第17章 強襲、カルザス

 昼の砂漠は、過酷である。
  容赦なく照りつける灼熱の太陽、熱をもった地表、それら全てが、カルザスをはじめとしたディアナ混成騎士団50人の体力と気力をどんどん奪っていく。
  カルザスは、一人の部下とともに砂丘の上からアンゼルの砦を望遠鏡で観察していた。
  二人とも、滝のように流れる汗をぬぐいながら辛抱強く監視を続けている。
  もう何時間になるだろうか?
  このような灼熱地獄の中で、何の変化もない砦をただ観察してると、少しの時間でも、異常に長く感じるものである。
  まだ正午にもなっていだろうに、丸一日はとっくに過ぎているような錯覚にとらわれるほどだ。
「隊長……本当にアンゼルの砦からゴルベリアスやシオン王子といった首脳陣が亡命を計るのでしょうか?」
  部下の一人が、目から望遠鏡を下げ、懐疑的な口調でゲド・カルザスに質問した。
  その問いに対して、カルザスは部下を鋭い眼光で睨みつけ、怒鳴り散らした。
「馬鹿野郎ッ!貴様もレティシア様からマグスの持つ魔法の力の話をお聞きになったはずだろうがッ!ったく……旧ディアナ王国直属の兵士が王女の言葉を疑ってどうする!」
「それは、そうなのですが……既に昨日から丸1日も監視を続けていて何も音沙汰がないというのが――今からでも首都アストレーゼに向かった方がよいのでは……?」
  部下は奥歯に物が挟まったような物言いで、最後の方は消え入るような声になっていた。 
  生真面目な性格なのであろう。
  王女レティシアから直々の勅命を受けた『隊長』ゲド・カルザスに逆らうこともできず、かといってあまり従順にできないわけもあった。
  今頃、ファルコン自由解放同盟軍は総力をあげてシーガイア王朝の首都アストレーゼに攻め込んでいる頃だろう。
  仲間が命がけで戦っている時に、自分たちは無人の砦を砂丘の上からただ観察しているだけだ。
  しかも、『魔法』という得体のしれないものを根拠に……。


 3日前の深夜、ゲッセマネの砦の近くにあるネプラ平原から昼夜交代で早馬を飛ばし、首都アストレーゼを迂回してカルザス率いるディアナ混成騎士団50騎がアンゼルの砦に到着したのは、昨日の早朝のことだった。
  広い砂漠の真ん中にぽつんと建てられたアンゼルの砦の内部には、確かにレティシアの言ったとおり転送用の魔法陣(ゲート)の文様が砂埃にまみれて床に描かれていた。
“こりゃあ、同盟軍に無視されるのも無理ないな……”
  それが、カルザスの正直な感想だった。
  よく目を凝らして見れば、宗教画か何かの文様に見えないこともないが、この砂漠の乾燥した空気のせいで、すっかりかすれてしまっている。しかし、その割には欠損した部分が一切ないのが不思議な点だった。
  砦は二階建てで、二階は小さな監視塔であり、魔法陣(ゲート)のある一階の正方形の広間は、ガランとしているくせに、やけに広い間取りをとってあった。
  恐らく、表向きは砂漠の監視用の前哨線としての役割を担っていた砦なのだろう。
  ゲッセマネの砦と比べると、規模は比較にならないくらい小さなものだった。
  建物の外壁は、容赦なくたたきつける砂嵐をあびてきたために、かなり風化してしまっている。砦と言うよりは朽ち果てる寸前の廃墟、と言ったほうが正しいように思えるほどだった。
  砦の内部には人影ひとつ見あたらず、取り立てて目を引くものは、魔法陣(ゲート)以外何もなかった。
  カルザス達は、自分たちはアンゼルの砦をずっと監視でき、なおかつ砦側からはこちらの陣営が見えないような場所――ひときわ高く、大きな砂丘の影に陣を張って観察を続けることにした。
  これだけ大きな砂丘であれば、50騎の大部隊が隠れるには充分な大きさだったし、高い場所を確保できるという事は、隠れながら監視するという行為にもうってつけだったからだ。
  これらは、全てこちら側からの奇襲攻撃を想定してのものだった。
  砂漠の過酷な気温の変化や砂嵐の事などを考えると、アンゼルの砦の中に陣を張ってもよかったのだが、その案はカルザスによって完全に却下された。
  もしレティシアの仮説が正しいとするなら、魔法陣(ゲート)からは、いつ、どんな人間がゲートから転送されるか全く分からないからだ。下手をすれば、いきなり戦闘に突入して後手に回ってしまう危険もある。
  しかし、こうやって距離をおいて、辛抱強く観察し、相手の転送が終わったところを見計らって、敵が油断しているところをこちらから奇襲攻撃をかけてやれば、転送されてくる人物がいかに武芸に秀でていても勝算も高くなるだろうというカルザスの判断からだった。

