
リューベンは、突き刺すような寒気に目を覚まさせられた。
体中の関節が、ぎしぎしと音をたたて痛む。
ゴルベリアスの首を斬り飛ばした瞬間、虹色の閃光に包まれ、衝撃波をくらって壁に身体を打ちつけて気を失った。
そこまでは覚えている。ただ――
ぼんやりする頭にウムと気合を入れ、辺りを見回す。
全く見覚えのない光景。あたりは暗く、今は夜の様だが、リューベンはどこかの市街の片隅に倒れこんでいた。
“この街並み……アストレーゼではない……?”
リューベンを取り巻く街並みのたたずまいは、明らかにシーガイア王朝の首都アストレーゼのものではなかった。
城壁都市アストレーゼの城下町は、ファルコン自由解放同盟が攻め込んだとき、シーガイア軍との戦闘によって炎上していたはずだ。
気絶してから数日経っているとしても、この街道はバラック小屋が建ち並び貧民街のような煩雑さの印象こそ受けるが、つい最近まで戦場になった跡などどこにもないのだ。
闇夜にうっすらとたたずむ民家や街道に、人間が一人も見当たらないのも手伝ってか、リューベンの目は、なにか不気味なものを感じたぐらいだった。
何もわからない曖昧な空間に放り出されるほど、不安な事はない。それはリューベンとて同じ事だった。
「どこだ、ここは……?」
ついさっきまで血と煙、人々の怒号や叫び声の中にいたリューベンは、まったく正反対の静寂が支配する空間に放り出されたあまりの落差に、しばし呆然と立ち尽くすしかなかった。
その時、街道の明るいほうから、人の争う声が聞こえてきた。
“明かり?人がいるのか?”
まったく人間の姿が見えないこの街で、初めて聞こえた人の声。
リューベンはともかくも、その声のするほうに足を向けた。
だんだん、声のするほうに近づいていくと、その声は蛮声に近いもので、一方的なものに近いと分かってきた。
見てみると、やっと人だかりというものに巡り会うことができた。やっとこれで、不可解なこの現象を誰かが説明してくれるという安堵感があった。
しかし、その予想は見事に裏切られた。
「何が起こってるんだ?ここはどこだ?」というリューベンの問いに対して、人々は驚くほど無関心で全く生気のないうつろな瞳を向けるだけで、答えようともしない。
“一体、なんだというんだ?”
リューベンは、軽い怒りを覚えながら、このままでは埒があかないと思い、せめてこの無関心な群衆が何に興味を引かれているのか知るため、人だかりの中をかきわけて中に入っていった。
人だかりを抜けると、そこには信じがたい光景があった。
野蛮そうな物腰であるが、きっちりとした黒い軍服風の詰襟の服を身につけた男二人が、剣を抜いて一方的に地面に座り込んだ女を攻め立てていた。
女の方は、ボロ布といっていいような汚らしい服に身を包み、手には手錠をはめられ、髪も顔も泥だらけといった風体だった。
「立て!この売女め!この期に及んで俺たちに反抗するとはいい度胸だ」
「私は、あなたたちにそんなことを言われるような事は、なにひとつしていません!家に帰してください!」
女は、軍服の男達の恫喝にも負けず、はっきりとした口調で抗議した。
その言い様は、目の前に剣をちらつかされているというのに、驚くほど芯がしっかりしたもので、全くおびえひきつったような雰囲気を感じさせない。
「おい、聞いたかよ?罪人のくせしてふてえ事を言いやがる」
「口だけは達者だな。その気になれば、お前を公務妨害としてこの場で斬り捨てる事もできるんだぞ?おい、女!わかってんのかっ!?」
だが、女の方はあくまでふてぶてしい態度を崩さない。
「どうぞお好きに。自分に嘘をつくのはもうたくさん。正直に生きて、殺されるというのなら甘んじて受けましょう」
女の言葉を受けて、二人の軍服姿の男は互いに顔を見合わせると、示し合わせたようにニヤリと笑った。
「よぉし、言ったな、女。国家反逆罪に値する暴言だ。今この場で処断する」
軍服の男の一人が、剣を上段に構え、今まさに女の首を斬り飛ばそうとした、その時、
「待てっ!その人を斬るんじゃない!」
リューベンは眼前に広がる光景に対し、条件反射的に叫んでいた。
「なんだぁ、貴様?」
いきなり『お楽しみ』を中断された軍服の男二人は、鋭い眼光をリューベンに向けて睨みつけた。
