第25章 黒の王子

 まんじりともできない思いをかかえたまま朝になり、さっそく着替えを済ませてゼノラーの執務室のドアのノブに手をかけようとしたリューベンは、既に何者かが執務室の中でゼノラーと口論しているのを耳にした。
  ドアの隙間から覗いてみると、ゼノラーが机を挟んで5、6人のファージに囲まれていた。
  一番年配で恰幅のよいファージが、ゼノラーに何かの書面を突きつけている。
「評議会からの決議が出ましたぞ、ゼノラー殿。貴公は特級戦犯であるシオン・イレード=シーガイア王子をかくまい、王家への転覆を謀ろうとした重罪人として、クルトニア本国へ強制送還されます」
「ほう?それで?どうなるのかな、俺は?」
  窓から差し込む眩しいばかりの朝日を背にして、ゼノラーは手を後ろに組み、不敵な笑みを浮かべたまま続きをうながす。
「それは評議会が決めることです」
  それを聞いたゼノラーは、大声で嘲るように笑ってみせた。
「ハハハ、評議会が決めるだと?笑わせるなよ、マキャベル。そんなものは、とうの昔に立ち腐れているのはお前も知っているだろうが。お前らファージを動かしたのはミュッセ・リガンスタインの差し金だな?でなければこんなに早く事が進むわけがない」
「……議論は法廷でなさればよい。それだけではありませんぞ、オリビア・フローレンスコリューン・アルカルド、この両名の犯罪者もかくまっていましたな。先日、オリビア・フローレンスを同性愛の罪で逮捕したファージ二人が鎧姿の青年によって襲撃されたと報告が入っております。これも貴公の差し金でしょう?」
  『鎧姿の青年』とはリューベンの事である。
  どうやら、ファージの情報網とは恐ろしく早いものらしい。
「……オリビアとコリューンをどうした?」
  ゼノラーの声が急に低くなり、瞳をぎらりと光らせた。
  恐ろしいほど冷ややかな眼光だった。
  そのひとにらみだけで、何人かのファージが後ずさったほどだ。
  だが、マキャベルと呼ばれたファージだけは動じることもせず肩をすくめて、
「今、質問しているのは私なのですがね――まあいいでしょう。この二人も昨夜逮捕いたしました。この二人が貴公との接点があることを私達は既につかんでいます。ゆえに二人は先にルーヴェルラント王国の委員会へ送還させています。まもなくあの二人も口を割るでしょう。そうなればあなたが陰で企てている謀反の真相もおのずと明らかになるというもの。ご同行願いますぞ、ゼノラー殿!」
  その瞬間、ザシュッという音と共にマキャベルと呼ばれた男の首が宙に舞った。
  ゼノラーの小剣が一閃し、マキャベルの首を切断したのだ。
  あまりに瞬時の出来事だったので、他のファージ達は呆けたように宙で回転するマキャベルの顔を見つめるだけだった。
  マキャベルの首がゴトンッと鈍い音をたてて床に落ち、ファージ達が我に返った時には、ゼノラーは既に次の行動に移っていた。
「ヴァハッ!」
  ゼノラーがヴァハの名を叫び身をひるがえすと、窓のカーテンの陰からヴァハが飛び出し、両腕から小振りのナイフを数本投げ飛ばした。
  ナイフはうなりをたてて閃光の如く飛び、ファージ達の額や心臓を射抜き、その場で赤黒い鮮血のほとばしりとともに何人かのファージが絶命した。
  残るファージはあと一人だった。
  見た目から年は若く、おそらくゼノラーより若い十代の青年だろうか。
  そのファージは、目の前で展開されたあまりの凄惨な光景に腰が抜けたのか、その場にへたりこんだ。
  よく見てみると、へたりこんだ辺りの赤い絨毯がみるみる濡れていく。
  失禁しているようだ。
  その顔は恐怖で真っ青になってひきつり、口をぱくぱくと動かしているが声も出ない様子である。 ゼノラーは、ゆっくりと歩み寄り、一人残ったファージの鼻先にゆっくりと小剣を向けた。
「国家の秩序を守るファージたる者が、このザマはなんだ?貴様らは徒党を組まんと何もできんのか?あぁッ?」
  ゼノラーの恫喝が室内に響き渡る。
  そこまで静観していたリューベンは、たまらず本能的にドアを開け放ち、ゼノラーに向かって叫んだ。
