
「この戦争が終わったら、エクス、あなたはディアナ王国を継ぎなさい」
ゆっくりと遠ざかっていく隊列を砦の窓から見下ろしているエクスに、レティシアが声をかけた。
「……姉上?何をおっしゃるのです?たった今、リューベン様達が出陣なさったばかりだというのに、もう戦後の話なんて……」
「まあ、お座りなさい」
エクスは、間近にお茶の用意をするレティシアを凝視しながらも、ソファに座った。
「シーガイア王朝は今日で滅びます。こちらは10万もの大軍、敵の退路も補給路も断ってある。あらゆる角度から見て、同盟軍の勝利は確実です。本当なら、今ごろ戦後のことを考えるのは遅すぎるくらいなのですよ?」
レティシアは、ティーセットをテーブルの上に置くと、エクスの正面にすわった。
「しかし、シーガイア王家の者が母国であるリドル神聖国に亡命して報復を企てる可能性もあります。その場合は、我らとは比較にならない程の軍事宗教大国であるリドル神聖国を敵に回すことになるのですよ?」
エクスは、最も危惧している可能性で反論した。
その問いに対して、レティシアは一口お茶を口にすると、
「奇跡でも起こらない限り、同盟軍の包囲網を突破してシーガイア王家の者が亡命するなど不可能です。私が何度もリューベンに忠告し、そのように取り計らってもらっています。シーガイア王家の者は残さず根絶やしにしなければなりません。――昨夜、私が話したマグス達が使うとされる『転移の術』の事は覚えていますね?」
エクスはこくりとうなずいた。
「だからゲド・カルザスをアンゼルの砦に向かわせたのです。彼なら必ずや魔法で亡命を図ろうとするシーガイアの首脳陣を一網打尽にしてくれるでしょう」
「……なぜ、姉上はそこまで彼の事を信頼しているのです?」
昨夜はゲド・カルザスの手前、言うことができなかったが、エクスはずっと疑問に思っていた質問をレティシアにぶつけてみた。
傭兵などは金貨一枚でどうにでも動く連中である、というのがこの世界の常識だった。
敵に簡単に寝返る者、敵前逃亡する者、勝手に雲隠れする者、ひどい例などは、前金だけ受け取っていざ戦いが始まると途端に死んだふりをしてやり過ごす輩さえいるらしい。
所詮は『戦場のプロ』とは呼ばれても、正式な叙勲を受け、『名誉』を自分の命より重んじる騎士と比べれば、蔑視されても仕方のない傭兵があまりにも多すぎるのである。
エクスに言わせてみれば、叩き上げの傭兵隊長であるゲド・カルザスさえ例外ではないのだ。
だからこそ、昨夜エクスはカルザスに監視をつける事を提案したのだ。
その点では、エクスの指摘はもっともなのだが、レティシアは逆に眉をひそめた。
「エクス……あなたはまだわかってないようですね。傭兵というものに偏見をもっているから、そんな風にとらえてしまうのです。それが悪い癖だとさんざん注意してきましたよね?――私の目から見て、ゲド・カルザスは俊英です。男として優れていると思えます。私は、今まで彼の同盟軍での活躍ぶりをつぶさに観察してきましたが、なぜあの男が同盟軍十二神将に任命されなかったのか不思議に思えてなりません」
「……それは、彼が平民出身者だからでは……」
「その通りです。例えばヴァハを見なさい。平民出身のしがない戦士だったのが、功績を認められ今では同盟軍十二神将という地位にまで登り詰めている。これこそが私の目指してるものなのです。私はね、新しい共和国は、生まれの身分や血筋に関係なく、実力ある者、成果を出した者にこそ地位を与えたい。そういう国造りをしたいのです。だが、貴族ばかりの共和国評議会はそれを許さないでしょう」
レティシアは、きたるべき新しいファルコン共和国の構想を淡々と語った。
「……民間人は死を恐れる。騎士は恐れない。しかし、騎士ばかりで軍を編成できなくなったときにどうするか?これが戦争の勝敗を決します……エクス、あなたは、今度の戦争をどういう性格のものだと思いますか?」
「シーガイア王朝とザフネス教をファルコン半島から駆逐する戦争です。彼らは、我々ファルコン半島の民を蹂躙するだけでしたから。それに、ザフネス教を全面に押し出し、人種迫害まで強要し、バリア人を根絶やしにしようとしました。私達も自分たちの神々と信仰を守るために戦ってきました。ある意味、宗教戦争とも言えます」
「そうです。だから、今回は我が方に大義があります」
「はい……」
「つまり、この戦争は、ファルコン半島に暮らす者に安心を与える戦争です。ザフネス教を拒否する国々、つまり代表的なのが西方の大国アレクサンドリア帝国やその他の国々は理解を示してくれました。この備えがあれば、この戦いが勝つのは必然ともいえます」
