
突如としてヒイィィンッッという、耳をつんざく音とともに矢の雨がヴェスター達、シーガイア神聖騎士団の頭上に降り注いだ。
“弓矢かッ!?”
飛んでくる矢が見えるものではない。
しかし、いくつもの戦場を駆け抜けてきた経験から、それが束になった矢が斜め上空から飛んでくる音だということはわかっていた。
刹那、ヴェスターの体は条件反射的に曲刀を一閃させる動作を繰り出していた。
次の瞬間、束にして飛んできた矢が、ヴェスターの剣によって空中で両断され弾け飛んだ。
「殿下っ!?お怪我はっ!?」
「私は何ともないっ!それよりヴェスター、他の者の指揮を!」
他の団員達も同様、精鋭と謳われたシーガイア神聖騎士団だけあって、多少のかすり傷を負った者もいたが、全ての矢を空中で叩き斬り、難を逃れていた。
が、あまりに突然の事であったため、何事かと全員が手綱を一気に引き絞り、馬を止めた。
「何だッ?一体、今のはッ!?」
「ボウガンの矢のようだぞ!」
どよめくシーガイア神聖騎士団。
「ヴェスター様ッ!反乱軍とおぼしき騎馬部隊がこちらに向かってきますッ!旧ディアナ王国の紋章を掲げています!」
望遠鏡を手にした騎士、ジスター・ギッゼが叫んだ。
このあたりでもひときわ大きい砂丘から、ディアナ混成騎士団50騎の大部隊が一斉に滑り降りてくるのは壮麗な光景であったが、今の騎士ジスターにとっては恐怖の光景以外の何物でもなかった。
「なにっ!?そんなバカなっ!」
ヴェスターは驚愕した。
そう、それはまさに予想外の事だった。
今、ファルコン自由解放同盟は全軍を首都アストレーゼに集中させているはず。このような辺境の砂漠に反乱軍が兵を割く意味など何もないと断言してもいいのだ。
それがなぜ……?
「敵の数はッ!?」
「50騎ほどッ!全員が大型のボウガンなどの長距離射程の武器で武装していますッ!」
“50騎だとッ!?”
ヴェスターは一瞬、自分の耳を疑った。
しかし、騎士ジスター・ギッゼは間違いなくそう言ったのだ。
奇襲だ。
それも用意周到に準備された大規模なものだ。
"馬鹿なッ!魔法の存在を信じていないと、こんな事はできない芸当だ!反乱軍は『魔法』の存在を信じていないのではなかったのか!?しかも、魔法陣(ゲート)を使い、人間の転送が可能であるという専門的な知識を持っていないことには――"
結論はひとつ。
反乱軍は密かに魔法の研究を進めていたのだ。
そして魔法陣(ゲート)の存在を知り、それを使ってシオン王子といったシーガイア王朝の首脳陣が、この国境に最も近いアンゼルの砦に転送されて亡命を図ることも予測していたとしか考えられない。
“何という事だ!予想さえしていなかった最悪の事態だ!”
誰が、どうやって、そこまで見抜いたのかは、今のヴェスターにとってはどうでもいいことだった。
げんに、目の前に50騎もの大部隊が迫っているだ。
その上、こちらは亡命のためにまともな武装も兵力も削いできている。対する敵は、兵の数も武装の質も、何もかもが遥か上である。いかに精鋭であるシーガイア神聖騎士団でも、たった10騎でまともにぶつかっては全滅はまぬがれない。
「ヴェスター様!どういう……どういうことで、ありますか!?」
引きつった顔を見せる団員の一人がヴェスターに声を投げかけ、声以上にその上体が眼前に迫っていた。その顔は、あまたの戦場を駆け抜けてきた歴戦の聖騎士にすがるしかない、と言っていた。
ヴェスターの見つめる眼が、厳しいものになってしまうのだが、それでも聖騎士はこう言ってやる。
「……これは偶然だ。戦場には、こういう事はよくあるものだ。だが、落ち着いて迅速に対処すれば必ずや道は開ける。それが戦場というものだ」
ヴェスターは、肚の底で恐怖を感じながらも、冷静にそう言ってみせた。それが、シーガイア王朝が誇る最強の聖騎士が若い者たちに教えてやれる最大のものであるからだ。恐怖しろ、と教えて足しになる事などは何もないのだから。
「総員、全速離脱ッ!散会して、敵の目を少しでもシオン殿下からそらすのだ!騎士ジスター、私達二人は子供を抱えているため、敵の目から見ても特に目立っているはずだ。貴公はメイマーを連れて北東に逃走しろ!私は殿下をお守りしながら東に逃走する!決して平行線して走らず、我ら2騎が鉢合わせるような事ないように進路を取れッ!」
「了解しました!」
ヴェスターがそう号令をかけたと同時に、10騎のシーガイア神聖騎士団は四方八方に全力疾走で散った。
敵は長距離射程の強力なボウガンを持っているという。たぶん、こちらの足である馬を狙うはずだろう。
さっきは、運良く全ての矢を叩き落とせたが、連射されれば、いかなヴェスターという達人の剣さばきをもってしても防ぎきれるものではない。
どちらにしろ、いずれ追いつかれる。
まとまっていては、最重要人物であるシオンの身が危ない。
少しでもシオンに危険が及ばぬよう、ヴェスターはただでさえ少ないシーガイア神聖騎士団を四散させて、敵の兵力も分散させざるをえない作戦に出たのだ。
「ぬ!やはり散りやがったか!」
砂丘を滑り降りるように、先頭で馬を走らせていたゲド・カルザスは、今まで一塊だったシーガイア神聖騎士団が全速で四方八方に散るのを遠くから確認して、忌々しそうに呟いた。
だが、この絶対的な兵力差と武力の差を見せつけられては、自分とてそうしただろう。
重要人物をかくまって逃げている場合なら、なおさらだ。
“ガキをかくまっている二人の騎士は、それぞれ北東と東の全く別方向に逃げやがったか……どっちがシオン王子だ!?”