「おい!ゼノラー、もうやめろ!相手は完全に戦意を喪失してるじゃないか!」
「リューベン?見ていたのか?――こいつらは、自分より弱い者をいたぶることしか知らん国家のダニだ。死ぬ前によく自分のやってきたことを後悔させてから殺してやろうと思ってな」
  ゼノラーは吐き捨てるように言い終わると同時に、ファージの顔面に向かって小剣をビュンッと一閃させた。
「ぎゃあぁぁぁ!」
  絶叫が執務室に響き渡った。
  ゼノラーの放った剣の一閃が、若いファージの右耳をそぎ落としたのである。
「フン、大げさな」
  ゼノラーは吐き捨てるように、フッと笑って見せた。
「俺の耳が!耳がぁ!」
  ファージの右耳からは赤黒い血が流れ出し、ファージは耳を押さえて床の上で七転八倒した。
「やかましいッ!」
  ゼノラーは力任せにファージの顔面を蹴り上げた。
  バキッという鈍い音とともにファージの顔からは血しぶきが飛び、歯が何本か飛び散る。
「ぐはッ!」
  たまらずファージは悲鳴を上げ、その場に倒れ込む。
  ゼノラーはゆっくりと中腰になり、ファージの胸ぐらをねじるようにして勢いよく掴み上げた。
「これが最後だ。今、楽にしてやる」
  ゼノラーはニヤリと笑うようにして口元を歪めると、ファージの首筋に小剣をピタリと押し当てた。
「し、死ぬ?お、俺が?」
  ファージがかすれた声を出した。その声は目の前に迫ってくる絶対的な恐怖と絶望に満ちあふれたものを含んでいた。
  ファージは胸ぐらを掴むゼノラーの手を必死で払いのけると、
「た、助けて!お、俺はまだ死にたくない!助けて!お願いだァッ!」
  ゼノラーの足にしがみつき、涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら「許してくれ、許してくれ」と懇願する。
  しかし、ゼノラーは顔色一つ変えない。
  ジャキッと剣を構え直す金属音が響いた。
「無駄な殺生はよせと言っているッ!ヴァハッ!君は何も言わないのかッ?!」
  リューベンには信じられなかった。このように絶望的な表情を浮かべて命乞いをする人間の命をこうも残酷にあしらえるものだろうか?
  リューベンは自分の息子であるゼノラーの中に、何者をも寄せ付けない冷酷さと残忍さを感じてゾッとなった。
  リューベンに諭され、たまりかねたのか、ヴァハは極めて穏やかにゼノラーに言葉をかけた。
「ゼノラー王子……このような一兵卒のファージなど、どうとでもなります。それにこのファージからはまだ聞き出さなければならない情報があります。王子もそれをご存じでしょう?」
「――フン、そうだったな。ここはリューベンの顔を立てておくとするか……ヴァハ、このファージを地下室にでもブチこんでおけ」
  そう言うと、ゼノラーは足にしがみつくファージの体を汚物を払いのけるように横に蹴り上げた。
「はい」
  ヴァハはいたって冷静に、その腰の抜けたファージを抱え、部屋から出て行った。
  対するゼノラーは、何事もなかったように剣に付いた血をぬぐうと鞘におさめ、机の上に散らばった逮捕状を拾い見ていた。

「さて、マキャベルを始めとしたファージ達を殺した今、もう後戻りはできないわけだが――おい、リューベン、聞いてるのか?」
「あ?ああ……」
  しばし呆然としているリューベンを見て、ゼノラーはやれやれといった感じで肩をすくめてみせた。
「らしくないな。あんたはファルコン自由解放同盟を率いて、シーガイア王朝の大軍勢を相手に戦った歴戦の勇士、リューベン・スターロードなんだろう?このような凄惨な場面など、俺以上に何度も出くわしているはずだ。貴様のその手も人の血で汚れてないとは言わさんぞ」
  確かにリューベンは自由と解放の名の下に、何人もの敵を斬ってきた。
  いくつもの地獄といえるような戦場も駆け抜けてきている。
  しかし、リューベンが我を失ったのはそんなことではない。
  あの、ファージに対するゼノラーの凍り付くような冷徹さと、そこに垣間見える狂気が頭に焼き付いて離れないのだ。
“この男について行っていいのか?”