並みの者なら、思わず後ずさってしまうようなその眼光も、歴戦の勇士であるリューベンにとっては、いささかたじろぐこともなかった。
「一体、何があった?バリア人狩りか?どちらにしろ、あまりにも一方的じゃないか!剣をしまえ。その婦人を解放しろ」
リューベンは喋りながら二人の男の姿を観察していた。
二人が身に纏っている黒い軍服はシーガイア王朝兵士のものでもなくば、ファルコン自由解放同盟の兵のものでもない、リューベンが今まで見たこともないものだった。
ただ、二人の男の胸には、かつての旧ファルコン共和国によく似た5王国を象徴する五芒星の紋章が刺繍されているのが気になった。しかし、リューベンの知る限り、旧ファルコン共和国にはこのような軍服は配備されていなかったはずだ。
「見憶えのない顔だな。姓と名を名乗れ。身分は?」
軍服の男は、剣を肩にトンと置くと、いかにも相手を威圧するような口調で問いかけた。
まるで尋問である。
「私の名はリューベン・スターロード。ファルコン自由解放同盟の盟主で、旧クルトニア王国の王子だ。ここがどこかは知らないが、いやしくもファルコン半島に住む者なら私の名を聞いたことがあるはずだろう?」
リューベンは威厳をもって返答したつもりだったが、二人の男はなんとも珍妙な面持ちで顔を見合わせた。
「『ファルコン自由解放同盟』?『リューベン・スターロード』?なんの話だ?おい、わかるか?」
「さあ……これじゃないのか?」
一人の役人が自分の頭を指差して、くるくる回してみせる。
どうやらリューベンの言葉は空を切り、完全に狂人のそれと思われているらしい。
「おい、貴様、帯剣証はどうした?もちろん身につけてるんだろうな?提出してもらおうか」
軍服の男が問いかける。
「帯剣…証?何のことだ?」
リューベンには皆目見当がつかない。ファルコン半島の数ある国の中でも、そのようなものは聞いたことがないのだ。
しかし、それを聞いた軍服姿の男の顔はみるみる怒りの形相にひきつってきた。
「帯剣証を知らんだと?貴様が腰に吊るしている剣のことだよ!帯剣証もなしで、この国で剣を持つことが許されると思っているのかっ!」
「あいにく、私は帯剣証なるものを知らない。それどころか、ここがどこかもわからないんだっ!」
もしかしたら、ここはファルコン半島ではないのかもしれない。そんな想像がリューベンの脳裏をかすめた。ゴルベリアスの魔法で、どこか遠い他の大陸に飛ばされた可能性もないとも言い切れない。
とにかく、何もかもが食い違うのだから仕方のないことだった。
「言い訳は詰め所で聞く。剣をよこせ。一緒に来てもらおうか」
軍服の男がリューベンの腰に吊るしてある聖剣オートクレールに手をのばし、強引にひったくろうとした。
「やめろっ!なにをする!」
リューベンは無意識にその手を払いのけ、男を突き飛ばした。
このような、現状がなにも分からない異国の地で剣を取り上げられたら、なす術がない。
リューベンの戦士としての修練がそれを拒否したのだ。
「貴様ァッ!ファージに向かって反抗する気かッ!?」
軍服の男は、町中に響くかと思えるほど怒りの大声を張り上げた。
たかが突き飛ばされたぐらいで、男の怒りようは少し異常ではないかとリューベンには思えた。
「言っただろう、私には何の事かわからないんだっ!ここがどこなのか、なぜこんなところにいるのか全然分からない!私はアストレーゼで、ゴルベリアスと戦っていた!街は戦場と化していたはずだ。しかし、気が付いたらこんな身も知らぬ土地にいた。そんな状態で剣を取り上げられるわけにはいかない!教えてくれ、一体ここはどこなんだ?」
リューベンは思っていることを片っ端からをまくしたてた。
軍服の男達は、ますます怪訝そうな顔をした。
リューベンの言っていることがまるで理解できないといった顔つきだ。
「答える必要はない。酔っ払いかと思ったが、どうも違うようだ。なんだ、その本当に戦争をしてきたような格好は。おまけに血だらけときている。言っていることも支離滅裂だ。これ以上反抗するというのなら、実力で叩き伏せるぞっ!」
軍服の男の恫喝が辺りに響き渡る。
「待て!私は……」
言い終わらないうちに、二人の軍服の男は剣を振り上げ、リューベンに斬りかかってきた。
――殺される!
