ネヴァン、お前ならどうする?」
その問いに、ネヴァンはウ~ンと唸り、首を上げて天を仰いだまま言った。
「陳腐で口に出すのも恥ずかしいんだが……憎しみからは何も生まれないぜ?」
「ああ、わかってる。それで?」
「それだけ」
「え?」
リューベンは、肩すかしをくったような思いだった。
「いや、だってそれが世の中の常じゃないか?大昔から言われ続けてる事は、あれで案外バカにできないものだぜ?それにお前の中で答えはもう出てるじゃないか」
「そうなのか……?」
リューベンの頭の中には依然としてモヤがかかっているというのに、ネヴァンはもう見抜いているようだった。
「それにな、例えここで俺がもっともらしい事をクドクドお前に語ったとしても、意味ないんだよ。お前の中ではもう答えは出てる。俺は、そんなお前を助けるだけだ。導く事はできない。お前と長く付き合っていて、それがよく分かったよ」
「………」
リューベンは、自分でも意識してない事を指摘されて、思わず口をつぐんだ。
そんなリューベンを見て、ネヴァンの翠色の瞳がキラリと光り、ずいと顔を近づけてきた。
「ただ、これだけは言わせてくれ。この戦争が終われば、お前はファルコン自由解放同盟を率いた盟主、そしてファルコン共和国の宗主国クルトニア王国の王として、このファルコン半島を治めていかなければならない。その時の苦労は、今の比じゃないぞ。想像を絶するような残酷さがお前を待ち受けてる。おびただしい数の不条理がお前にのしかかってくるはずだ。いわば、これはお前に与えられた最初の試練だと俺は思う。しかも、これでさえほんのささいな事なんだ。お前は試されているんだよ、リューベン。ファルコン半島の未来を背負う者としての器があるかどうか、な」
「…そ、そうだな……」
珍しくネヴァンが、まばたき一つせずに真剣そのものといった口調で喋る威圧感に気圧されて、リューベンは思わず吃ってしまった。
「お前はよくやっていると思う。普通なら、こんなに時間をかけて敵国の市民を手厚く保護しようとはしない。軍人としちゃ、はっきり言ってアホだ。
だがな……お前は、人の命の尊さを知っている。人の悲しみを共に悲んでやろうと努力することができる。それこそがファルコン半島の君主として最も必要なものだと俺は思う。例え理想主義的すぎると言われようがな。しかし、そんなお前だからこそ、みんなもここまでお前についてきた。俺だってそうさ。俺はな、お前がファルコン共和国宗主国クルトニア王国の王子であるとか、自分がそれに従うべきニュクス王国の王子だからといってお前に剣を捧げたわけじゃない。お前の心に光を見たからこそ、剣を捧げたんだ」
「ネヴァン……」
自信が常にぐらついているリューベンにとって、ネヴァンの言葉は気恥ずかしくもあり、また嬉しくもあった。
「リューベン、自分に自信を持て。例えアストレーゼ市民を惨殺してしまったとしても、それでお前が糾弾されるようなことがあっても、俺たちはお前を全力で支えていく。ヴァハも、ミュッセも、レスターも、レティシアも、ウィンディも、エクスも、他の奴らだって……口ではああ言っているが、心底お前に惚れ込み、力になりたいからこそ、ついああいった言い方になってしまう。いいか、お前のそばには俺たちがいる。そのことだけは忘れてくれるなよ」
そう言い終わると、ネヴァンは大きく両手を上に突きだし伸びをした。
「あ~、柄にもなくクソ真面目な事を言っちまった。恥ずかしいったりゃありゃしないぜ!」
そう言ってネヴァンは苦笑混じりに頭を掻くと、すくっと立ち上がり、その場を後にしようとした。
「ネヴァン!」
リューベンは大声でネヴァンを呼び止めた。
「ん、なんだ?」
「……ありがとう……」
「水くさいな。俺とお前の仲じゃないか。そう真顔で言われると、こっちまで照れちまうよ!」
白い歯を見せて、ネヴァンは笑ってみせた。
リューベンには分かっていた。
ネヴァンは、リューベンに対していつも具体的にこうしろとか、ああしろとか具体的に進言したり忠告することはなかった。
ただ、リューベンが本当に疲れ果て、どうしたらいいのか途方に暮れている時も、ずっと傍で見守ってくれている。
そう、どんなに醜くて情けない自分をさらけ出しても、いつも変わらぬ場所で見守ってくれていた。
リューベンは、ネヴァンこそ最も信頼できる戦友であり、親友でもあったのだと改めて思うのだった。