第12章 悪魔の証明

「主だった将軍達の集まった軍議で、しかもリューベン様の前で、『魔法』の事を口に出すなんて……とてもいつもの姉上とは思えません。一体、どうなさったのです?」
  レティシアの実の妹エクス・ビュネーンは、聡明な姉が公の場でなぜあのような馬鹿げた発言をしたのか、ずっと不思議でならずレティシア本人に問い詰めるため、彼女の執務室にいた。
  執務室の中は、机の上にある燭台の明かりだけで全体的に薄暗く、赤い3つの火がゆらゆらと揺らめいていた。
  レティシアは妹の問い詰めに答えず、机の上にある書類にペンをカリカリと走らせている。
「姉上!聞いているのですか?」
  普段は所在なさげに、どこかおどおどしているエクスだったが、珍しく声を荒げた。それも、全て姉レティシアの事を思っての事だった。
  エクスは、長くて白い両腕を机の上についた。
  武芸の達人が多い同盟軍十二神将の中で、エクスは最も華奢な体付きをしていた。体はほっそりしていて、手足が可憐に小さく、アーモンド型の大きな目にブルーの瞳。顔は愁いを含んで、梨の花のごとくかすかに青く、服の好みもしとやかで、黒のドレスにディアナ王国の象徴である月の紋章をあしらった翠色のケープを羽織っている。

 ゲッセマネの砦にレティシア専用に割り当てられていた執務室は、うず高く本が積み上げられ、膨大な数の蔵書の山で埋もれていた。
  彼女の博識さは同盟軍内でも有名であった。
  政治、歴史、経済、哲学……レティシアは、これら全てを読破し、精通しているのはエクスも承知している。
『一国の長(おさ)として立つには人間離れした超人的な能力が要求されるのですよ』というのがレティシアのエクスに対する口癖だった。
  げんに彼女は剣術の腕前も、いざとなればリューベンに匹敵するほどの持ち主なのだ。
  だが、レティシアはあえてそれを隠し、ファルコン自由解放同盟の偶像(アイドル)としての態度を崩すことはない。
  決して空気の読めない世間知らずなお姫様ではないのである。
  それなのに軍議でのレティシアのあの言動……どう考えても普段の姉とはかけ離れた態度であった。あれがもし本気だとしたらバカだとしか言いようがない。

 エクスのしつこい詰問に対して、書類にペンを走らせていたレティシアは手を休め、革の椅子をギシッといわせた。
「エクス、覚えておきなさい。集団の中で自分の地位を高めるにはどうするか?それは、高い能力を隠しておいていざというときに突然披露してみせるか、最初に無謀な作戦を提案してみせて、それを実行、達成するかのどちらかです。さすれば、周囲の評価は何倍にも膨れあがります」
「では、軍議中での『魔法』についての言動はわざとだとおっしゃるのですか?」
「注目を集めておくには越したことはありません。今から行う計画にとっては」
「……計画?」
  姉が何を考えているか訳が分からず、エクスは眉をひそめた。
  その時、執務室のドアがノックされた。
「お入りなさい」
  レティシアがそう言うと、ドアから精悍な顔つきの青年が入室してきた。
  エクスは振り向いて、その青年を凝視した。
“バリア人?”
  その男は薄紫の髪を短く刈り込み、細く尖った顎をしていた。身を切るような鋭い印象を全身から発散させており、黒い瞳の奥底にはあふれ出んばかりの野心といったものが見え隠れしていた。袖のない粗末なチュニックを身につけているが、そのおかげで筋骨隆々とした鍛えられ上げた肉体が一目で分かる。
  印象深い顔つきなのだが、しかしエクスはその青年の事をなかなか思い出せない。
ゲド・カルザスです。レティシア様、エクス様、夜分に失礼いたします」
  青年は使い慣れない敬語と、同盟軍十二神将の二人を前にしていささか緊張しているようだった。
「まあ、そう固くならずに……散らかっていますけど、掛けてください。いい機会です。エクスも聞いていなさい」
「あ、はい……」
  レティシアの物腰はあくまで柔らかかった。
  カルザスとエクスの2人は、レティシアの机の正面に置かれている木製のゆったりとした肘掛椅子に腰を降ろした。
「カルザス、ここに来る前に誰かに姿を見られなかったですか?」
  その時だけ、レティシアの口調は鋭いものをおびたものに変わった。
「はい。宿舎の傭兵仲間には、うまくごまかしてありますから」
「結構です」
  カルザスの横顔をちらちら見つめていたエクスはやっと合点がいった。