「たった一日で音をあげるような奴はとっとと失せろ!俺は監視を続ける!」
  カルザスの怒声が飛び、部下は黙ったまま、再び望遠鏡を目に押し当てた。
  他の部下達も、レティシアの仮説を未だ心から信じている者もいたが、この部下のように懐疑的な考えを持つ者がかなりの部分を占めているだろう事は想像に難くない。
  カルザスは舌打ちした。
“まずいな……たったの一日で、兵達の士気がこんなていたらくでは……”
  実のところ、カルザス自身も『レティシアの仮説』と『現実の常識』との間で揺り動く自分を抑えるのに必死だった。
“今頃、同盟軍の本隊は首都アストレーゼに総攻撃を開始している頃か……。クソッ!ゴルベリアスとは言わねえが、誰でもいいから砦から出てきてくれッ!頼むぜオイッ!”
  『魔法で人間が転送される』。
  ただその事が実証されさえすれば、レティシアの仮説は正しかった事になり、兵達の士気は天にも昇るに違いない。
  カルザスはひたすら祈った。
 
  その時。
「隊長っ!砦から人影がっ!」
  ひときわ高い砂丘の頂上で、望遠鏡を片手にした部下が太陽を背にしてカルザスに向かって叫んだ。
  カルザスは、その言葉を受けると同時に全力疾走で部下の元に向かった。
  途中で自分の手にした望遠鏡を落としてしまったが、そんなことは意に介さず、砂丘の頂上に着くなり部下の手から望遠鏡をひったくるようにして奪いとった。
  確かに人影があった。
  アンゼルの砦の門付近で、あたりを見回し、どこか警戒している挙動の男がカルザスの目に入った。
  カルザスは、さらに目を凝らして望遠鏡の焦点を合わせてみた。
  男は、砂漠には場違いな立派な銀の鎧に身を包み、純白のマントを羽織っているという風体で、ただの旅行者や行き倒れでないことは確かだ。
  そして――そのマントには、赤い獅子に十字をあしらった紋章が染め抜かれていた。
“シーガイア神聖騎士!”
  カルザスは目を見張った。
“間違いない!『赤い獅子』の紋章を染め抜いた白いマントの着用を許されるのは、精鋭中の精鋭であるシーガイア神聖騎士団の騎士をおいて他にいない!ということは――”
  レティシアの仮説は、見事に的中していた、ということである。
  アンゼルの砦が昨日の早朝の時点で完全に無人であったことは、既に確認済みである。何度も念入りに確認したのだ。
  そして、自分たちは、昨日の早朝から昼夜交代でずっと人の出入りがないか無人のアンゼルの砦を監視していた。
  間違いない。
  あの騎士は魔法陣(ゲート)を使って転送されてきたのだ。
  ただ、転送の魔法陣(ゲート)を使ったとしても、シーガイア神聖騎士団の騎士ただ一人が、こんな辺境に送られるとは考えにくい。必ず、神聖騎士団が守護するに値する重要人物も一緒のはずだ――つまり、ゴルベリアスシオン王子、またはそれに準ずる人物である。
“俺のツキもまだまだ落ちちゃいないってことよッ!”
  カルザスは心底自分の運のよさに心底感謝した。自分の心臓の鼓動が、期待に脈打つのがわかる。
「カルザス隊長?一体、あの人影は何なんです?」
  望遠鏡をいきなりひったくられた部下は、少しばかり憤然とした口調でカルザスに尋ねた。
「いきなりひったくって悪かったな、ほれ、返すぜ。お前も目ん玉おっ広げて、よーく見てみろ」
  カルザスは、ぽんと望遠鏡を部下に放った。慌てて部下は先程から気になっていた人影に望遠鏡を向ける。
「あ……あ、あれはシーガイア神聖騎士ッ!なんてことだッ!」
  事実を目の当たりにした部下の声音が、みるみる驚愕のそれに変わっていく。
「ど、どうしましょうッ!?カルザス隊長!?」
  慌てふためいて問いかける部下に対して、カルザスはまず部下に落ち着かせることに専念した。
「おい、まず落ち着け。そんなに焦っていると、何でもない事でつまづくことになるぞ。いいか?手順をひとつずつ、かつ正確にやっていくんだ。慌てる必要なんか、どこにもないんだ。よく覚えておけ」
「は、はい!」
  部下は深く深呼吸して、なんとか平静を取り戻したようだ。
  その様子を見て、カルザスは人が変わったように的確かつ迅速な命令を下し始めた。
「よしっ!各方面の砂丘から砦を監視している者たち全員に召集をかけろ!これより俺達は全軍をもって敵を奇襲するッ!それから弓の扱いに長けた者全員に、強化型ボウガンと射程の長いロングボウ(長弓)を携帯にするよう命令しておけ!手槍や手斧といった、投げることのできる武器も同じだ!とにかく射程の長い武器を全てかき集めろ!急げっ!」