「そうですね」
「しかし、この戦争で大問題がひとつあります」
「はい……?」
「戦場はこのファルコン半島です。つまり、勝っても騎士や兵達に論功行賞を与えられない。あたえる土地がないですからね。軍事大国であるリドル神聖国に攻め入るわけにもいかない。シーガイア王朝から奪い取った多少の金銀財宝が、兵士たちのために出費されるだけです。あとは討ち滅ぼされた5王国の再建と、新共和国の再興のために、かなりの年数に渡って我々は極貧の生活を強いられるでしょう」
エクスとてその話は想像がついていたので、返答もできない。
「それに、今は皆、『シーガイア王朝さえ倒せばファルコン半島に平和が訪れる』と思いこんでいるようですけれど、大間違いです。そこからが大変なのですよ。東方からはリドル神聖国、西からはアレクサンドリア帝国、双方の軍事大国を牽制しつつ、ファルコン半島の国々を再興しなければならない。他国の貿易に頼ろうにも、この15年間で今までファルコン半島と貿易をしてくれていた国々は、ほとんどが大国に併呑されてしまいました。つまり、これからはファルコン半島に残された資源のみで存続させていくだけの覚悟が必要となります。そのためには、ファルコン半島の全国民が一致団結してひとつにならなければならないわ。それには強力な武力を持った軍隊も必要になるし、行政も……私は、リューベンのそばでその手助けをしたいのです。そのためには、私がディアナ王国から嫁ぎ、クルトニア王国の王妃となるのが一番なのですよ。――私がクルトニア王国に嫁げば、ディアナ王国の未来はとりあえず安泰です」
すでにそこまで戦後の問題を考えているレティシアに、エクスは心の底から唸っていた。
喉元を過ぎれば、シーガイア王朝の脅威などは忘れて、人々は褒賞を問題にするであろうし、正当な対価をもらえなかった者たちの不満はふくらもう。
「では、国民にはこれからかなりの我慢をしてもらわないといけませんね?」
エクスの問いに、レティシアは当然だ、というような顔をいうような顔をして答えた。
「当たり前です。国民には凄まじい負担がかかりますが、耐えてもらわなくてはなりません。それに我慢しきれず、反乱を起こすような輩には、やむを得ず力をもってねじ伏せるしかないでしょう。そのためには従来の騎士や兵士とは違った、まったく新しい形態の軍隊が必要になるでしょうね」
シーガイア王朝の支配がなくなるという安心だけで、充分の代償であると説得できるのは、いまだけなのである。エクスは、ファルコン自由解放同盟が戦後政治に大きな問題を内在させたまま、この戦いを完遂しなければならないのかと思うと頭が痛くなるのだった。
「……わかりました、姉上。戦後のファルコン半島のため、つつしんでディアナ王国は私がお継ぎいたします」
レティシアの顔がパッと明るくなった。
「そうですか!ありがとう、エクス!あなたになら、ディアナ王国は安心して任せられます。先程も言ったとおり、凄まじい苦難が待ち受けているでしょうけれども、姉妹2人で力を合わせて、きっと平和で自由だったファルコン共和国を再興させましょう!」
「はい!姉上!2人で歩んでいきましょう!」
レティシアの目は希望と期待に輝いていた。姉が自分にこんな目を向けてくれるのは何年ぶりだろう?――エクスはそう思って胸が一杯になった。
思えばいつも自分は姉レティシアの足を引っ張ってきた。姉が人並み以上に優れた才能を持ってるから、それに追いつくと言うのは無理だとわかってはいたが、姉とのあまりにも大きい格差に自己嫌悪に陥る事も度々あった。
“私は、もっと姉上に歩み寄らねばならない”
今までエクスは、自分より何もかも優れている姉に対して激しい劣等感を持っていた。だから、姉との微妙な距離を埋めきれずに今日まできてしまったのである。
だが、これからは違う。自分は姉から大きな期待をかけられている。自分は、自分に出来る事を精一杯やるだけだ。
これからのファルコン半島がどうなるかはわからない。けれど――この聡明な姉と心優しいリューベンが統治するならきっと新しいファルコン共和国には明るい未来が開けているはずだ。絶対に。
シーガイア王朝が滅び、新しいファルコン共和国が復興したら、自分は祖国ディアナ王国の女王にならなければならないのだ。
そのためには、姉の理想をもっと理解するよう努め、共に支えあってゆかねばならないと固く心の中で決心するエクスだったのである。