 ゲド・カルザス。
  確か元はディアナ王国の平民出身で、旅の傭兵をやってファルコン半島各地を放浪していたところを、数年前にレティシアに見いだされ、ファルコン自由解放同盟の第13傭兵部隊隊長に任命された男だ。
  その武芸の腕は確かであり、同盟軍でも同じ平民出身のヴァハ・フレイム将軍にも引けをとらない程の歴戦の戦士だともっぱらの噂である。
  そのカルザスを使って姉は何をさせようというのか。

「カルザス、これから貴方に重要な任務を与えます。今からディアナ混成騎士団を率いて首都アストレーゼを迂回し、国境付近のディール砂漠にあるアンゼルの砦を監視するのです」
  エクスもカルザスも、そのレティシアの唐突な内容にあっけにとられ、一瞬耳を疑った。
  明朝、同盟軍は全軍をもって首都アストレーゼにむけて出陣する予定である。
  当然、カルザスの属する傭兵部隊もそれに参加する手筈だ。
  それに、アンゼルの砦はすでに同盟軍の占領下にあり、同盟軍にとっても、今のシーガイア王朝にとっても戦略的価値がまるでない。
  そんな砦をなぜ監視する必要があるのか?

「レティシア様?それはどういう……?」
  カルザスは、レティシアの意図のつかめない命令に対して問いかけた。
「わからないのも無理はないでしょうね」
  そう言うとレティシアは革の椅子から立ち上がり、天井まで届かんばかりのズラリと並んだ本棚の中から一冊の古びた本を迷うことなく取り出し、机の上に置いた。
  かなりの年代物なのだろう。
  本の装丁はボロボロで、表紙には何かしらの題名が記されているが、かすれて判読不可能だった。
「レティシア様、この本は……?」
  レティシアは革の椅子に座り直し、手を組み合わせると、いつもの穏やかな口調で説明した。
マグスが使うとされる魔法について記された『魔導書』です」
  エクスもカルザスもあまりの事実に椅子を蹴るようにして立ち上がった。
「姉上ッ!一体どういうおつもりなのです?同盟軍内では、焚書ものの魔導書をこれみよがしに所持していたとは!それも無防備に本棚などに置いて……誰かに見つかれば、いかに姉上といえどもただではすみませんよ!わかっているのですかッ!?」

 ファルコン自由解放同盟では、魔法が存在すると信じることがタブーなのはもちろん、魔導書を所持することも禁じられていた。
  例えそれが学術的研究や調査のためでも、である。
  魔導書を所持するということは、多少なりとも魔法がこの世に存在するということを信じているとみなされるからだ。
  それゆえ、今まで同盟軍はシーガイア王朝の施設を占領した後、魔導に関係する書物全てを焼き払う『焚書』を行ってきた。
  同盟軍内では、『魔法についての知識そのもの』が悪なのである。