※※※※※※※※※※※※

 転送は、一瞬だった。
  もっと、宇宙や次元の壁を突き抜けるような、神秘的な体験をするのかと思っていた聖騎士ヴェスター・ザウドニックは、少し拍子抜けしている自分を感じていた。
「ヴェスター様!ご無事でありましたか!」
  銀髪に濃いブルーの瞳、ディープ・ウォルス人特有の整った容姿をした騎士の顔が眼前にあった。
  ヴェスター達3人の出現に、他の騎士達も矢継ぎ早に駆け寄ってくる。
「ベストン……騎士ベストン・クリューガーか?ということは――」
  ヴェスターは、何よりもまずシオン王子と娘のメイマーの安否を確認し、辺りをぐるりと見回した。
  砂埃にまみれた、荒涼とした壁面。カラッと乾いた空気。砦の門からは、はっきりと着色された雲一つない抜けるような青空に、広大な砂漠が見て取れる。
「ここはアンゼルの砦……。転送は成功したのだな」
  もちろんヴェスターは、マグスの存在やゴルベリアスの魔法の威力について疑いを抱いたことなど一度もない。
  しかし『転移の術』で自分がじかに転送されるのは初めての体験であったため、自分とマグスであるシオン王子はともかく、娘のことが少し気がかりだっただけのことは確かである。
「ヴェスター様。やはり、陛下は……?」
  ベストン・クリューガーと呼ばれた青年の騎士が、ヴェスターに恐る恐る問うた。
「ああ。一人お残りになられた……。シーガイア王朝の王として、そしてマグスとしての責務を果たさねばならぬと、最後まで仰っていた」
「――そうでありましたか……」
  ベストンをはじめ、次々と他の騎士達の表情も落胆の色に染まっていく。中には、あまりの口惜しさにすすり泣く者さえいたほどだ。
  暗い雰囲気が押し寄せる中、それを打ち払うようにヴェスターは騎士たちに檄をとばした。
「落ち込んでいる暇などないぞッ!我々にはシオン殿下をお守りし、何としても国境を越え、シーガイア公国までたどり着かねばなければならないという重大な任務を陛下から託されたのだ!シオン殿下はシーガイア王朝の最後の希望である!これは我らがシーガイア王朝の命運に関わることなのだ。これから心してかからぬと、すぐにでも我らは命を落とすことになるぞッ!」