カルザスが頭の中で思索を巡らせていると、部下の一人が聞いてきた。
「隊長!やはり敵は四方に散りました!どうします!?」
「手順どおりにやれ!こっちは5倍の兵力だ。弓騎兵を前面に押し出して、敵の足を止め、各個、敵の息の音を止めろ!それからガキを引き連れて東に逃走している騎士は俺が殺る!お前らは北東に向かって逃げている騎士を仕留めろ。あの二騎のどちらかが、絶対シオン王子をかくまってるんだ!シオン王子を見つけたら、すぐには殺さず可能な限り俺に知らせるんだ!ゴルベリアスを発見した場合も同じだ!わかったなッ!」
「ハッ!了解しました!」
部下はカルザスの命令通り、十数騎を率いて騎士ジスター・ギッゼの逃走する北東方面へ向かった。
そしてカルザス自身は、自分専属の部下15騎に向かって叫ぶ。
「よぉし、おまえらは俺についてこい!シオン王子とゴルベリアスの首をとるんだ!」
「おおーっ!」
今やディアナ混成騎士団の士気は、カルザスの激しい鼓舞と、自分たちがゴルベリアスとシオン王子を倒すのだという陶酔感に浸って、天にも届かんばかりに膨れあがっていた。
「フレディ!ルーク!ロジャー!お前らは先行して奴に一撃お見舞いしてやれ!俺たちは、後ろから距離をとって飛び道具で援護する!」
「わかりましたっ!」
カルザスに名を呼ばれた三人の血気盛んな若い騎士達は、馬の脇腹を勢い良く蹴り上げ、カルザス達よりも更に速度を上げて、東に逃走するヴェスターの方に向かっていった。
“まずいな”
ヴェスターは、次々と背後から飛んでくる矢を曲刀で弾き返しながら心の中でひとりごちた。
まず第一に、敵は思った以上に強力な鋼鉄製の矢を使っている。
矢を弾くたびに、ヴェスターの鍛え上げた腕がじんと痺れるほどだ。これでは、一発でも馬に当たってしまえば致命傷となり、もう馬を使っての逃走は不可能となってしまうだろう。
第二に、やはり敵は子供を連れている騎士を重点的に狙ってきている。
それは、自分を追ってくる敵の数と、他の単騎で逃走している神聖騎士団員を追いかけている敵の数の差を比べても明らかなことだった。単騎で逃走する神聖騎士団員は、せいぜい5~7騎ていどの敵に狙われていたが、自分の場合はゆうに十数騎を越える敵部隊に狙われている。
恐らく、メイマーを連れた騎士ジスター・ギッゼも同じ目に遭っているはずだ。
第三に、ヴェスター自身の状況の問題だ。
シオンを徹底的に守り、全力で逃走しつつ、なおかつ襲ってくる敵とも戦わなければならないという三重苦を背負わされては、いかに達人であるヴェスターといえども大きな負担となっていた。
げんに、飛んでくる矢を叩き伏せるたびに大きく体勢が崩れ、自分のみならず上下左右に激しく揺れまくる馬上のシオンが放り出されぬよう気を使わなくてはならなかった。
それらの要素が全部が不利になって、ヴェスターの上に重くのしかかる。
子供を抱えたヴェスターの馬と、敵が乗っている一人乗り用の早馬のスピードとは比較にならず、ヴェスターと敵騎兵との距離はぐんぐん縮んでいく。
“このままでは…ッ!!”
ヴェスターがそう思った瞬間、先程、カルザスが放った若い騎士の一人がついにヴェスターに追いついてきた。
腕に多少自信があるのか、剣を鞘から抜き顔面を口にして斬りかかってきた。
「シオン王子いぃぃっ!覚悟おぉぉっ!」
「邪魔だッ!」
ヴェスターの怒りの剣が電光以上の素早さで一閃した。
その騎士の胴が上下に離れた。輪切りである。
が、ヴェスターが放った凄まじい一閃は剣風を巻き起こし、今までシオンの顔をすっぽり囲っていたフードがとれてしまった。
ヴェスターは、己のうかつさを呪った。
「殿下っ!フードをかぶり直し下さいっ!」
ただでさえ子連れの騎士ということで敵の集中攻撃の的にされているのに、このような目立つ容姿のシオンの顔を見られてしまっては、状況は更に悪化してしてしまう。
ヴェスターは戦慄した。
しかし、シオン王子はフードをかぶり直すこともせず、突然振り返ってヴェスターを見上げた。
そのシオンの赤い瞳に宿る光は、ある決心を秘めているようにヴェスターには映った。
「……ヴェスターよ、この体勢ではまともに敵と戦うことも、メイマーを助ける事もままなるまい!?私は今から『転移の術』で一旦アンゼルの砦に転移する!精神集中が終わるまでなんとか凌いでくれ!」
戦いの中、上下左右に激しく揺れる馬の上で、シオンは怒鳴るように叫んだ。
そのあまりの突飛な内容に、一瞬、ヴェスターは自分の耳を疑った。
「なんですとっ!?し、しかし殿下っ!アンゼルの砦に戻ったとしても、そこから先はどうするのです!?」
「そこからまた『転移の術』を何度も使って遠くに離れ、反乱軍の目の届かぬような安全な場所に身を隠すっ!出発前に約束したではないか。例え我らがはぐれるような事があっても、国境近くのアルーシェの大木の前で落ち合う手筈であったろうっ!?」
シオンの大胆な提案に、ヴェスターは仰天した。
「危険すぎますっ!それに短期間で『転移の術』を乱用すれば、寿命を縮め、殿下のお命に関わりますっ!」
そのヴェスターの言葉を受けたシオン王子は、フッと笑ったように見えた。
一瞬、ヴェスターはぞくりとした。
状況が状況だけに、シオン王子も蛮声に近い声を張り上げなければならないのだが、その瞳と表情は凍てつく氷のように冷静そのものであった。
「大丈夫だ、私は死なない。父上の占星術によると、私は少なくともあと20年は生き延びられる運命にある!父上の予知能力の力は、貴公ならよく知っておろう!?強い意志さえ保てば、運命は私に味方してくれる!ヴェスター、私にかまうことはないッ!さあッ!」
ヴェスターは、激しい逡巡の色を見せた。
事態は一刻の猶予もない。
しかし、ゴルベリアスの予知の結果は絶対であるとヴェスターも以前から知っていたし、何より今のシオン自身の有無を言わせぬ威圧感がヴェスターを折れさせた。
「……わかりました。このヴェスター、殿下の術が完成するまで、敵に指一本触れさせませぬ!殿下は術のご用意をっ!」
「すまぬ、ヴェスター。――それから、今からでも遅くはない。メイマーのところへ行ってやれッ!不吉な影がメイマーと騎士ジスターに迫っている!『転移の術』が完成すれば私は馬から消える!お前はメイマーを助けるのだ!」
そう叫び終わると、今までの激しいやりとりが嘘のようにシオン王子は静まりかえり、激しい馬上の揺れをものともせず、両手を合わせスウッと目を閉じて精神集中の瞑想を開始した。
“メイマーが!?くッ!”
