
決戦の朝。
ゲッセマネの砦の広場にはファルコン自由解放同盟3500人の兵士達が集い、出陣の式が行われた。
盟主リューベン・スターロードは、見事な意匠が施された白銀の鎧を全身にまとい、祖国クルトニア王国の紋章が染め抜かれた紅のマントに身をつつんでいた。
リューベンを筆頭とし、同盟軍十二神将の面々がバルコニーに登ると、どよめきたっていた兵達は一瞬にして沈黙し、リューベンが喋りだすのを見守っていた。
皆が静まりかえるのを確認したリューベンは、兵達の顔をぐるりと見渡し、演説を始めた。
「勇猛果敢なるファルコンの勇士達よッ!ついに時は来た!この暗雲たちこめるファルコン半島に再び太陽が昇る時が来たのだ!
15年前、遙か東方の宗教大国リドル神聖国から派遣された侵略者、シーガイア王朝によって、我々ファルコン半島の民は蹂躙され、我らの祖国であるファルコン共和国と5王国は無惨にも討ち滅ぼされた。
彼らは傲慢にも自らを光の神ザフネスの使者と称し、我々ファルコンの民に、ザフネス教への改宗とバリア人とカルム人、アヴェレスト人に対する人種迫害を迫ったのである!しかし、人が人である以上、どうして生まれの人種だけでこのような差別が許されるだろうか。否ッ!彼らはそれが『聖神ザフネスの意志』であると言うが、もし真に全知全能の絶対なるものがこの世に存在するはずなら、このような暴虐を許したもうはずがない!神は、我々一人一人の中に存在するものだ!」
草稿も何も読むこともなく、リューベンはまっすぐ正面を見据え、身振りや手振りなどを駆使し、全身全霊で兵士一人一人のファルコン人としての誇りに訴えかける。
「『ザフネス教は人類に希望を与えた』、などとザフネス教の始祖でありマグスを騙る巫女王(ふじょうおう)ゼノビアは語っているが、我々ファルコン半島の民を踏みつけにしておいて何の希望であるか!天の国パージや聖神ザフネスなど単なるまやかしに過ぎないッ!我々は今日こそ、あの神の使徒を騙る愚か者どもに鉄槌を下す!神などにすがらなくても、人間は、自らの力によって未来を切り開かなければならないのだッ!」
リューベンの鬼気迫る演説に兵達は聞き入っていた。
その様子を目の当たりにして、一呼吸おいてリューベンは続ける。
「このゲッセマネの砦に集った諸君ら3500名の兵、そして既に敵の首都アストレーゼを包囲している6万の兵、そして、我らと連動して既に各方面から進撃を開始しているファルコン自由解放同盟軍4万の兵を全て合わせれば、我が軍の総兵力は10万以上にも膨れあがる。対して敵の数は、1万にも満たない。
いかに強固な城壁都市アストレーゼといえども、6ヶ月間も籠城していれば兵も疲れ切り、士気も地の底まで落ちているのは必須である!この3ヶ月の間、諸君らには待たせたが、今日こそ総攻撃を開始し、シーガイア王朝を完全に討ち滅ぼす!
だが、敵は卑劣にもアストレーゼ市民を盾にするつもりである。ゴルベリアス王は自分が守るべき市民でさえ、戦いのための手駒としか見ていないッ!なんという残虐非道な行いであろうか。私としても遺憾だが、市街戦になり、多数の民間人の死傷者が出るのは止むを得ない。
だが、忘れないで欲しい。これは復讐のための戦いではない。我々、ファルコン半島の民が自由を勝ち取るための戦いなのだということをッ!無抵抗な市民に暴行や略奪を加えた者は厳罰に処す!諸君らが一人一人、ファルコン自由解放同盟の勇士であるという誇りを持って戦いに臨んで欲しい!」
リューベンは言い終わるなり、腰の長剣をすらっと引き抜き天高くかざした。
見事にして繊細な造形を施されたリューベンの長剣は、太陽の光を反射してまばゆく光り輝き、その光景は神々しくすらあった。
「諸君ッ!これは聖戦であるッ!我が祖国クルトニア王国の神器、聖剣オートクレールに誓って私は諸君に約束する!今こそ、奪われた祖国を我らの手に取り戻すのだ!いざ、奮い立てッ!勝利のためにッ!」
リューベンの演説が終わると同時に同盟軍兵達は一斉にうおーっと歓声をあげ、その士気は天にも届かんばかりであった。
その声は砦を揺すり、バルコニーに立つリューベンをはじめとした十二神将の腹にも響くほどのものだった。
演説が終わり、バルコニーから身を引いたリューベンは、自分の執務室に向かった。既に準備は万端であったが、盟主として漏れがないか最後の仕上げを入念に確認するつもりだった。