 
  ディール砂漠は、それほど広い砂漠ではない。
  アンゼルの砦から国境までは、早馬を昼夜交代で飛ばして7日といったところである。
  このディール砂漠を越え、国境を通過し、リドル神聖国領に入ってしまえば、シーガイア王朝の母体となったリドル神聖国5公国のひとつ、シーガイア公国に落ち延びる安全なルートを確保できるのだ。
  ファルコン半島にシーガイア公国が王朝を築き、公都であるアストレーゼが首都としてファルコン半島に遷都され、公爵家の当主であるゴルベリアスが王としてファルコン半島の統治を任されてからは、母国であるシーガイア公国は公国元老院の下によって統治されている。
  ゴルベリアスの直系であるシオンと、ヴェスターをはじめとした神聖騎士団が亡命しても、快く受け入れてくれるだろう。


「まずは、格好だな」
  ヴェスターは、白銀の鎧と純白のマントに身を包んだ騎士達を見回した。
  自分も騎士団長として、それに似たような鎧に身を包んでいる。それにシオン王子や娘のメイマーも、王族の衣装で身を着飾っている。
  こんな風体では、例えシーガイア神聖騎士団を知らない者でも自分達を奇異の目で見るだろうし、怪しまれるのは目に見えている。
「砂漠を越えるにしても、国境を越えるにしても、この格好は目立ちすぎる。陛下からは、先にそういった必要な物資の転送は済ませてあると聞いているが?」
「ええ。このディール砂漠を越え、国境まで至るには、砂漠を渡る行商人になりすますのが一番目立たないと思い、全員分の擬装用の馬と衣装を確保してあります」
  なるほど、確かに荷袋を背負った10頭の馬が砦の部屋に待機させてある。
  アンゼルの砦の一階部分の広間は、かなり広い間取りをとってあるのだが、さすがに10頭も馬を押し込められては狭く感じる。
  騎士ベストンは、馬に背負わせてあった荷袋から薄汚れた茶褐色の服とフード付きのマント、さらには偽造した商人ギルドの会員証までを取り出した。
  偽装のためだろう。どれも使い古され、埃にまみれ汗臭さまで漂ってくるような念の入れようである。
「いざという時のために槍や弓を携帯できないのは痛いな。もし身分がばれて戦闘になったら、厄介なことになる」
  ベストンから、衣装一式を受け取りながら、ヴェスターは言った。道中、反乱軍に気付かれ、戦闘に突入しない可能性も絶対にないとは限らないからだ。
  しかも、首都アストレーゼが陥落した今、明日にでも反乱軍によるシーガイア王朝の残党狩りが始まるだろう。
「仕方がありません。何が起こるかわかりませんし、なにより行商人を装うなら、そういった騎士が持つような武器を持つことは、かさばる上に不自然です。もし、反乱軍の残党狩りに検閲でも受けたら我らは一巻の終わりです。それに、反乱軍が各地に放っている密告者の数も侮れません。奴らは、それこそ死にもの狂いで我らの首をとろうと必死でしょうから。せいぜい、このシャムシールと呼ばれる曲刀や、目立たない大きさの短剣や手弓ていどが限界でありましょう」
  騎士ベストンは、重量感のある曲刀をヴェスターに手渡してみせた。
  シャムシールとは、砂漠の民などが好んで使う曲刀である。
  これならば、なんとか砂漠の行商人が護身用に携帯していると偽っても、ランス(騎兵用の突撃槍)やロングボウ(長弓)などと違ってそれほど違和感はなさそうだ。
  シーガイア神聖騎士団は、全員が精鋭の証として、全ての武器防具の扱いに精通しているので、普段と使う武器が違ったからといって、扱いに難儀するという心配もなかった。
  シャムシールの扱いについての訓練も一通り受けている。