シオンは『メイマーに不吉な影が迫っている』と言った。マグスであるシオンの言葉とあれば、ほぼ的中しているといっても間違いない。
ヴェスターは、手綱を一旦激しく引き絞ると、急旋回して騎士ジスターとメイマーが逃走した北東の方角に向かって馬を走らせた。
「カルザス隊長!ロジャーがやられました!あの子連れ騎士は、かなりの手練れのようです!」
不安定な馬の上で望遠鏡を手にした部下が叫んだ。
「あの馬鹿野郎がっ!俺たちの援護を待たずに一人で早まるからそういう事になるんだ!……ン?」
カルザスは、一瞬、虚を突かれた思いだった。
何を思ったか、ロジャーを輪切りにした子連れの騎士は、逃走する進路を東から北東の方角に変えたのだ。
「何を考えてやがるんだ……?」
北東の方角には、もう一騎の子連れ騎士が逃走していたはずだ。
自分たち、ディアナ混成軍の圧倒的な兵力を分散させるためにこそ、少数である彼らは四方八方に散っただろうに、同じ方角に進路を取り直しては意味がないではないか。
カルザスは、理解できないその子連れ騎士の動きに不思議なものを覚え、一旦、小高い砂丘の上で馬を止め、望遠鏡を手にした。
目を凝らしてよく見てみると、部下ロジャーを両断した騎士に抱かれるように乗っている少年は、かなり異様な雰囲気に包まれていた。
格好こそ茶褐色のぼろマントに身を包みんではあるが、髪も肌も異常といっていいほど白かった。 しかも、普通なら激しく揺れる馬の上で、子供なら取り付くのがやっとだろうに、両手を合わせ何らかの瞑想しているのか、不気味なほど落ち着いた空気が少年の周囲を覆い尽くしていた。
“あのガキ……あれは普通のガキじゃないっ!”
カルザスの直感がそう教えていた。
「行くぞ!あの子連れ騎士を全力で追うんだ!奴が馬に乗せているガキ――あれがシオン王子だっ!間違いない!」
「え!?それはどういう……?」
「グダグダぬかさず付いてこい!今の俺たちの位置からなら、奴に追いつける!先行させたフレディ、それにルークと共に奴を挟み撃ちにして、叩き伏せるんだ!」
そう言うと、カルザスは勢いよく馬の脇腹を蹴り疾風のごとく砂の上を走らせた。
“立場は、手に入れてみせる!”
それが、カルザスの信心である。
そうでなければ、シーガイア神聖騎士団を敵にまわして戦うという関係になった意味などない。
勇猛果敢な王女といわれたレティシア・ビュネーンは、すでに政治を司る人間に戻りつつある。だから、彼女はわざわざカルザスなどという男を使ってまでこんな事をさせているのだ。
だからこそ、カルザスは、レティシアの傘下にあって、死にもの狂いでシオンとゴルベリアスを抹殺してみせなければならないのだ。
先行したカルザスの部下、騎士フレディと騎士ルークは、先のヴェスターに輪切りにされた仲間のロジャーとは違い、多少は武芸に秀でた若者達だった。それに加えて慎重深さも持ち合わせていた。
それゆえ、なんとかヴェスターに追いついたものの、なかなか手を出せないでいた。
“この騎士は普通じゃない。手を出した瞬間、こっちが殺られる!”
二人とも、直感的にそう感じ取っていた。
おびえ、ひきつった二人の若者の表情を見抜いたヴェスターは、
「うっとしい小物どもが……悪いが死んでもらうぞ!」
そう呟くと、曲刀をジャキッと構え直した。
その刹那。
背後から突如ボウガンの矢がヴェスターの頭部をめがけて飛んできた。
間一髪で避けたヴェスター。ヴェスターのつやのある銀髪が何本かハラリと何本か散る。もう一瞬でもよけるのが遅れていたら、首ごと吹っ飛んでいただろう。
振り向くと、そこには強化型ボウガンに次の矢を装填するゲド・カルザスの姿が間近に迫っていた。
「そこの子連れ騎士ッ!そのガキがシオン王子だって事はわかっているんだッ!シオン王子を渡せッ!そうすれば命だけは助けてやろう!」
カルザスの挑発的な怒声が背後から響く。
“バリア人か?”