  ふとそんな疑問が頭を駆けめぐった。
  先程のゼノラーは、明らかに昨夜話をしたゼノラーとはかけ離れていた。
  はっきり言うと、あの残忍さは異常である。
  リューベンは、ゼノラーに対する不信感が胸の中に押し寄せてくるのをはっきりと自覚していた。
  そんなリューベンの気持ちを知ってか知らずか、ゼノラーはリューベンに背を向けたまま逮捕状を窓に向かって軽く掲げ、一枚一枚丁寧に読み込んでいる。
「コリューンもオリビアも気丈な娘だが……ファージの拷問は生半可なものではないからな。シオン王子をかくまってくれていることがすぐにばれたり、この俺に対する早すぎる逮捕状といい、エッセネの愚鈍な公安委員会にしては手が早すぎる。やはり密告者が我々『組織』の中に紛れ込んでいたというわけか。早々に先手を打っておくべきだな。ヴァハも平静を装っているが、実の娘がファージに連行されたとあっては、気が気でないだろう」
  そう言い終わると、ゼノラーは読み終えた逮捕状を全て破いて床に捨てた。
「実の娘?」
  リューベンは聞き捨てならない事をゼノラーの言葉の中にみつけ、思わず聞き返した。
「ヴァハから聞かなかったのか?オリビア・フローレンスはヴァハの実の娘だ。今はゆえあって姓と名を変えているがな」
  なんとなくそうだとは思っていた。
  彼女から感じられる気品は元十二神将という大貴族の娘のものだったといえば充分説明はつくし、あの赤い瞳に赤い髪という組み合わせと容貌はヴァハにそっくりだったからだ。
  ならば、ますますオリビアもコリューンも助け出さなければならない。
  そう自分に言い聞かせて、リューベンは先程まで頭をよぎっていた不吉な影を無理矢理追い払った。
「蜂起の時か?」
  リューベンが問う。
「そうだ。ところで、答えを聞かせてもらってなかったな?クーデターに参加するか否か?」
  ゼノラーは、真っ直ぐリューベンの目を見据えて言った。
「私は、この時代の人間じゃない……シオン・イレード王子が、私を元の時代に帰す方法を知っているのならば、お前達に付いていくしか道はないだろう。オリビアとコリューンにも一宿一飯の恩義がある。……それに、彼女らが捕まったのは私にも責任があるしな」
「フン、それで?」
  ゼノラーは軽く顎を上げて、話の続きを促す。
「そのためにはゼノラー、お前のクーデターに加わると決めたよ」
  その言葉を聞いて、ゼノラーの顔がパッと明るくなった。
「そうか!決心してくれたか!リューベン、お前が『組織』に力を貸してくれれば、ミュッセなどものの数ではない。必ず勝利し、過去に帰ることができるだろう!」
「その前にッ!」
  リューベンは、興奮するゼノラーの言葉を遮るよう声を大にして言った。
「ひとつ聞かせてくれ。今、ルーヴェルラント王国を統治しているのは、クルトニア王国の騎士ミュッセ・リガンスタインなのか?」
  リューベンにとっては、かなり気がかりな事であった。
  なにしろミュッセは、リューベンの剣の師でもあり、育ての親代わりも務めてくれた騎士である。
  意見が合わず、何度か衝突することもあったが、大切な仲間だった事には変わりない。
  そのミュッセと事をかまえるには、事前にちゃんとした確認をとっておかねばならなかった。
「クルトニアの騎士?あんたの時代ではそうだったかもしれんが、今の奴は十二神将に任命されていて、評議会でも公安委員会でも幅をきかせている。自分の保身の事しか考えていないゲスな人間さ。立ち回りだけはうまい男で、今は王家の血が途絶えているルーヴェルラント王国の統治を任されている。――そのミュッセがどうかしたのか?」
「ミュッセが、十二神将?しかし、ミュッセはお前が言うような男では……」
  リューベンは、ミュッセの冷徹で合理的すぎる面は嫌悪していたが、ゼノラーのミュッセに対する悪態のつきようは、少し過剰ではないかとリューベンは思った。