作戦の首尾、各部隊の行軍進路、補給線の確保などがしたためられた書類に目を通しているうちに、執務室の扉がノックされた。
騎士ミュッセ・リガンスタインだった。
出陣前の挨拶といったところだろう。
既に赤銅色の板金鎧を身につけ、腰には剣を吊しているという姿だった。いつもは軍師に徹しているため、鎧姿のミュッセを見るのは何年ぶりだろう、などとリューベンは感慨にふけっていた。
リューベンは茶を用意して、ミュッセに鎧を脱ぎ来客用のソファに腰を落ち着けるように勧めた。
「立派でございました、リューベン様。兵たちの士気をここまで高揚させることは、やはりリューベン様でないとできないことであります。事実、私もまだ体の震えが止まりません」
冷静沈着なミュッセにしては、珍しく興奮しているようだ。目を輝かせ、声は弾んでいた。
リューベンは、ふたつのカップを手にして、ソファの前の低いテーブルの方に運び終えてから、ミュッセの正面のソファに腰を下ろした。
「言っておくが、ミュッセ、私は今回の作戦を下策の中の下策だと今でも思っているよ。兵達に念は押したが、ヴァハ達が忠告してくれたにもかかわらず、首都アストレーゼ戦で我ら同盟軍のバリア人、カルム人兵士達を統率できる自信も準備もないまま出陣を断行してしまった……」
リューベンの顔色には、未だ後悔の念に対するかげりが見て取れた。
その様相を察してか、ミュッセは納得させるような口調でリューベンの心のわだかまりを取り払おうと口を開いた。
「しかし、リューベン様は実際に出陣を断行なさった。私はこれでよいと思います。何が正しく間違っていたかなどは、後世の歴史が判断してくれましょう。過去のどの偉人達も、限られた時間の中でギリギリの決断を迫られています。しかし歴史書を紐解いてみると、その中身は残虐非道なものであったり、非人道的なものであったりするものです。が、今日では英雄として崇められている……。それはなぜだかお分かりですね?」
「ああ、勝利者だからだ。勝利した者だけが正義なのだ。歴史の上ではな。……私の中にも迷いがあったが、歴史の流れという大きな視点で物事を見たとき、やはり首都アストレーゼを完全に壊滅させるだけの総攻撃を断行する覚悟が必要だと悟った。シーガイア王朝側からすれば、私は大虐殺者として歴史に名を残すことになだろうがな………だが、覚悟を決めたよ。私は旧ファルコン共和国の宗主国、クルトニア王国王子としての務めを果たさなくてはならない」
そう言ってリューベンは立ち上がり、今は壁に飾り掛けてある、先程の演説でかざした長剣を両手に取り、改めて見つめ直した。
聖剣オートクレール。
クルトニア王国の王位継承権を持つ者だけに所持が許される、正統なる王家の証であった。
重さをほとんと感じさせず、岩をもたやすく切り裂くこの剣は、特殊なミスリル銀で精製され、クルトニア錬金術の技術の粋を集めて作られた芸術品だった。
施された彫刻も名のある職人に彫らせたもので、剣の鍔(つば)の部分にはクルトニア王家の家紋が刻まれた特殊な宝玉が埋め込まれている。
しかし、今はその技術もクルトニア王国が討ち滅ぼされてからは失われてしまっていた。
この剣の製法は今は亡きクルトニア前王と、数少ない錬金術師しか知らなかったからだ。
15年前、焼け落ちる寸前のクルトニア王国王都アクロポリスから、リューベンがわずかな臣下と共に落ち延びる直前、父王から託されたのがこの聖剣オートクレールだけだったのだ。
それからというもの、リューベンは苦難の時に立たされた時、この聖剣に託された父の無念を思い起こし、今日までクルトニア王国再興のため自らを奮い立たせてきたのだ。
「亡きクルトニア前王もさぞかしお喜びのことでしょう。リューベン様がここまで成長され、クルトニア王国の再興も近い。このミュッセも、リューベン様の臣下として無上の思いであります」
聖剣オートクレールを手に、感慨深い表情を見せるリューベンの思いを、ミュッセは素早く察してくれた。
「ああ、ミュッセ。お前には感謝している。幼い私を、シーガイアの追っ手から必死の思いで退(しりぞ)け、そして私に剣と、そして王族としての作法を教えてくれた。ここまでこれたのも、ミュッセ、お前のおかげだ」
「もったいなきお言葉……このミュッセ・リガンスタイン、これからもリューベン様をどこまでもお守りする覚悟です――では、私も自分の部隊に命令を下さねばなりませんので、失礼いたします」