薄紫色の頭髪に黒い瞳。統一性のないカルザスの風貌は、バリア人の特徴を顕著にあらわしていた。
“あの威勢、風格からすると、どうやら奴がこの騎士団の長(おさ)らしいな”
ヴェスターは、瞬時にカルザスの身分を見抜いた。だからといって、対応が変るわけではない。挑発には挑発で返した。
「多勢で我らを奇襲し、しかも今もまた背後から不意打ちをするようなバリア人の言うことになどに聞く耳は持たんッ!追いつけるものなら、追いついてみろ!」
その時、今まで瞑想を続けていたシオン王子の体が、いきなりバアッとまばゆいばかりの橙色の光で包まれた。カルザス達の前面に、一瞬稲妻がぶちあたったような閃光ができて、完全に視界がなくなる。
「な、なんだっ!なんだってんだっ!?」
カルザスをはじめ、その場にいたディアナ混成騎士の面々は、この世のものとは思えぬ現象に目を見開き、恐怖と畏怖の感情で馬を止めたくなる衝動を必死で抑えていた。
シオン王子は、それまで静かに閉じていた目をカッと見開き、ヴェスターの方に振り返った。
「ヴェスター、術は完成したっ!今から転移する!私が消えたあと、体勢を崩すなよっ!メイマーとジスターを頼むっ!」
橙色の美しいオーラに包まれたシオン王子の口から、優しい気遣いの言葉が発せられた。
「ハッ!殿下のご無事をお祈りしております!」
「うむ。死ぬなよ、ヴェスター!」
そう言い終わると、シオンはビシュンという風を切るような音とともに跡形もなく消え去った。
まばゆい橙色の輝きに照らされていた砂漠は、再び元の色を取り戻していた。
すべては一瞬の出来事だった。
「――なっ!?き、消えただとっ!」
カルザスは驚愕のあまり目を丸くした。さっきまで騎士の膝にとりついていた子供が跡形もなく消え去っている。
“では、やはりあれは本物のシオン王子だったか!シオン王子に魔法で逃げられたというのかっ!?”
カルザスの心の奥底から、黒い怒りと痛烈な屈辱感がマグマのように沸き上がってきた。
「きさまぁッー!よくも俺の手柄をッ!」
カルザスは両足で勢いよく馬の脇腹を蹴り続け、この辛酸を舐めさせられた屈辱を晴らすべくヴェスターに向かって突進していった。
一方のヴェスターは、最大の任務であったシオン王子の安全をとりあえず確保できたとはいえ、カルザスのような頭に血が上っているような者を相手にしている時間はなかった。
“娘よっ!メイマーよ!どうか無事でいてくれ!”
ヴェスターは祈りながら、しゃにむに追ってくるカルザス達を尻目に、北東の方角に馬をひた走らせ続けた。
「おとうさまぁーっ!助けてーっ!」
幼い少女の助けを求める悲痛な叫びが、ヴェスターには確かに聞こえた。
「メイマーッ!」
ヴェスターが駆けつけた時には、時既に遅く、騎士ジスターは惨殺され、残った娘メイマーも今まさに処刑されようとしていたところだった。周囲はディアナ混成騎士団十数人の男達が取り囲み、その円の中心にボロクズのように打ち捨てられ、血にまみれた騎士ジスターの亡骸があった。
そして、ジスターの死体を踏みつけにして、屈強そうな筋肉質の男がメイマーの両手を体ごと空中まで掴み上げて、喉元に鋭いナイフをあてがっていた。
ヴェスターはすかさず馬を下り、その屈強な男の手前まで一歩一歩踏みしめるように足を運んでいった。
「……その娘を離せ」
静かだが恐ろしくドスの効いた声を、ヴェスターは男に伏目がちに放った。
「な、なんだぁ、てめぇ?このガキの父親かよ?」
今のヴェスターの持つ激しい憤怒の感情を読み取ったのか、筋肉質の男は多少狼狽の色をみせつつ聞き返した。
「いくら反乱軍といっても情けといった感情も持ち合わせているだろう。その子はまだたった5つになったばかりだ。それが騎士の……いや、人間のすることかっ!」
ヴェスターなりの道徳を持ち出して説得しようとしたつもりだったが、逆にその言葉が男の癇に最もさわったようだった。
また、仲間の前でのメンツもあり、恐怖の感情を無理矢理怒りにすり替えて、ヴェスターの威圧に対抗した。
「『人間のすること』だと?ハハハ!こいつぁ、笑わせるぜ。お前達シーガイア王朝の人間が、罪もない何百何千という人間を虫ケラのように殺しまくったのを忘れたのかよっ!?この偽善者がっ!」
屈強な男の鉄拳がうなりをたててヴェスターの横面にまともに入り、ヴェスターは吹っ飛び倒れた。
「おとうさまァッ!」
メイマーの父を想う悲痛な叫びが、砂漠にこだまする。
「……まぁったく、ザックスの言う通りだぜ」
ヴェスターは、ハッとした。
聞き覚えのある声だった。
馬の鳴き声とともにゆっくりとした馬蹄(ばてい)の音が止まったと思うと、ザッザッという足音がヴェスターの方に近づいてくる。
薄紫の髪を短く刈り込み、細く尖った顎をした精悍な顔つきの男がヴェスターの視界に入った。
ゲド・カルザスである。
だが、その顔は、一見薄笑いを浮かべているように見えるものの、怒りで醜くひきつり、薄い唇は激しく震えていた。
カルザスはゆっくりと中腰になり、倒れたままのヴェスターの銀髪をまるでねじ切るかのように無理矢理掴み上げ、同じ目線の位置までもってきた。その痛みにヴェスターは思わず呻いた。
「ぐっ!」
「よぉ……さっきはよくもやってくれやがったな。てめえのおかげで俺の信用はガタ落ちだ。お偉いさんにもあわせる顔がねえ。どうしてくれる?」
「………」