「落ち着きなさい、エクス。外に声が漏れたらどうします。――私が何も考えずに魔導書を本棚に収納していると思いますか?逆です。ここまであからさまに魔導書を他の蔵書にまぎれさせておくと、かえって盲点になって、人は見過ごすものです。だいたい、今日まで同盟軍が占領地で戦利品として持ち帰った魔導書は、『焚書』として即刻全て焼き払っていたのですから、これが魔導書かどうか見極めることすら困難です。あなた方とて、私が説明するまで、この本が『魔導書』であると気付きもしなかったでしょう?」
  レティシアは理路整然と説明し、エクスは反論する機会を逸してしまった。
「それは、そうですが……」
「なら、いいではありませんか。こんな事は瑣末なことです。それよりも時間が惜しい。二人とも、これから私が話すことを、迷信と決めつけずによくお聞きなさい」
  レティシアはそこで一旦言葉を句切り、続けた。
「私が魔導書から得た知識に照らし合わせ、なおかつ私の読みに狂いがなければ、ゴルベリアス王を筆頭にシーガイアの王侯貴族といった首脳陣が『アンゼルの砦から』リドル神聖国の国境付近まで亡命を計るはずです」
  レティシアは、はっきりと自信に満ちた口調でそう言ったが、カルザスとエクスは、レティシアが『首都アストレーゼから亡命』の言い間違いではないかと耳を疑った。
  ゴルベリアス・イレードをはじめとしたシーガイアの首脳陣が首都アストレーゼにいるのは誰もが知っていることである。
  同盟軍の間では常識だ。
  しかし、ここは戦場のプロである傭兵として、カルザスは冷静な意見で反論した。
「……恐れながら、レティシア様。それは絶対に不可能です。首都アストレーゼは同盟軍数万の兵によって完全包囲されています。国境に近いアンゼルの砦にたどり着くには、その包囲網を突破しなければなりません。脱出用の地下道を掘るにしても、アストレーゼからアンゼルの砦は距離が百数キロも離れています。ただでさえ兵糧攻めにあっているアストレーゼに、そんな余裕はありません。物理的にも距離的にも不可能だと断言できます」
「そう、普通の方法なら不可能でしょうね。ですが、マグスの魔法をもってすれば不可能ではありません。この魔導書によると、マグスという存在は超常的な力を持つ人種であり、その魔法の中には物質を瞬時に別の場所に瞬間移動(テレポーテーション)させる力さえ存在すると記されています」
「物質を全く別の場所へ瞬間移動させる?」
  エクスはまだ疑いのこもった口調である。カルザスも口には出さずとも同じ様なものだった。
「ええ。ですが、どこにでも、というわけではありません。マグスは、自らの精神力を源にして魔法を行使するそうですが、自分の精神力のみで自由自在に瞬間移動ができるのは、距離にして最大で数百メートルが限界です。それ以上の長距離となると、特殊な結界を張った転送用の魔法陣(ゲート)が必要になるそうです。
6ヶ月前、同盟軍が占拠したアンゼルの砦には、この魔導書に記された転送用の魔法陣(ゲート)と全く同じものがあると報告を受けていました。シーガイア側の首脳陣が、魔法を使って脱出するとしたら、シーガイア王朝の母国であるリドル神聖国国境付近のアンゼルの砦を選ぶのが、彼らにとって一番安全かつ確実なはずなのです」
  レティシアは、そこで一息ついて、エクスとカルザスの顔を交互に見比べた。
「……まだ信用しきれないといった顔つきですね。まあ、仕方のない事かもしれません。思えばリューベンをはじめとしたファルコン自由解放同盟全体が『魔法』というものを完全に架空のものとしてとらえているから、見落としていることも多々あるのです。よく思い出してみなさい」
  話を聞いていた二人は、記憶の糸をたぐりよせながら、レティシアの指摘にあたる部分を掘り起こそうと試みてみた。
  それを横目に、レティシアはさらに続ける。
「例えば、行軍中にいるはずのない有名な指揮官や小隊、首都アストレーゼを警護しているはずのシーガイア神聖騎士団が突如として現れ、奇襲をかけてきたことが何度もありましたよね?他にもあります。これまで多くの砦や要塞を攻略してきましたが、いざ戦いが始まると、事前に放った密偵が報告してきた敵の総数を遙かに上回る兵達が抵抗してきました。もちろん、偶然やミスといった要素もないこともない。ですが、冷静に考えてみると妙な力が働いているとしか考えられないような不可解な出来事が多すぎるのです。違いますか?」