「お父様、この服、臭いわ」
  メイマーは、顔をしかめ行商人の衣装に文句をつける。
「我慢しなさい。同盟軍の目から逃れるためだ。それとも、そんな派手なドレスのまま砂漠を行くつもりか?真っ先に捕まって殺されてしまうぞ?死にたいのか、メイマー?」
  ヴェスターは愚痴るメイマーを脅かしつつ、かつなだめながら、子供用の茶褐色の衣装を着せてやった。
  わがままを言う娘を横目に、ヴェスターは君主たるシオンの方に目を向けた。いつの間にか、シオンはすっかり砂漠用の衣装に着替え終えていた。
  ヴェスターは、片膝をついて深々と頭を垂れ詫びた。
「シオン殿下、誠に申し訳ありません。王族であらせられる殿下にこのような野卑な者の真似事をさせてしまい……何とぞ、ご辛抱くださりますよう、お願いいたします」
  だが、シオンはまったくそんな事は意に介してもいない様子で、
「よい。我らは、例え泥水をすすってでもシーガイア公国へ亡命せねばならぬのだ。このような事でお前が謝る必要など何もないぞ、聖騎士ヴェスター」
  格好は薄汚いぼろマントを羽織った少年だったが、シーガイア王朝の王子としての威厳と高貴さは全く失われていない。外見は少年といえど、その物腰は、すでに成熟した気品あふれる王族そのものであった。
「はっ!もったいなきお言葉!」
  そう返事を返しながらも、ヴェスターは“まずいな”と心の中で呟いていた。

 

 いくら格好を汚く取り繕っても、もともとの気品はそうそう隠せるものではない。
  隠密の訓練も受けている神聖騎士団ならともかく、シオン王子とまだ幼い娘メイマーに、平民としての振る舞いができるかどうか、はなはだ疑問であった。
  特にシオンの場合は、艶やかな銀髪に静脈が透けて見えるほどの真っ白な肌、深紅の瞳というマグス特有の外見も併せ持っていたため、ただの少年ではないという違和感にますます拍車をかけている。
  マグスの肌は、日光に焼けることがないのだ。砂漠を越えてきた行商人を偽るには、この真っ白な肌は不自然すぎる。
  が、幸い、この衣装にはフードが付いている。
  幼い二人には、四六時中、顔を隠させ、喋らせず、できるだけ目立たぬように自分たちが保護しながら行軍しなければならない。
  ヴェスターは、自らの身支度を整えつつも、心の中で様々な可能性を算段していた。

 行商人のマントに身を包み、腰のベルトにはシャムシールと水筒をくくりつける。
  身支度を整えたヴェスターは周りを見回すと、既に着替えを終わらせ座り込み、念入りに手投げナイフの手入れをする騎士ベストンの姿が目に入った。
「そういえば、貴公はナイフ投げの名人だったな?」
  ヴェスターは中腰になり、騎士ベストンに屈託のない言葉を投げかけた。そのヴェスターに対して、騎士ベストンは慌てて姿勢を正して向き直った。
「はっ!ありがとうございます。射程の長いロングボウ(長弓)などの携帯が許されぬ以上、せめてこのような隠し武器でも何かの役に立つと思いまして!」
  真顔で答える騎士ベストンに、ヴェスターは心強い反面、この男は普段からもっとくだけた態度でもいいのではないかとも思っていた。