カルザスの怒りは、頂点に達しているようだった。こめかみの血管が膨れあがっていた。
このような者に、今はなにを言っても無駄とということをヴェスターは経験から知っていたので、あえて押し黙り、視線だけははずさなかった。
「なにすました顔してやがんだよっ!ええっ!?」
言い終わるまでもなく、バキッっという鈍い音とともに真正面からカルザスの鋭い正拳突きがヴェスターの顔面にまともに入った。
「ぐはっ!」
真正面からカルザスの鉄拳制裁をくらったヴェスターは、鼻血を垂らしながら、四つんばいになった。立とうとしても、正面から鉄拳をくらったせいか、すぐに足がいうことをきいてくれない。
「いいザマだぜ。なぁ、みんなっ!?」
カルザスの言葉に、周囲からギャハハハハと悪意に満ちた笑い声が響いた。
ヴェスターはうむと腰に力を入れ、何とか立ち上がると、多少ふらついた足取りではあったが真っ直ぐにカルザスの視線を見つめた。
「わ、私はシーガイア王朝の聖騎士、ヴェスター・ザウドニック。貴公がシオン殿下を捕らえることができず、手柄が得られなかった事に我慢ならないのなら、私の首を差しだそう。シーガイア王朝の聖騎士の首ともなれば、大した手柄になろう?」
ヴェスターの言葉に、カルザスの眉がピクッと動いた。
「ほぉぉ?お前があの有名なシーガイア王朝の聖騎士ヴェスター・ザウドニックとはね……だがな、俺は手前のような小物に用はねぇんだ。ゴルベリアスだよ。ゴルベリアスも魔法陣(ゲート)で転送されているはずだ。奴はどの方角に逃げた?」
「陛下は、ここにはおられない。御自らの意志で首都アストレーゼの居城、ヴァレンタイム城に残られ、反乱軍と対峙されるおつもりだ……魔法陣(ゲート)によって転送されたのは我ら神聖騎士団とシオン殿下だけだ」
その瞬間、再びカルザスの鉄拳が恐ろしい速さでヴェスターのみぞおちにドボッと食いこんだ。
「ぐおぅっ!」
体を折り、みぞおちを押さえるヴェスターを、カルザスはねっとりとした口調で問いただした。
「そんな見え見えの嘘が通るとでも思ってんのか、聖騎士さんよぉ?シーガイア王朝の王で、しかも最強のマグスであるゴルベリアスが、わざと城に居残っただと?同盟軍10万の大軍を相手にか?ゴルベリアスには自殺願望でもあるってのか?」
ヴェスターは、ふらつく足取りでみぞおちを押さえたまま、かすれた声で言った。
「ザ、ザフネス教の神髄を知らぬ貴公ら反乱軍には、陛下の御心など分ろうはずもない……全て覚悟の上で陛下は残られたのだ。私の言うことに嘘はないッ!」
カルザスは軽く顎を上げて、必死に訴えかけるヴェスターを見下しながら、一方で思索を巡らせていた。
“ザフネス教を信じてる奴らは、こと聖神ザフネスや巫女王(ふじょうおう)ゼノビアの事となると平気で命を投げ出すと聞く。このヴェスターとかいう聖騎士の言うことが本当なら、ゴルベリアスも同類だったってわけか……?”
が、カルザスはそこまでで考えを打ち切った。どうせ狂信者の心理など自分たちに分るはずがないと悟ったからである。
“フン、どうせ残りのシーガイア神聖騎士団の団員達も、今頃、部下達の手によって始末されている頃だろうさ。その時、ゴルベリアスの死体があるかどうかじっくり調べればいいだけのことだ”
カルザスは、そう断定し、今は目の前にいる聖騎士を名乗る男の尋問を再び続けることにした。
いかにしがない傭兵隊長であるカルザスでも、シーガイア王朝の聖騎士、ヴェスター・ザウドニックの絶大な権力は耳にしたことがある。
ゴルベリアスに次ぐ権力を持ち、いかなる政治的制約も受けず、シーガイア王朝の母国リドル神聖国で認められた最高の騎士であるという情報も、ファルコン自由解放同盟には知れ渡っていた。
この聖騎士の首を持ち帰れば、シオン王子やゴルベリアスほどではないにしろ、相当な手柄になるであろう事は想像に難くない。
「まあいい、話を戻そう――で?お前が聖騎士だと証明するものはあるのかい?」
「今は、ない。しかし、私の首級(しるし)とアンゼルの砦に残してきた装備を反乱軍に持ち帰れば、リューベン・スターロード王子をはじめとした反乱軍の指導者達によって、私がシーガイア王朝の聖騎士である事が証明されるだろう。貴公らも知っておろう。聖騎士の地位はマグスに次ぐ絶大な権力者だということが!」
「フン……で、その聖騎士さまが、なんで死の間際に、わざわざ俺たち劣等人種のバリア人などに自己紹介してくださったのかな?」
自らの命を投げ出すというヴェスターの言葉に対しても、カルザスの瞳に宿る懐疑的な光は、いささかも消えることはなかった。
「手柄は私の首だけでも充分だろう?その娘は離せ……殺したとしても、何の手柄にもならんぞ?」
「それが大いにあるんだよ。そのガキはお前の娘だろう?シーガイア神聖騎士団団長のご令嬢ともなれば、手柄のうちのひとつだ。捨て置けんな。大体、シーガイア王朝の聖騎士ともあろう者が、王は置き去りにするくせに、我が子可愛さに魔法陣(ゲート)を使ってまで亡命させようとするかね?」
カルザスの核心を突いた言葉に、ヴェスターは全身の毛穴から冷や汗が吹き出るのを実感した。
「俺たちをなめてもらっちゃ困る。魔法陣(ゲート)を使った転送には、寿命を縮めるほどの魔法力を必要とするのは、とうに調べ済みなんだよ。そんな大魔法を、親子が離ればなれになるのは可哀想だってんで、ほいほい使ってくれるのかね?ゴルベリアスって男は?このガキも、シーガイア王朝にとって、よほどの重要人物じゃないのか?ええ?」