 確かに。
  カルザス自身も全く敵と出会うはずのないルートの行軍中に、一体どこから湧いてきたのかと思えるほどの騎士団に奇襲をかけられたことが何度もあった。
  それにレティシアの言うとおり、逆にこちらが奇襲をかけて要塞や砦を襲撃したにもかかわらず、いざ戦いが始まると、あらかじめ敵が来るのがわかっていたとしか思えないような膨大な兵士の数に辟易した思いもある。
  敵は、補給線も何も確保してないだろうに、だ。
  だが、不可解だとわかりつつも、カルザスをはじめとした同盟軍兵士達は、こちら側の計算ミスだと自分たちを無理矢理納得させてきたのだ。

「このゲッセマネの砦の攻略には、特に不可解な事が起こっています。ミュッセが提案してくれた作戦のおかげで、4ヶ月目で陥落できそうだったのが、突然どこから湧いたのか2000を越える大軍がいきなり出現し、我々は一時撤退を余儀なくされました。砦の補給線も情報網も完全に断ち、完全包囲していたにもかかわらずにです。
結局、あの正体が何だったのか、誰も説明する事ができず、『シーガイア側にとっても背水の陣で臨んだからだ』とか言う訳の分からない精神論で片付けてられてしまいました。
特に不思議なのが、砦も首都も完全に包囲していたにもかかわらず、首都アストレーゼにいるはずのジキド・ザイボス将軍がなぜか途中から参戦し、ゲッセマネの指揮を執っていた点です。彼が首都アストレーゼにいたのは同盟軍の誰もが知っていました。多くの目撃証言もあります」

 同盟軍にもその名を轟かせる、猛将と名高いシーガイア軍のジキド・ザイボス将軍が、同盟軍の包囲網によって近寄れるはずのないゲッセマネの砦で指揮を執り、ヴァハとレスターと激戦を繰り広げられたのは記憶に新しい。
  同盟軍の一部では、こちら側に畏怖の念を植え付けるための影武者ではないか?と噂されたほどだ。