  もしかしてミュッセも未来の自分やレティシア同様、変ってしまったのかと不安になるリューベンだったが、今はその問題は隅に置くことにした。
  そして、リューベンはゼノラーの目の前に指を突き立てて、念を押すように言った。
「約束してくれ、ゼノラー。私はこの世界の事をまだよく知らない。ミュッセは仮にも私の戦友であり、育ての親代わりだった男だ。お前にとっては憎い敵かもしれないが……私はこの時代がどうなっているのかもっとよく知りたいんだ。もし、ミュッセと話せる機会があるなら、絶対に殺さず、私に引き合わせて欲しい」
  ゼノラーはいかにも気に入らないような顔を一瞬見せたが、それもすぐに打ち消し快諾の表情をリューベンに向けた。
「わかった。蜂起が成功し、ルーヴェルラントを攻め落としても、ミュッセ・リガンスタインの身柄は保証しよう」
  その言葉を聞いたリューベンは、ホッと安堵する自分を感じていた。
「よし。ならば、私もお前の成そうとしていることに全力を尽くす。ゼノラー、よろしく頼むぞ」
「こちらこそ……リューベン・スターロード王子」
  ゼノラーは、あくまで不適な笑みを崩さず、ゆっくりと顔を向けたまま胸に手を当て紳士的に礼をした。

*           *           *

 一方その頃――

 エッセネから遠く、王都アクロポリスに通じる街道では、一台の大型馬車が『ある積み荷』を載せて走っているところだった。
  その大型馬車は普通の荷馬車を改造したものらしく、普通のものとはかなり形状が違っていた。
  黒塗りの囚人護送用の馬車で、窓には鉄格子が入っており、鍵も外からかけるようになっている。 そして、ドアの部分には公安委員会の紋章が刻まれていた。
  馬車の窓からは、二人のファージと、囚人と見られる男の三人が乗っているのが見て取れる。
 
「おい、王都アクロポリスまでは、あとどのくらいだ?」
  ファージの黒い制服を着込んだ年配の男が、窓から馬を操る御者に聞く。
  そのファージの歳は40代ごろだろうか。
  しかし、軍服の上からでも分る均整のとれた鍛え上げた肉体のおかげで、外見は30代の若々しさを保っているように見える。
  右目には深い切り傷があり、潰されていたが、残った左目は相手の身を切るような鋭さを持っていた。
「ハッ、カルザス次長!この行程だと、あと14日はかかるのではないかと思われます!」
  馬を操る御者のファージが生真面目な声で答える。
  その声には、どこか怯えたものが含まれていた。
  明らかに、カルザスと呼ばれた年配のファージが発する畏怖心に飲み込まれている様子である。
「14日だと?7日で着かせろ。リューベン王もレティシア様も、護送人の到着を待ちわびておられる」
  窓の中からドスのきいた声が響く。
「し、しかし……」
  御者は言葉に詰まった。
  ただでさえ御者は体力を限界まで酷使して不眠不休で馬車を操り、王都アクロポリスへの行程を切り詰めているのだ。これ以上、行程日数を縮めるのは不可能と思われた。
  ところが、カルザスは言う。
「情けない声を出すな。この馬車には3人も乗っているんだ。昼夜兼行で交代しながら馬車を飛ばせば、7日ぐらい短縮できるだろうが。馬がへたばったら、代わりの馬を近隣の村から押収すればいい」
「ハ、ハイ!承知いたしました!」
  御者のファージの声は、かすかに震えながらも大声をもって返答した。

 カルザスは、薄紫色の髪をかき上げ、細くつり上がった目で正面に座っているシオン・イレード王子を睨み付けた。
「と、いうことだ。お前が王都アクロポリスに着いたら、即刻ギロチンにかかるのが俺としては本望なんだがなぁ、ええ?シオン王子よ?」
  シオン王子と呼ばれた男の風体は、かなり異様なものだった。