ヴェスターは、努めて冷静さを保つよう自分に言い聞かせた。
このままでは、自分も、そして娘のメイマーも殺されてしまう。
何か打開策はないか……何か……。
“全知全能なる光の神ザフネスよ、巫女王ゼノビアよ、私はどうなってもかまわない。せめて……せめて娘の命だけでも救いたまえ――”
ヴェスターは一旦天を仰ぎ、目を細めて砂漠のはるか遠方を見渡した。
遠方では、他の方角に逃げた神聖騎士団の団員達も、ディアナ混成騎士団の騎士達に追いつかれ、次々と討ち倒されてゆくのが目に入った。
その中には何を思ったか、こちらの方角に全力疾走で向かってくる一騎の神聖騎士団員の姿も見て取れた。
その光景を目の当たりにして、
“……一瞬が、勝負だな”
ヴェスターは心の中で密かに決心を固めていた。
「おい、何とか言ったらどうなんだ?聖騎士さんよ?」
カルザスは、急に黙りこくったヴェスターの肩をつかんでガクガクと揺さぶりをかけた。
刹那、ヴェスターは電光以上の素早さで、近くにいるディアナ兵の顎に鋭い掌底をくらわせ、その兵の槍を奪い取ると、ビュンッとうなりをたてて槍を構えた。
「なッ!?てめえッ!どういうつもりだッ!」
ヴェスターの予想外の行動に、カルザスは信じられないものを見たかのように目を見張り、一歩後ずさった。
「……私とて、やはり自分の命が惜しいのでな。今までは自分の地位に縛られて、貴様らのリンチにも我慢してきたが――もはや、聖騎士の名誉も、娘の命も、どうでもいい!貴様らを殺し、私は生き延びさせてもらう!」
カルザスは、まさかと思ったが、ヴェスターの瞳に宿る光は完全に吹っ切れた者のそれだった。
“こいつはイカれてやがる!”
カルザスはそう直感し、体を戦慄が走り抜けた。
「む、娘をブチ殺すぞ!娘がどうなってもいいってのかっ!」
「言っただろう、背に腹は代えられん。殺すなら、さっさと殺すがいい!私にとっては、そんな娘より自分の命の方が遙かに大事なのでな!」
ヴェスターは、はっきりとした口調でそう言い切った。
「おとうさま……」
いつも自分を可愛がってくれた父が、我が身惜しさに自分を見捨て、特に『娘より自分の命の方が大事だ』という父ヴェスターの一言は、幼いメイマーには衝撃的すぎた。
眼前で繰り広げられるあまりの光景に、メイマーの喉はひきつり、涙を流すことも忘れていた。
「てめぇ、イカれてんのか?その槍一本で何ができるってんだ?目の前の光景を見てからものを言ったらどうなんだ?」
カルザスの発した怒号と同時に、周囲のディアナ兵十数人が一斉に剣や槍といった自分の武器をジャキッと構える音が幾十にも響いた。
「私をなめるなよ?これでもシーガイア王朝の聖騎士だ。貴様らザコなど束になっても私には勝てんよ。それにな……」
ヴェスターは、そこで一旦言葉をきると、
「――覚悟さえあれば、人間は限界以上の力を出すことができるんだ!」
瞬間!
メイマーを人質にとっていたザックスの手に、手投げナイフがうなりをたてて突き刺さった。 そのナイフは、アンゼルの砦を出発する前に、騎士ベストン・クリューガーが念入りに手入れを施していたものだった。
「ぐあぁっ!?」
筋肉質の男ザックスは、手に刺さったナイフを引き抜くため、メイマーを放り投げた。
「ベストンッ!」
ヴェスターの絶叫とともに、一騎の馬の影が跳躍し、ディアナ兵の集団を飛び越えた。
騎士ベストン・クリューガーだった。
先程、ヴェスターが目撃した、こちらに全力疾走で向かってきていた騎士は、ベストンだったのだ。
「ベストンッ!メイマーをッ!」
ヴェスターと騎士ベストンは一瞬だけ目を合わせ、全ての段取りを瞳のやりとりだけで行った。
2人とも、自分たちがそれぞれ何を成すべきか了解していた。
ベストンは疾風の如く、密集した兵の中をなぎ払うように駆け抜け、メイマーを危機一髪で拾い上げると、そのまま全力疾走で離脱した。
「な……に…?」
あまりに一瞬の出来事だったので、カルザスは唖然としたまま、どんどん砂漠の向こうに遠ざかっていく騎士ベストンをしばし凝視していた。他の兵も同様、口を半開きにして、人質であったメイマーを奪われたことすら忘れ、離れていく騎士ベストンを見つめていた。
しかし、そこは頭の切り替えの早いカルザスだけあって、すぐに目の前の事態に対応する。
「てめえら、何をボーッとしてやがるんだ!撃て!あの騎士をブチ殺せ!すぐに強化型ボウガンを用意――」
そこまでカルザスが言いかけたところで、ヴェスターの槍の鋭い一閃がカルザスの右目を斬り裂いた。
「ぐぎゃァッ!」
想像を絶する激痛がカルザスの右目を襲った。目の前が真っ赤に染まる。
絶叫とともに飛び退くカルザス。
血が吹き出ようとする右目を必死で押さえたカルザスに対して、ヴェスターは吠えた。
「騎士ベストンと、我が娘メイマーの命を狙う者は、この聖騎士ヴェスター・ザウドニックが許さんッ!下がれッ!下郎がッ!」
ヴェスターは、再度ビュンッと槍にうなりをつけて、切っ先についたカルザスの血を払った。
「き、貴様あぁっ!よくも俺の目をッ!」
声を枯らさんばかりの大声でカルザスは叫んだ。こめかみには青筋が浮き上がり、残った左目は憤怒の充血で彩られていた。