「そして、ここからが重要なところです。実は今、私達がいるゲッセマネの砦の地下にも、魔導書に記されている転送用の魔法陣(ゲート)が設置されています」
  えっ!?と、思わすエクスとカルザスは顔を見合わせた。
  そんなものが、このゲッセマネの砦にあること自体、今はじめて知ったことだ。
「リューベンは、ただのザフネス教の宗教画の文様か何かと勘違いして、まるで注目していませんでしたが……あなたがたもそうだったようですね。ともかく、このゲッセマネの砦でなく、かつてのシーガイア領に存在した砦や要塞には、必ずといっていいほど地下に転送用の魔法陣(ゲート)が設置されていると私も報告は受けていました。エクス、あなたも十二神将として同じ報告を受けてるはずですよ?」
  エクスは思わず赤面して、目を伏せた。
  書類に目は通していたが、そのような報告など、まるで気にかけていなかったのだから。
「一番問題なのは、これまでの同盟軍は、それを破壊するどころか全く放置している点にあります」
  転送用の魔法陣(ゲート)といっても、見てくれはただの地面に描かれた文様にしか過ぎないのだ。
  確かに、レティシアのように魔導の知識に通じている者ならいざ知らず、普通の人間が魔法陣を見たら、ただの地面に描かれた、薄汚れた宗教の文様画か何かと思って特に注目しないだろう。
「しかし姉上、そうなると大きな疑問が生まれてきます」
  そう切り出したのはエクスだった。
「なんでしょうか?」
「先程、軍議でリューベン様もおっしゃったではありませんか?『魔法などというものがこの世に存在したら今までの兵法や戦術はメチャメチャになってしまう』と。私もそう思います。姉上がおっしゃる『物質を瞬間移動させる魔法』ひとつとっても、戦争をする上でこんな便利なことはありません。もし実在したら、我々は惨敗し、今頃シーガイア側が圧倒的に勝利していたのではないですか?」
  そうなのである。
  もし物体や人間を瞬時に転送させる魔法が存在するなら、兵隊の大量輸送、補給線の確保、要人の暗殺等々……用途は無限大に広がる。
「マグスも人間です。当然、魔法にも欠点はあります」
  レティシアが説明するには物体や人間を転送する『転移の術』にも重大な欠点がいくつかあるとのことだった。
「まず第一に、術者の魔法力――精神力とも言ったほうがいいかもしれませんね。それが尽きると使えなくなります。この『転移の術』は、物質を全く別の空間に転送するわけですから、莫大な精神力を消耗するとのことです。
第二に、先程も言ったとおり長距離の転送には特殊な素材と知識が必要とされる魔法陣(ゲート)が必要になります。そして、それを終着点に事前に用意しておかなくてはなりません。
第三に……これが重要なのですが、ゲッセマネ攻略戦をはじめ、今まで奇襲を受けながらも、同盟軍が勝利してきた観点から、あまりにも膨大な数の兵隊の大量輸送には使えない、ということです」
「つまり、転送する物質の多さや重さに比例して、消耗する精神力も大きくなるから、多用はできないということですね?」
  カルザスは自分なりの魔法の解釈を口にした。
  その口調からは、明らかに魔法の存在を肯定し始めている雰囲気が漂い始めていた。
“さすがは向上心の強い傭兵ゲド・カルザス。柔軟な思考をしている” 
  レティシアは密かに自分の話術と、カルザスの柔軟性に感心していた。
「その通りです、カルザス。シーガイア王朝でマグスと謳われているのは、ゴルベリアスとその息子シオン王子の二名だけ。つまり、魔法が使える可能性があるのはこの二人のみな上、魔法力も極めて有限であり、乱用ができないということです。これがマグスを相手にしながらも我々が勝ち続けてこられた最大の理由です」
  レティシアの長い講義は終わった。
  エクスもカルザスも、レティシアの巧みな話術によって、完全にまでとはいかないが、魔法の存在を信じはじめていた。
「なるほど、わかりました。それでレティシア様は、同盟軍からも放置され、国境に近いアンゼルの砦にシーガイア王朝の王侯貴族が『転移の魔法』を使用して亡命するのを防げと私に仰せつかったのですね?」
「はい。どうせ首都アストレーゼは放っておいても瓦解します。それは子供の目から見ても明らかな事。最大の問題は亡命者、特にマグスであるゴルベリアス王かシオン王子のどちらか、あるいは両者ともが脱出してしまう事です。この両名のどちらかが亡命し、リドル神聖国領内に落ち延びれば、必ず厄介な事になります。マグスという存在は、それだけの影響力を持つのです。カルザス、貴方の使命は、アンゼルの砦をつぶさに観察し、もし亡命者が現れるようだったらこれを一人残らず抹殺し、その首を持ち帰るのです」
“俺が…!?魔王ゴルベリアスを…?”

 そうだったのだ。
  もしレティシアの言うことが真実ならば、シーガイア王朝の最重要人物ゴルベリアス・イレードは必ず亡命しようとするだろうし、対峙することになるであろう。
  カルザスとて、同盟軍中に名を轟かせる歴戦の勇士である。
  彼の傭兵としての信条は、勝つ確信がある戦いだけをする、ということであった。
  しかし、先程のレティシアのマグスと魔法についての講義を聞かされた今となっては、得体の知れないものと戦うのは少々気が引けた。
  だが、これは逆にチャンスでもある。
  もしゴルベリアスを討ち取れば、カルザスの名声は同盟軍中に響き渡るだろう。次期十二神将も夢ではない。
  しかし、もしレティシアの言っていることが全て的外れであったら?
  カルザスはあくまで同盟軍内では旧ディアナ王国勢の傭兵であり、レティシアの保護下にあるとはいえ、間違いなく笑いものになるだろう。
  いや、その前になぜアンゼル砦などを襲撃したのかと問われるだろう。
  そして、その理由がマグスの魔法にあると知られれば、厳罰処分になるかもしれないのだ。

