第21章 オリビアとコリューン

  リューベンは、オリビアと名乗る女に導かれるまま、街道を進み、あちこちを引っ張りまわされながら歩き続けた。
  右に、左に、路地はどんどん細くなっていき、オリビアはひどくさびれた料亭の前へリューベンを連れて行った。
  料亭の看板には『風の雫亭』と書かれ、扉には『閉店』の板がぶらさがっていたが、わずかに開いた扉からは明かりが漏れていた。不用心にも鍵をかけていないようだ。
「こちらです、リューベン様」
  オリビアはひどく小さく、ささやくような声でリューベンを宿の入り口へ誘導した。
"この婦人、さっきの男達の言うように、本当に何かの罪人だったのだろうか……?"
  あまりも神経質に周囲を警戒するオリビアを前にして、リューベンの想像が働く。だとしたら、あの軍服姿の男たちの言い分も、ちゃんと聞いてあげればよかったのかもしれない。
  いや、あの男達の激昂は止めようがなく、ハッキリ言ってとても話し合えるような雰囲気ではなかった。それにオリビアも自分も、下手をすれば殺されていたかもしれないのだ。
  なにより、このオリビアと名乗る女性についていかないと、自分が置かれている一切の現状を知る事もままならないのが今のリューベンでもある。
  オリビアが料亭の扉をそっと少し開けると、店の奥にいる一人の小柄な少女が、煌々と部屋を照らすランプが置かれたカウンターの上で、顔を覆い突っ伏しているのが目に入った。
  どうやら泣いているらしい。肩を震わせ、押し殺したような嗚咽の声を上げている。
  オリビアは、ゆっくりと宿の扉を開いた。
  キィィという木製の扉の音に反応して、カウンターの少女はガバッと顔を上げた。銀髪の髪を短めに切りそろえ、アーモンド型の大きなブルーの目をした可愛らしい顔立ちをしている。
  惜しむべきは、相当長い間泣きはらしていたのか、目が真っ赤に充血して、すっかり腫れあがっていたことであろうか。
「……コリューン」
「オリビアっ!」
  コリューンと呼ばれた銀髪の少女は大きな目をさらに見開くと、ヒラリと身軽にカウンターを飛び越え、オリビアの方に走ってくるなり抱きついた。 
「無事だったのっ!?よかった……本当によかったよう。ファージに捕まったと聞いて、あたしはもう、てっきりだめかと……」
  コリューンはかなり小柄で華奢な体をしているため、身長の高いオリビアの胸に顔をうずめて泣きじゃくりながら一気にまくしたてた。
  オリビアは、そんなコリューンの頭を優しく撫でつつ、
「……すいませんが、リューベン様、扉をしめていただけますか?声が外に漏れるといけませんので」
  オリビアは、まだ耳元でささやく様な声で、リューベンに鍵を手渡した。
「あ、ああ……そうだな。すまない」
  リューベンは、我ながら無用心だったなと思いつつ、扉をしっかりと閉め、鍵をかけた。
「身体の方は?どこか怪我してない?大丈夫?」
  コリューンは心底心配そうに、オリビアの身体のそこかしこを見つめる。
「大丈夫よ、コリューン。少し殴られただけ。ほら、なんともないわ」
「でも、生傷だらけじゃない。オリビアの顔をこんなにして……ファージの奴ら、絶対に許さない!」
  顔を真っ赤にして、コリューンは震える拳を固く握りしめた。
「いいのよ……心配かけたわね、コリューン。それよりも、よく出てこないでくれました。あなたまで出てきて、もし二人ともファージに捕まってしまったら『組織』にも大きな損害を与えるところだったわ。それだけは防がないとね。でも、扉を開けっ放しというのはいただけないわ。明かりも漏れてたわよ。ファージに目をつけられたらどうするの?」
「ごめん……オリビアが捕まったと聞いて、心配で心配で、他のことに気をまわすことなんかできなかったんだ」
  扉という防音ができたおかげで、オリビアもやっと安心したようで、前よりは多少大きな声で喋るようになっていた。それでも、やはり控えめな、というより、しとやかな話し方をする。どうやら、元来そういう性格らしい。まるで少年のようなしゃべり方をするコリューンとは対照的だった。
  喋り方もさることながら、リューベンは改めてランプの明かりに照らされたオリビアの横顔を見てハッとなった。