「かかってこい、ザコどもッ!彼らには指一本触れさせん!シーガイア聖騎士の力を見せてやろうッ!」
ヴェスターは、あえて相手の癇に触るような言い方と態度で相手を挑発し、少しでも注意を自分だけに引きつけようと必死で声を張り上げた。
全力疾走する馬の上で、メイマーは父の名を声も枯れんばかりに叫び続けていた。
「お父様ァ!お父様ァッ!」
こうして叫んでる間にも、どんどん父ヴェスターとの距離は離れてゆく。
メイマーは、キッと騎士ベストンの方を見やって叫んだ。
「ベストン!もどりなさいっ!お父様が殺されちゃうっ!」
しかし騎士ベストンは頑として押し黙ったまま、馬の脇腹を全力で何度も蹴りつけ、ますますスピードを上げていく。
「ベストンッ!私のいうことが聞けないの?もどりなさい!お父様をたすけなくちゃっ!」
「やかましいッ!」
いきなり騎士ベストンのすさまじい怒声がとび、メイマーは一瞬凍り付いた。
「今戻れば、せっかくヴェスター様がくださった、あなたを助けた千載一遇のチャンスが全部無駄になるんだぞっ!そんなこともわからんのかっ!」
騎士ベストンの言いようには鬼気迫るものあった。普段のメイマーに対する言葉遣いとは明らかに違っていた。
「でも……でも、このままじゃ、お父様が死んじゃうっ!殺されちゃうっ!」
それでもメイマーはひるまずに必死に懇願を続けた。
「うるさいっ!黙らんと、その首を締め上げるぞっ!あなたは黙って、私にしっかり掴まっていればいいッ!」
「ベストンのバカ!もどりなさいっ!もどりなさいったら!」
メイマーは涙で顔を濡らしながら、細い可憐な腕で騎士ベストンの背中をパンパンと精一杯叩き続けた。
だが、騎士ベストンは再び押し黙り、さらに馬のスピードを加速させるだけだった。
「しねぇっ!」
わけのわからぬ雑兵が数人、ヴェスターに斬りかかってきた。
しかし、ヴェスターは隙を見せるどころか、ディアナ兵達の攻撃の合間をぬって、強力な弧を描く槍の一閃を放ち、逆にディアナ兵たち数人の体をいっぺんに斬り裂いた。
「バ、バカな!これがくたばり損ないの力かっ!?」
カルザスは、既に10人はいたディアナ兵を、たった1人で葬り去ったヴェスターの実力を目の当たりにして、叫ばずにはいられなかった。
「……フ、だが、いくら聖騎士とはいえ、人間だな。息が切れ始めているぞ?」
カルザスの観察眼に間違いはなかった。
いかに超一流の武芸の腕を持つヴェスターといえども、奇襲を受けてからというもの何十人もの人間を相手に連戦を繰り広げてきたおかげで、極度の疲労による息切れが迫りつつあった。
「今度こそ終わりにしてやる――弓兵隊っ!前へっ!」
カルザスの号令によって、一斉にボウガンを構えた弓兵達が片膝をついて一列に並び、かなりの至近距離からヴェスターに狙いを定めた。
「射てっ!」
バシュンッという弓弦(ゆみづる)の音が幾十にも重なり合い、矢の束がヴェスターめがけてうなりをたてて飛んでいく。
ヴェスターは、再び槍を構えた。
「ハアッ!」
ヴェスターの槍の切っ先が地から空へはね上がり、矢の束を払って空に散らした。
が、やはりこれまでの連戦による疲労の影響はまぬがれなかったのだろう。致命傷は避けられたものの、ボウガンの矢の数本がヴェスターの肩と胸、手足に深々と突き刺さり、鮮血がほとばしった。
「ぐうっ!」
ヴェスターは歯を食いしばり、思わず呻き、足をひきずるようにして一歩後ずさった。
「ほぅ……!まだ死なねえのか。とことんしぶとい野郎だ。だが、もうすぐ楽にしてやる」
カルザスは背中に吊した大剣を鞘から引き抜くと、一歩ずつ踏みしめるようにヴェスターの元に向かっていった。
「てめえは俺の右目を傷つけやがった。失明するかもしれねえ。戦士として片目が見えないと言うことがどんなに致命的な事か、お前にもわかるだろ?」
ヴェスターの体力はもはや限界に達していた。ガクンと片膝をつき、矢の突き刺さった部分からドクドクと流れ出る血を押さえるのに精一杯だった。
カルザスは、ヴェスターの目の前まで来ると、大剣を肩にトンと当て、軽く顎を上げて見下すような目線で言う。
「最後の相手が俺でよかったなぁ、聖騎士さんよ。他の奴だったら、ジワジワなぶり殺されても仕方ねえ事のほどをお前はやってきたんだ。心配するな。一撃で地獄へ送ってやる――――地獄へなぁっ!」
そう叫ぶと同時に、カルザスは恐ろしい速さで剣を振り下ろし、ヴェスターの心臓を貫いた。
「ぐわあぁぁッ!」
大量の赤黒い鮮血が、ヴェスターの胸から吹き出した。
それが、聖騎士ヴェスター・ザウドニックの断末魔となった。
「シーガイア王朝の聖騎士、とったりっ!我らの勝利だっ!」
カルザスの甲高い声が周囲に響き、兵達からはうおーっという歓声があがった。
薄れゆく最後の意識の中で、ヴェスターは願った。
“……我が娘メイマーよ、生き延びろよ……そして、いつか私を越えるような、心優しく強い聖騎士に……父はいつまでもお前の事を見守っているぞ………メイマー……”
それを最期に、ヴェスターに残された命の灯火(ともしび)は永久に消え去った……。
※※※※※※※※※※※※
沈みゆく夕日の輝きが、砂漠の砂丘を朱に染め上げていた。
“すぐに夜になるな。砂漠の夜は氷点下まで下がる。なんとかせんと……”
騎士ベストンは、夕日を見つめながら砂漠の過酷な夜をどうやって乗り切るか思索を巡らせていた。