“俺は傭兵隊長などで終わる男ではない。このまま同盟軍がシーガイア王朝を討ち滅ぼし、新共和国を復活させたとしても、せいぜい地方の官職を割り当てられるのがいいところだろう。しかし……”
  カルザスは、心の中で激しく葛藤していた。
  それを察してか、レティシア椅子から立ち上がると、うつむき悩むカルザスの肩を優しく包み込むように手を添えて、
「大丈夫ですよ、カルザス。もし失敗しても全ての責任は私がとります」
  そのレティシアの一言が決め手になった。
「レティシア様……!」
「元々は、全て私が魔導書を元に想定した計画です。あなたに何の責任がありましょう。ですが、この想定状況は極めて高いと私は確信しています。もし、あなたが成功すれば、新共和国の十二神将の位を授けるよう、とりはからってあげましょう。これからは、身分に関係なく能力のある者が人を統べる時代が来ます。あなたにはその資質がある。だからこそ、カルザス、あなたに頼むのですよ」
  カルザスの心は決まった。
  王女がここまで言ってくれているのだ。
  それに、もし失敗したとしても自分に責任はない。それどころか、成功すれば名実共に大貴族である十二神将の称号を手にすることができるのだ。このような千載一遇の機会を逃す手はない。
「レティシア様のお心遣いには、感謝いたします。このゲド・カルザス、レティシア様のために力の限り働いてみせましょう」
「カルザス、あなたのような屈強な戦士が参加してくれるのは心強い限りです。あなたが率いるディアナ混成騎士団にはすでに話は通してあります。慣れない部下と共に行動を共にするのは、やりづらいでしょうけれども、あなたならやり遂げてくれると信じています」
「ハッ、ありがとうございますっ!」
「ディアナ混成騎士団は、既に人目につかぬように、ここからそう遠くないネプラ平原に駐屯させています。今から急ぎ出立し、彼らと合流してください」
「わかりました。……では、レティシア様。御身に栄光がありますよう」
「ありがとう。ぜひともディアナ王国の威力を天下に示してください」
  レティシアはこれを言いたかったのである。レティシアは、カルザスのしっかりとした両肩を抱くようにしてやって、送り出した。
  そのあまりに親しげなレティシアの態度に、エクスは椅子から立ち上がり、眉をひそめてレティシアのかたわらに寄った。
「姉上、監視をつけましょうか?」
「カルザスにですか?なぜです?」
「増長いたしますよ?前線で兵達に無理難題を吹きかけられたりすれば、統制の問題があります。優秀な頭をすげかえたからといって、兵は動いてくれません。そうすれば、姉上の身の上が……」
「フッ……、エクス、あなたは机の上の仕事しか知らないから、下賤の者をそのような目で見るのです。賤民の出だからこそ、嬉しがらせてあげるのです。そうすれば、数倍働いてくれる。あなたたち、身分が高い者のいけないところは、命令を出せば下々は何でもやってくれると思っていることです。しかし、下層階級といえども、自尊心を持っています。それをくすぐってあげれば、戦果は大きいですよ?」
  エクスは、ホゥと感嘆のため息をついた。
「……姉上の奨励する政策の手腕には、心底感服します」
「エクス、口先だけでの返答では、了解はできませんね。私のようにやってみせなさい。戦果が上がれば、それは己のものとなるでしょうが」
「はい!」
  そこまでレティシアに言われれば、エクスはそれを実行すると思える。しかし、そのような事はまず起こらないものだ。
  心底、必要性を感じなければ、人は行動することなどはない。それに、その必要性という認識のレベルは、各人によって天と地ほどのちがいがある。だから、エクスがレティシアのようにやってみせるのは相当自覚の努力をしないと難しいだろう。
  博識で野心もあるレティシアは、その性格ゆえに絶えず外界に対して、意識を開いてきた。そのために、身分制度に守られていると信じて、どこか安穏とした思考と感性で暮らしてきてしまった騎士階級や貴族階級の欠点が目につくのである。
  カルザスに語った、能力がある者が人を統べる時代が来る、と言ったのは本当のことである。
“シーガイア王朝を討ち滅ぼしたあと、これからの新共和国はそうなる。いや、ならなければならない”
  それが、レティシアの悲願であり夢なのであった。





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