  美人である。
  先刻は、混乱と、ずっと暗がりの中にいたせいでわからなかったが、見れば見るほど整った容姿をしている。
  すっと通った鼻筋、長いまつ毛、長く切れた二重まぶたの間に、どこか哀愁の漂う深紅の瞳。背筋がピンと伸びて姿勢がいいせいだろう、さほどの膨らみでもない胸元も魅力的な曲線と映える。
  あの軍服姿の男たちに尋問されたせいか、泥と埃にまみれ、ボロ布をまとっているというのに、それを補って余りあるものがある。おそらく、ちゃんとしたドレスを着て、化粧をすれば、大貴族の貴婦人だといっても誰も疑わないだろう。
  バリア人にここまで整った容姿をした女性も珍しい。
  リューベンは、思わず溜息をついた。
「その人は?」
  コリューンは一転して、警戒に満ちた目つきでリューベンを見て問いかけた。
  無理もない。
  先刻の軍服姿の男たちにも指摘された事だが、リューベンの鎧は血と泥にまみれ、マントもボロボロに破れている。
  戦場の真っ只中ならいざ知らず、このような市街の中では警戒されても仕方がない。
「この方はリューベン・スターロード。私をファージから助けてくれた恩人よ」
「リューベン・スターロード……?」
  コリューンがリューベンの名を復唱してみせる。
  確かに、『スターロード』という姓はクルトニア王家か、その傍系(直系から分かれた枝葉の系統)にしか名乗る事を許されないファルコン半島では非常に有名かつ高貴な姓である。コリューンが、スターロードの姓を聞いてリューベンの事を知っていても何の不思議もない。
  だが、コリューンの表情はますます複雑かつ疑惑の色で染まっていくばかりだ。いや、その表情にははっきりと嫌悪の感情すら浮かんでいた。
「どうした?私の名を知っているのか?」
  リューベンは、思い切って聞いてみた。
「いえ、別に、知ってるといったら知ってるけど……オリビアを救ってくれたことについてはお礼を言うけど、その……リューベン・スターロードというのは偽名なの?」
  思わぬ質問に、リューベンは面食らった。
  この少女は、自分がスターロードの姓を騙(かた)る偽者だとでも思っているのだろうか?
「なぜだ?この名は親からもらったもの。この名は嘘偽りない本当の名だ。私は、クルトニア王国の第一王子、リューベン・スターロードだ」
  リューベンは、自分の身分をきっぱりと言い放った。この少女は絶対何か知っている。
  だが、コリューンは逆にそのリューベンの言葉を聞いて目を丸くした。
「は?クルトニア王国の第一王子?えと……オリビアを助けてくれた恩人にこんな事を言うのもなんだけど……あんた、正気なの?それとも、どこかで強く頭を打ったとか?」
  まただ。さっきの軍服姿の男たちと同じだ。
  こっちは必死で訴えているというのに、何もかもが食い違う。
  リューベンは、質問の趣旨を変えてみた。
「頼む、教えてくれ、私には何がなんだかわからないんだ。ここがどこだか、今日がいつなのかも、さっきの男たちに斬りかかられた理由もわからない」
「わからないって……あんたは、オリビアを助けてくれたんじゃないの?」
「それは偶然だ。そこの婦人――オリビアは、二人の男達に尋問され、殺されかけていた。殺人が街中で公然と行われているのに、誰も止めようとしない。だから助けた、それだけの事だ。わたしは、いきさつを何も知らないんだ」
「………」
  少女はあっけにとられた顔で、リューベンの顔を覗き見、そしてオリビアの顔を再度見た。
  オリビアは、コリューンと違って、かなり真剣にリューベンの話に耳を傾けてくれているようだった。
「――リューベン様、ここで話していると外に聞こえます。いつまた、さっきの追っ手――ファージと呼ばれているのですが、彼らが追ってくるとも限りません。私達が使っている、誰も知らない秘密の屋根裏部屋があります。そこでなら話もゆっくりできましょう。コリューン、いい?」
「大丈夫なの?」
  コリューンは、とても信頼しきれないという顔つきだ。
「その人は、帯剣証がないということでファージに処断されるところを、逆に打ち倒してしまったわ。とてもあれが芝居だとも思えない。ファージの仲間ではないわ」
  芝居……さっきのやりとりが、芝居?