 騎士ベストンの度を過ぎた生真面目さは、シーガイア神聖騎士団の中でも噂の種になっている。
  特に選り優れられたシーガイア神聖騎士団の中でも、聖神ザフネスと巫女王(ふじょうおう)ゼノビアに対するザフネス教への信仰心は他の誰よりも厚く、君主であるゴルベリアスや、王子であるシオン、聖騎士であるヴェスターへの忠誠も他の追随を許さない。
  しかし、それゆえ、ザフネス教で劣等人種とされるバリア人への憎悪と偏見も並大抵のものではなかった。
  ヴェスター自身、幾度となく騎士ベストン・クリューガーの行き過ぎたバリア人狩りに歯止めをかけるよう忠告した事さえある。
  驚くべき事に、ヴェスターはシーガイア王朝の聖騎士という身分でありながら、『やはり最下等人種といえどもバリア人とて同じ人間である』という、ザフネス教信者にしては極めて寛容かつ柔軟な思想の持ち主だった。
  しかし、ベストンは上官であるヴェスターの言葉に、こればかりは譲れないと、まるで耳を貸そうとしなかった。
  バリア人の奴隷を集めた処刑場で、鎖で繋がれ必死で命乞いをしているバリア人の四肢を、生かしたまま狂喜の笑いを響かせながら次々とノコギリで切断していった「騎士ベストン・クリューガーの狂気」の逸話は、今でもシーガイア神聖騎士団内での語り草となっている。
  騎士ベストン・クリューガーという男は、この二面性の格差が異常に強すぎるため、同期をはじめ、団長であるヴェスター自身も持て余していた。
  だが、今は残り少ない神聖騎士団の一員である。
  事実、武芸の面でも全ての武器防具に精通し、腕も超一流の騎士ベストンは、今の状況で戦力としてはかなり期待できる人材であった。
“何にしても、使いようだな……”
  嘆息するヴェスターに、騎士ベストンは不思議な表情をもって返すのであった。

「シオン殿下、むさ苦しい思いをさせますが、どうかご辛抱を」
  ヴェスターの馬には、すでにシオン王子が片鞍乗りで騎乗していた。
「よい。それより、私自身が馬を操れぬ事が悔やまれてならぬ」
  シオンは顔をしかめて、己の育ちきってない四肢を恨めしそうに見つめた。
「ねえ、なんでわたしは、お父様と一緒のお馬に乗っちゃいけないの?」
  娘のメイマーは、さも不満そうな口調でヴェスターに抗議した。
「……まったく、しようのない子だ」
  ヴェスターは、片膝をついて娘のメイマーと同じ目線に合わせ、ゆっくりと言い聞かせるようにメイマーの頬に手を添えた。
「いいか?メイマー。聖騎士(パラディン)にとって一番大事な事は何か覚えているか?」
  メイマーは聖騎士の家系に生まれ、産まれたときから次世代のシーガイア聖騎士になるべく厳しく育てられてきた。
「へいかと、シオンでんかをお守りすること……」
  返答は模範的な優等生のものだったが、まだメイマーの口調にはぐずついたものが含まれていた。
「そうだ。私だけではない。全ての聖騎士の称号を受けた者は、その君主たるマグスを命に代えても守り通さなければならない。それが聖騎士に課せられた最も大事な使命なのだよ。お前も、聖騎士である私の娘なら、その事がわかるはずだ。違うか?」
「うん……」
  消え入るような声でメイマーは返事をする。
  だが、どう見ても納得し切れてないという顔つきだ。
  しかし、無理もない。メイマーはまだ5歳になったばかりの幼女なのだ。父親が恋しい年頃である。特に、このような緊迫した空気の中では、父親のそばにいたいという心理は当然の事であろう。
「大丈夫だ、メイマー。お前には、この神聖騎士団でも一、二の腕を持つ騎士ジスター・ギッゼがついている。心配はいらない。辛い長旅になるだろうが、私はいつでもお前のことを見守っている。いいな?」
  メイマーは、目元からあふれんばかりの涙を浮かべていたが、やっとのことでこくりと頷いてくれた。
「よし。それでこそ、私の娘だ。――騎士ジスター!」
「ハッ!」
  銀髪を短く刈り込んだ鋭い目つきの青年が、ヴェスターの元に駆けつけひざまずいた。
「メイマーを頼む。まだ、ほんの子供でいろいろ迷惑をかけると思うが……」
「いえ!とんでもありません!メイマー様は、私の命にかえても守ってみせます!」
「ウム、頼んだぞ」
  そう言って、ヴェスターは騎士ジスターの肩を力強く叩いた。
  ヴェスターが去った後、騎士ジスターは柔らかい満面の微笑をたたえ、メイマーの手を握った。
「さあ、メイマー様、私とともに参りましょう。不便はさせません。これでも乗馬には自信があるんですよ?」
  あくまで優しい騎士ジスターに手を引かれるメイマーであったが、そのメイマーの瞳は父ヴェスターのあとをずっと追っていた。