その後ろでは、メイマーが地面に座り込み、涙で顔をびちょびちょに濡らしながら泣きじゃくっていた。
「えっぐ……ひっく……お父様がしんじゃった……」
あの時メイマーは、かなり離れてはいたが、確かに心臓を貫かれる父ヴェスターの最期を目撃してしまっていたのだ。
二人は、なんとか無事にディアナ混成騎士団の追撃を振り切り、身を潜めていたのだが、メイマーはその間中、ずっとこの調子だった。
「わたし、おとうさまがいなくなったらどうすればいいの……おとうさまぁ……ひっく……」
その言葉を聞いた騎士ベストンは、突然キッとメイマーの方を振り返ると、つかつかと歩み寄った。
バシィンッという音が砂漠に響いた。
騎士ベストンの平手打ちが、メイマーの頬を打ったのである。
メイマーは、一気に泣き止み、手を頬に当て、あっけにとられた様子で目を見開いていた。
「一体、いつまでそうメソメソ泣いているつもりだッ!それでもシーガイア聖騎士だったヴェスター・ザウドニックの娘かッ!?次に一度でも俺の前で泣いてみせろ!砂漠の果てに容赦なく放り出してやるッ!」
騎士ベストンの顔は、まるで鬼の形相のように怒りに歪み果て、目は血走っていた。
痛みを感じる事も忘れ、メイマーは騎士ベストンを凝視していた。
「ベストン……」
しばしの間、重い沈黙が両者の間を包み込んだ。
騎士ベストンは、やっとの事で肩の震えを止め、顔を伏せると同時にガクンと膝をつき、メイマーの両肩をそっとつかんだ。
「……ご無礼をお許し下さい、メイマー様。こんなお年で、お父上の死を目の当たりにし、さぞやお辛いでしょう。泣きたい気持ちは、このベストン・クリューガーも同じです。しかし、あなた様は、いずれシーガイア王朝の聖騎士となられるお方。聖騎士には、こんな事でくじけてはならない心の強さが求められるのです。メイマー様、お辛いでしょうが、何とぞ、このベストン・クリューガーの気持ちを汲んでくださいませ」
騎士ベストンは再び小刻みに肩を震わせながら、呻くように言葉を吐き出した。
しかし、その表情からは先程の憤怒に歪んだ鬼のような形相は消えていた。落胆の極地にあるとはいえ、口調と表情はいつものメイマーが知っているベストン・クリューガーのものに戻っていた。
「……ベストン、ごめんなさい。わたし、弱虫だから、いつもベストンやみんな、それにお父様ををこまらせて……」
メイマーは、絞り出すような声でそう言った。その声音は、今にも消え入りそうな儚さを含んでいた。
「いえ、メイマー様は確かに聖騎士になれる素養をお持ちです。私の目に狂いはありません。きっと、お父上のご意志を継ぎ、立派なシーガイア聖騎士になられることでしょう」
そう言うと、ベストンはすくと立ち上がり、目を細めながら沈みゆく夕日を見つめた。
「――すでにシーガイア王朝は滅亡し、国境に落ち延びる作戦も完膚無きまでに粉砕されてしまった今、これから私達がどうなるかわからない……。ですが、ご安心下さい。及ばずながら、このベストン・クリューガーが、亡き父上に代わってメイマー様に、私が会得した騎士としての全てをお教えしましょう。私は聖騎士ではありませんが、メイマー様なら、私の騎士としての作法と武芸を聖騎士のものとして昇華させられるものと信じております」
ベストンはそう言うと、メイマーの方を振り返って初めてフッとかすかに哀愁のこもった笑顔を見せた。
「うん……ベストンがそういうのなら……わたし、お父様の代りにかならずりっぱな聖騎士になってみせるわ。へいかもそうおっしゃってたもの」
メイマーはやっと少しだけ元気を取り戻したようだ。
「その意気です。メイマー様。そして、いつの日か、あのバリア人どもに聖なる裁きを下さねばなりません」
「……バリア人にさばきを?」
メイマーは意味がわからず、不思議そうな顔で尋ねる。
「そうです。メイマー様も体験なさったでしょう?バリア人という輩(やから)は、己の利益のためなら、平気でメイマー様のような子供を人質にとり、手が出せないでいる無防備なヴェスター様を一方的にリンチにかけ、それでいて平然と笑っていられる――人間の尊厳も、命も、何とも思ってない最下等の人種。それがバリア人です。バリア人はこの世を腐敗させる、堕落しきった唾棄(だき)すべき存在なのですッ!」
その騎士ベストンの言いようには、魂の底から湧き上がる怒りの震えが感じられた。
「よいですか?メイマー様。あなた様が、シーガイア聖騎士となられた暁には、陛下と、そして亡きお父上ヴェスター様の悲願であったバリア人の根絶をぜひとも成し遂げてもらいたいのです。そのためには、このベストン・クリューガー、命をも投げ出す覚悟であります!」
メイマーには、幼さゆえ騎士ベストンの言うことが完全には理解できなかったが、ここまで必死になっている騎士ベストンの期待には応えたいと素直に思った。
「うん。わたし、ベストンとお父様、それにへいかも喜ばれるような聖騎士になってみせるわ。そうしたら、天の国にいったお父様も喜んでくれるわよね?」
「もちろんですとも、メイマー様。苦しいこともありましょうが、これからは二人で、共に頑張って生き抜いていきましょう。生きて、生きて、生き抜くのです!よいですな?メイマー様!」
「うん!」
メイマーと騎士ベストンは、固く拳を握り合い、美しくどこまでも広がる砂漠の夕焼けをいつまでも見つめていた……。