  何より目を引くのが、血管が透き通って見えるほどではないかという程の肌の色と、何の感情も映し出されていないような深紅の瞳だった。
  彫りのある、端正な顔立ちをしているのだが、今はボロボロにかすれた黒いローブに身を包み、全身は切り傷や生傷だらけで、頬はやつれ、右目は長い亡命生活のさなかで醜く潰れており、その姿は乞食同然であった。美しい銀髪を短く刈り込んでいるが、それも心労のためかほとんどが白髪で埋め尽くされている。
  そんな姿のまま、彼の体は固い鎖を幾十にも巻き付けられ、体中に不可思議な文字が描かれた呪符が貼り付けられていた。
  シオン王子は、カルザスの投げかけた言葉に動じる様子もみせず、じっとカルザスを見据え押し黙ったままである。
「また、だんまりか――フフ、だが、そのすました態度もいつまで続くかな?20年前、あのディール砂漠で『転移の術』を使って目の前から逃げられはしたものの、今度はそうもいかん。その呪符を貼り付けられている限り、お前は一切の魔法を使えない、ただの人間だ。どうだ?悔しかったら、その呪縛を解いて、今ここからあの時のように魔法で消え失せてみせろ」
  カルザスは、勝ち誇ったように顎を上げ、シオン王子の足を乱暴にドスッと蹴ってみせた。
  だが、シオン王子は絶体絶命の窮地にあるというのに、不気味なほどまったく表情を変えることはない。
  その様子を見て、横に座っていた若いファージが恐る恐る聞いてくる。
「カルザス次長、本当にこの呪符は効果があるのですか?もしマグスが本気になったら……」
  その質問を受けたカルザスは、余裕の笑みを浮かべ、足を組んだ。
「ギリアム、お前はまだそんな事を言ってんのか?まあ、この部隊に入隊してから間もないから無理もないか……この呪符はな、クルトニア王国が先の大戦で焼け残った膨大な魔導書の中から発見し、復元したものだ。この退魔の呪符を貼り付けられている限り、マグスといえども手も足も出んのさ。お前も、公安委員会の退魔部隊に入隊したからには、全ての文献をきっちり読み込んでおくことだな」
「は、はい!申し訳ありません」
  カルザスの指摘に、ギリアムと呼ばれた若いファージは平身低頭した。そのやりとりから、カルザスが公安委員会の中でもかなりの地位にある人間だとわかる。
  カルザスは、さらに念を押し、
「もっとも、マグスを摘発する退魔部隊の存在は、評議会や民衆はもちろん、公安委員会でもごく限られた者にしか知られていない、極秘の部隊だ。『魔法などというものはこの世に存在しない』。それがこのファルコン半島の普遍の常識だ。他言は絶対に無用だ。よく頭に叩き込んでおけ」
  カルザスはそう言い、鋭い眼光でギリアムの胸に指を突き立てた。
「はっ!わかりました」
  若きファージ、ギリアム・ビュネーンは、緊張のあまりややうわずった声で返答した。
  なにしろ正面に座っているのはマグスという得体の知れない『魔法』を使うとされる人種、それにクルトニア王国公安委員会の中でも最高委員長レティシア・スターロードの次に権限を持つゲド・カルザスとここまで長く同席するのは初めての体験であったからだ。
 
  公安委員会は上下関係が特に厳しく統制された組織である。
  『いかなる身分であろうとも能力のある者には相応の地位を与える』
  それが、公安委員会、ひいては新生ファルコン共和国の理念である。
  20年前、出自や身分によって差別される封建主義が席巻していたファルコン半島諸国において、レティシア・ビュネーンが提唱したその理念はまさにそれは革新的といえるものであった。
  しかし、公安委員会の過剰な能力主義は、今や能力の劣った者に対しては全く不寛容なものに成り果てており、『能力のない者は人間としてゼロである』というような風潮さえ支配している有様だった。