「メイマーには気の毒な事をしたな。まだ、あんな幼子なのに……」
  シオンは目を細めて、ジスターに手を引かれて馬に乗るメイマーを見据えたまま呟いた。
「殿下が心を痛められることはありません。聖騎士の家柄に生まれたからには、なによりもマグスをお守りすることが命より大切な事だと、産まれた頃から教えてあります。いくら幼いとはいえ、メイマーもわかってくれているはずです」
「フム……」 
「それよりも殿下、フードを片時も頭から外してはなりませぬぞ。特にその赤い瞳と白い肌は目立ちますゆえ」
「わかっている。砂漠とはいえ、用心に越したことはないからな」
  そう言い、シオン王子は、顔がほぼ完全に隠れるようにフードを目深に被った。

「皆、準備はいいか?」
  ヴェスターは、砦の門の前で、太陽を背に団員全員に呼びかけた。
「ハッ!団長!」
「こちらも抜かりありませんっ」
  ヴェスターの呼びかけに、団員達が次々と答える。
「我々は、これより昼夜交代で早馬を操り、ディール砂漠を抜け出す。我々は快晴の砂漠の中を行軍する事になるが、今頃反乱軍は、全軍を首都アストレーゼに集結させており、このような辺境の砂漠で襲われる心配は皆無といっていい。だが、翌日になると早速反乱軍は、シーガイア王朝の残党狩りを始めるだろう。その危険を少しでも避けるため、国境を目指して突き進まねばならない!もし、万が一、我らがはぐれるような事があったら、国境近くにあるアルーシェの大木で落ち合おう!
諸君っ!我らに聖神ザフネスと巫女王ゼノビアの加護があらんことをっ!」
  ヴェスターの言葉に、神聖騎士団の者たちも同じ文言を返す。
「我らに聖神ザフネスと巫女王ゼノビアの加護のあらんことをっ!!」
  その文言を言い終わると同時に、行商人を装った聖騎士ヴェスター率いる神聖騎士団10人は、一斉に馬に騎乗した。