リューベンの戦士としての本能がそう告げていた。
二人の男は自分を捕らえようなどとしていない。本気で殺しにかかっている。
鋭く殺意を察知すると、あとはリューベンの体は自然に動いていた。
素早く間合いを詰めて鋭い掌底を一人目に喰らわすと、今度は目にも止まらぬ速さで身をひるがえし、もう一人のみぞおちを渾身の力を込めて突きあげた。
二人の軍服の男達は、態度の割には剣の腕からしても大した事はなく、たったそれだけの攻撃で悲鳴をあげるまでもなくその場に倒れこんだ。
地面に倒れこんだ二人の男達を見つめ、リューベンは茫然自失していた。
「……一体、どういうことだ――」
まるで状況がつかめない。
それどころか、あのまま黙っていれば殺されていたかもしれないのだ。
「あの……」
状況を見守っていた女が話しかけてきた。先程、軍服姿の男達によって殺されかけていた女性だ。
リューベンはその声で我に返り、腰を折って女性に話しかけた。
「ここは危険だ。歩けるね?とりあえず、ここを離れるんだ」
リューベンは周囲を取り囲む群衆を警戒しながら、そう言った。
野次馬どもは、相変わらずうつろな目つきで突っ立っているだけで、あの一連のやりとりを見ていただろうに何の反応も見せない。
“こいつら……どういうんだ?”
群衆のあまりの無反応さと無関心さは、リューベンの理解を越えていた。
「……わかりました。私の知り合いの家が近くにあります、そこにご案内しましょう。ただ……」
女性は自分にはめられた手錠をリューベンの目の前に差しだした。
「こいつらが鍵をもっているはずだ……あ、あった!これだ」
リューベンは手錠を外してやると、女の手をひいて立たせてやった。
足下がふらついている。かなり衰弱しているらしい。
顔も生傷だらけで、おそらく身体にも相当の打撲傷などがあるに違いなかった。
しかし、事態は一刻の猶予もない。
「さあ、行こう。ぐずぐずしていては、追っ手が来るかもしれない。案内してくれ。私の名はリューベン・スターロードという」
「オリビア・フローレンスです。では、リューベン様、私の後についてきてください。この人たちは気にしないで。ただ見てるだけですから――でも、できるだけ静かにお願いします」
女は赤い瞳をリューベンに向け、警戒を促した。
“あ、やはりバリア人だったのか”
少し余裕の生まれたリューベンは、オリビアと名乗る女を観察して今頃気付いていた。よく見ると、髪もヴァハ・フレイムのように赤く、それをすらりと背中まで伸ばしている。
赤い瞳に赤い髪という組み合わせは、バリア人の中でも珍しい部類に入る。
“だから、あの男達につけ狙われていたのか?”
リューベンは、オリビアに質問したいことが山のようにあったが、そうそうのんびりもしていられない状況である。
まずは、彼女の言いつけに従い、安全な場所まで逃れてからだ。
リューベンは、今すぐ事実を知りたい衝動を抑え込み、人混みをかきわけ、闇にまぎれてオリビアのあとを早足で付いていった……。