  先の大戦で、しがない傭兵隊長であったゲド・カルザスは、シーガイア王朝聖騎士ヴェスター・ザウドニックを討ち取り、その後十二神将にも任命され、英雄的、模範的なファージとして、今ではクルトニア王国公安委員会の次席として絶大な権力を持ち、誰も逆らうことが出来ない。
  一昔前なら、『成り上がり者』として蔑視されていた人種なのだ。
  しかし、こと新生ファルコン共和国では、そのような言動自体が反社会的なものとみなされる。
  ギリアム・ビュネーンは、ディアナ王国女王エクス・ビュネーンの第一王子という身分から、幼い頃から優れた教育を受ける事ができたために、若くして公安委員会に入隊させられた。だが、その優秀さからメキメキと頭角を現し、3年経った今ではゲド・カルザスから「筋が良い」と評価され、直属の部下として退魔部隊への入隊を許されるほどのエリートとなっていた。
  しかし、ファージの中でも高い地位にあるとはいえ油断はできない。
  公安委員会次長であるゲド・カルザスをうかつに怒らせれば、大貴族の子息だろうとなんだろうと、簡単に強制収容所送りか処刑ということもありえるのだ。
  が、ファージの中でもはえぬきのエリートであり、カルザスにも特別に目をかけてもらっているギリアムにとって、その心配はないと彼自身感じていた。

「しかし、ゼノラー王子もバカな事をしたもんだ。精神に異常があるとは前から聞いていたが、ここまでとはな」
  カルザスは、フッと鼻で笑うように頭の後ろで腕を組んだ。
「そうなのですか?」
  ギリアムには初耳だった。
「俺の聞いた話では、ゼノラー王子は自分の感情を抑制できんという、精神に障害があるらしい。そのせいで、王家でもいろいろもめごとがあって、エッセネに追放になったと聞いたが……まあ、特級戦犯であるシオン王子をかくまうぐらいだ。こいつを使って何をしようとしたのかは知らんが、正気の沙汰ではないことは確かだな」
「ゼノラー王子はどうなるのでしょうか?」
  ギリアムは、言葉を慎重に選びながら聞き返した。
  たぶんカルザスはクルトニア王家で起こった一連の真相を知っているはずである。
  が、強すぎる好奇心は身を滅ぼす。
  滅多なことを口にせぬようと自らを戒めた。
「ゼノラー王子は、クルトニア王家の王族だから、死刑ということはありえんだろうが、まあ実質、死刑に近いような流刑というところだな。もうそろそろ早馬の通達が王都アクロポリスにいっているはずだ。評議会の決を待たないまでも、リューベン王は塩の砂漠へ流刑に処すだろうよ。リューベン王とゼノラー王子の不仲はお前も耳にしたことがあるだろう?」
「はい」
  ギリアムも聞いたことがある。
  リューベン王とゼノラー王子は実の親子でありながら、その険悪さと不仲は貴族どころか民衆の間ですら有名だったからだ。
「では、これでクルトニア王国の王位継承権は名実共にアズライル殿下のものとなりますね?」
「そういう事だ。だが、アズライル殿下は武芸と学問に秀でているものの、まだ幼い。王位継承が行われるのは、ずっと先の事になりそうだな。今のファルコン半島には、リューベン王とレティシア様のカリスマとお力がまだまだ必要な時勢だからな」
  その話については、ギリアムも同感だった。
  先の大戦から新生ファルコン共和国が独立してからのこの20年間、ファルコン半島が大国の脅しにも屈せず、おびただしい数の反乱も鎮めてきたのは、全てリューベン王と王妃レティシア、それに公安委員会の力あってのものだ。
  その均衡を崩してはならない。
  若きファージ、ギリアム・ビュネーンは優秀なファージに違いなかったが、特に『この国を侵略者と反逆者から守る』という使命感だけは人一倍持っているつもりだった。
  それが例えどんな犠牲を払ってでも……。






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