そう言ってミュッセは足をならして完璧な敬礼をし、執務室をあとにした。
ミュッセが去ったのを確認してから、リューベンは窓を開け、外の空気を胸一杯に吸い込んだ。
“全てミュッセの手の内のことだったか……”
リューベンは内心、苦笑するしかなかった。
結局、全ては最初にミュッセの言ったとおりに事が進んでいる。今回の演説の草稿さえ、リューベンが書いたものをミュッセが何度も手直しし、結局ミュッセが書き上げたようなものだ。
リューベン自身、ファルコン自由解放同盟を旗揚げした時から、全身全霊をかけて戦い抜いてきたつもりだった。
しかし、今思えばその影には、いつもミュッセの思惑が働いていたように感じられた。
ミュッセは、幼い頃から自分に付き従ってきた騎士であると同時に、非常に優秀な頭脳の持ち主である。
本来ならば、一番の忠臣であるミュッセの言葉に耳を傾けるべきなのだろうが、正直なところ、ミュッセの合理的、冷徹すぎる面がリューベンにはどうしても好ましく映らないため、何か相談するにしても他の将軍や兵士にしてしまうことが多い。
リューベンが今回の総攻撃を決意したのは、昨夜の親友ネヴァンの言葉が決め手になったのは事実である。
が、それすらもミュッセの計算だったのかもしれないと思ってしまうのだ。
だが、どうあれミュッセ・リガンスタインという男が優秀な騎士であり、忠臣であることには変わりない。
それが昔からのリューベンの評価であった。
「全員騎乗ッ!」
騎士ミュッセの号令に対し、若い兵士達の血気盛んな声が響く。
ミュッセの合図に、ファルコン自由解放同盟の精鋭達が一斉に馬に乗った。
先頭をいくのは、十二神将であり槍騎士団長でもあるネヴァン・フリーダム王子率いる騎馬隊である。
ネヴァンの祖国ニュクス王国は、かつて質実剛健な騎士の国としてファルコン半島全土に勇名を轟かせており、ネヴァン自身も、剣はともかく、こと槍の扱いに関しては右に出る者がいない程の騎士であった。
騎馬隊の後には、レスター・レイギス率いる弓兵隊と重装騎士団が続く。
特に弓兵隊は弓の扱いに長けたディアナ王国の出身者が多かったが、レティシア・ビュネーン王女が前線に出られない以上、弓も得意とする十二神将レスターが指揮を任されたのだ。
その後にリューベンの旗本隊が続き、殿(しんがり)はヴァハ・フレイムとウィンディ・ビゲンゾン公女率いる混成騎士団が務めた。
今回の出兵には、ゲッセマネの砦のほぼ全軍が参加していた。
「レティシア様とは会わなかったのかい?」
ゲッセマネの砦の門を通過する直前、ヴァハがリューベンのそばに馬を寄せてそう聞いてきた。
「昨日の晩すませたよ。本当のことを言うと出陣の直前にも会っておきたかったが、これから生死をかけた戦いが待ってるんだ。それで剣先が鈍ったら困る」
リューベンなりのけじめのつもりだった。
「ふうん、そうかもしれないね。何しろリューベンの子を身籠もってらっしゃるんだから、なおさらだよねぇ」
ヴァハは周りに耳をそばだてている者がいないか注意しながら、ささやくように言った。
「……!?知ってたのか」
「リューベン、あたしが女だって事を忘れてない?それくらい分かるさ。他の連中はどうか知らないけどね」
そう言ってヴァハはおどけてみせた。
「ヴァハ、このことはくれぐれも……」
急にリューベンは小声になった。
王族同士が結ばれるには、正式かつ厳格な儀式を行わなければならないのがファルコン半島のならわしだったからだ。
「わかってるって。いいじゃないの、この世界のどこかに自分の愛する人がいるんだって思えることで、力がもらえる。何としてでも生き延びようって気持ちになれる。だからさ、絶対にリューベンは死んじゃいけないんだ。じゃないとレティシア様も赤ん坊も可哀想だよ」
「ああ、そうだな……」
リューベンは感慨深くそう口にした。
ヴァハの気性の荒い面は苦手だったが、こうしたさりげない気遣いができるのが本来のヴァハの姿なのだと改めて感じるリューベンだった。
リューベンはそっと腰のベルトに吊した聖剣オートクレールの鞘に触れ、祈った。
“父上、見ていてください。ゴルベリアスは必ず私が倒してみせます。何とぞ、我らファルコン自由解放同盟の者たちを見守っていてください……!これまで数多(あまた)のものを犠牲にしてきた……。我らの信じる道はただひとつ……我らの行く末に勝利を!”