  目の前の二人の女性が抱いているリューベンに対する疑惑の念は、リューベンが想像しているより、遥かに大きく深いものだった。
"それは、このような格好をしているのだから頷けないでもないが――何だ、この警戒心の深さは?仮にも命の恩人だというのに"
  多少、気分を害したリューベンだったが、今は致し方ない。
  ここを出ても、どこに行けばいいのか、何をすればいいのか、皆目見当もつかない。
  今のリューベンには、この目の前にいる二人の女性こそ、リューベンの置かれている状況を解き明かしてくれる唯一の鍵なのである。
「しょうがないな、オリビアがそこまで言うのなら……」
  コリューンは、口をへの字に曲げながらも渋々承諾したようだった。
  コリューンにしてみれば、リューベンに対する得体の知れない疑惑の念が晴れなかったわけではないが、オリビアを助けてくれた事は事実であり、ファージも打ち倒したという。これは認めないわけにはいかない。
  コリューンは、ひょいっとカウンターの上に立つと、慣れた手つきで天井のある部分を力を込めて押し込んだ。
  ガチャンッという、音がどこからともなく響いた。
  しばらくすると、天井の板の一部分が歯車の音と共に動き出して空洞になり、そこから梯子が垂らされた。
「こんな仕掛けが……」
  リューベンも、ファルコン自由解放同盟の盟主として、シーガイア王朝と戦っていた頃、様々なからくりや、隠し部屋を見るのは慣れたものだったが、そういった事よりもこういう仕掛けを必要としてまでいる二人の女性は一体何者なのだろうかと気にせずにはいられなかった。
「さあ、早く登って!こんなところを誰かに見られでもしたら、大変なんだから!」
「あ、ああ……」
  コリューンが、せかすようにリューベンの背中を叩く。
  先に梯子を登っていくオリビアにリューベンが続いた。
「コリューン、悪いけど、あとで軽い料理か何かできないかしら?この方も疲れ切っているようだから」
  梯子の上からオリビアが言う。
「オリビアは?何か食べたほうがいいよ。それに傷の手当もしなくちゃ」
「私はいい。食欲がないの。傷の手当だけお願いするわ。リューベン様は何か苦手なものは?」
「特にない」
「それじゃあ、肉を焼いてあげて。それからクレープも。野菜もあったほうがいいわ」
「分かった。上で待ってて。すぐに行くから」
  リューベンは、梯子を登りながら先ほどから感じていた疑問をオリビアに投げかけた。
「オリビア、あの娘とはどういう……?」
「ああ、これは失礼しましたね。彼女の名はコリューン・アルカルド。この酒場を一緒にきりもりしている、私の恋人です」
「こ、恋人!?」
  リューベンはオリビアの口から出た言葉に、一瞬ついていけず、目を丸くして思わず下のコリューンを凝視した。
「そんな変なものを見るような顔しないでよ!あんたも似たようなものなんだから!」
  下からコリューンのさも不快そうな声が飛んだ。





【ネット小説のランキングに参加しています。
この作品が気に入っていただけましたら投票をお願いします】

【よろしければ、この小説の批評・感想・アドバイスをこちらの掲示板にてお願いします】
→掲示板はこちらから