※※※※※※※※※※※※

一方その頃――

 ゲド・カルザスは、容赦なく照りつける日差しをものともせず、流れ出る汗を撒き散らし、馬上からディアナ混成騎士団50騎を前に作戦の概要を熱く語っていた。
「いいかぁっ!?砂漠地帯では馬の足も鈍る。こっちは死にもの狂いで逃亡しようとする奴らを追いかけなきゃならんわけだ。そこで、弓兵隊を前面に押しだし、まず大型のボウガンや強力なロングボウ(長弓)といった射程が長く、致命傷を与えられるような武器で相手の馬の足を仕留める!そうなりゃ、あとは後方から弓兵隊の支援を受けつつ接近戦に持ち込んで、相手とやり合うわけだ」
「しかし隊長!もし、魔王ゴルベリアスやシオン王子が『魔法』を使ってきたら……」
  『レティシアの仮説』を固く信じている部下の一人が挙手した。
「その時はその時だッ!余計な想像力は働かせるんじゃないッ!マグスの魔法で稲妻が頭上に落ちてくるんじゃないかとか、一瞬にして俺たちが炎に包まれるんじゃないかとか、悪い方に考えればいくらでも考えつくんだぞ!?俺たちは、俺たちのやれることをするだけだッ!それとも、何か?怖じ気づいて、このままゾロゾロ尻尾を振って帰れってのか?レティシア様に『魔法が怖くて戦えませんでした』と報告する度胸がお前にあるのか?」
  挙手した部下は、慌てて首を横に振った。
「そんなら黙ってろ!いちいち俺のやり方に口を挟むな!『魔法』が実在することは、もちろん俺も認めるが、戦いの時はその考えを捨てるんだッ!」
  無人のアンゼルの砦から、絶対に現れるはずのないシーガイア神聖騎士が出現したのをじかに目にしていたカルザスは、すでに魔法の実在を完全に確信していたが、いざこれから戦闘が始まろうという時には、完璧に頭の中で切り替えが完了していた。
  ゲド・カルザスが、同盟軍内でも俊英の戦士と呼ばれるゆえんである。
「それからな、こっちには大きな勝算がある。向こうは亡命者――つまり身を潜めたなりで行動しなきゃならんということだ。多少の武装はしてあるだろうが、指揮官がよほどのアホでもない限り、あんな立派な鎧を身にまとったり、かさばるような強力な武器を持つことは禁じてるはずだ。だが、俺達は万全の体制で奇襲をかけることができる。
俺たちが勝てるんだよ!この戦いは!俺たちがゴルベリアスとシオン王子をブチ殺すんだ!」
  言葉遣いは乱暴だが、カルザスの言い分は理にかなっており、なにより彼の言葉からは凄まじい情熱がほとばしっていた。
  そのカルザスの情熱に、兵達も感化され、士気はどんどん膨れあがっていった。
 
  ちょうどその時。
「隊長ッ!アンゼルの砦から騎馬隊が出てきましたッ!」
  このあたりで一番高い砂丘の頂上から監視を続けていた部下が、カルザスの名を叫んだ。
「おうさっ!」
  カルザスは、勢い良く馬の脇腹を蹴り上げ、砂丘のてっぺんまで登らせると、望遠鏡を手にした。
  行商人風の汚らしい風体をした騎馬隊10騎が、アンゼルの砦から出てくるところだった。そして、よく見てみると、騎馬隊の中には子供らしき者も2人混じっていた。
“ありゃあ、シオン王子か……?とすると、もう一人は誰だ?”
  しかし、そんな事は今のカルザスにとってはどうでもいいことだった。
  見たところ、敵は大した武装もしておらず、しかも10騎という少数である。
  そして、なによりカルザス達にまるで気付いていない。
  ついに絶好の機会が到来したというわけだ。
 
  この戦い、勝てる!

 カルザスの頭の中で、必勝の二文字が浮かぶと同時に、野心が一気に燃え上がった。
“見てろよ!十二神将の座は、ヴァハ!お前だけじゃないって事をなっ!”
  同じ平民出身で、しかも傭兵上がりの十二神将ヴァハ・フレイムを密かにライバル視していたカルザスは、心の中で叫んだ。
  平民出身のヴァハ・フレイム同盟軍十二神将という地位に任命された時、身分制度を超越した未来を想像することもできた。その思いはある。個人的にも嫌いではない。しかし、それらのことは、まさに瑣末な問題でしかない。
  同じ平民出身で、武芸の腕も互角だというのに、待てど暮らせど自分には一切、十二神将の誘いはやってこなかった。ヴァハと同列でない自分を認めるのは、痛烈な屈辱の底に叩き落とされる思いだった。自分はその埒外におかれたただの傭兵隊長なのだという認識。
  ヴァハを乗り越えて、地位と名誉を手に入れ次期十二神将になる。それは、カルザスの戦士として最低限度の自尊心の立脚点になるのだ。

 カルザスは、ディアナ混成騎士団に号令を発した。
「全騎集合!敵を確認した!敵の数は10騎!強力な武装もせず、行商人になりすましている!これよりディアナ混成騎士団はシーガイア神聖騎士団に奇襲をかける!お前ら、心してかかれ!今や、ファルコン自由解放同盟内での名声と栄光は、俺たちの目の前まで迫っているんだッ!」





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