第28章 リューベン王

 評議会の開かれる謁見の間は驚くほど広く、天井は見上げるほどに高い。
  出入り口から玉座までの床は、毛足の長い絨毯が敷かれており、それはシミ一つないほど美しく保たれていた。まるで貴婦人が羽織る毛皮の外套(コート)のようである。
  絨毯の外の床や柱は人の顔が映りそうなほど磨き込まれており、そこかしこに刻まれた彫刻は名のある職人に彫らせたものであろうか、それは見事なものであった。
  この巨大な空間に、新生ファルコン共和国の評議員議員たち数十名が赤絨毯の両側に沿って立ち並んでいた。中央の奥は一段高く壇になっている。壇上には宝石をちりばめた重厚な造りの椅子が置かれ、そこに深々と腰を降ろしている人物がいた。
  クルトニア王国の国王、リューベン・スターロード王である。
  まず目を引くのが、金糸銀糸で刺繍された豪奢な衣だ。とりわけ、マントはこの上もなく見事なもので、実に柔らかな深紅の黒テンの毛皮でできていた。年齢は既に40に近いが、眼光は強く、しかも生気に満ち、否応なしに他人に畏怖心を抱かせ服従させる『気』といったものが全身から発散されていた。
  そして、玉座の両脇には王妃レティシア・スターロードと、アズライル王子が寄り添うように立っていたのである。

「どうかお考え直しください!せめて裁判だけでも!」
  謁見の間に、エクス・ビュネーンの悲痛な声がむなしく響いた。
  謁見の間の正面にある入り口から玉座へとまっすぐ敷かれた赤絨毯。玉座の前でエクス・ビュネーンは、左右を取り囲む評議会議員の冷たい視線をものともせずに、必死にゼノラーの弁護を声高に主張していた。
「裁判は行わん。エクス・ビュネーン。ゼノラーはシーガイア王朝の後胤であり、特級戦犯であるシオン・イレード王子を秘密裏にかくまったのだ。ゼノラーは今や廃都エッセネを立ち直らせた人物として、シーガイア王朝の残党達やエッセネに住む罪人達からもかなりの支持を受けていると聞く。そこにシオン王子を担ぎ出してみろ。盟主を頂いたシーガイアの残党達は、かつての勢いを盛り返し、間違いなく我らに対して反乱の意を抱くだろう。国家転覆を図る『内乱罪』は、新生ファルコン共和国で定められている法の中でも最大最悪の大罪だ。だからゼノラーに事の真相を問いただすため、公安委員会に逮捕するよう命じたまでの話だ」
  刃物のように鋭く、そして理路整然と言葉を突きつけてくるリューベン王。
  決定的となる反論ができないエクスは、歯を食いしばるような思いだった。
「……ゼノラー殿はどうなるのですか?」
「先程も言ったとおり、国家転覆を企図した者は極刑に値する。だが、ゼノラーは仮にも王家の人間だった男。王家の人間を処刑することはできん。ゼノラーは、塩の砂漠への流刑に処す」
「では、もし無罪だった場合はどうなされるのです?」
  エクスの言葉を受けて、突然、謁見の間に笑い声が響いた。
「ふふ、くくく、ははははは」 
  玉座に座ったまま、リューベン王は手で顔を覆って、これ以上ないほど大声を上げて笑っていた。半ば驚いたエクスは呆然と見ているしかなかった。
「無罪だと?ハハハ、エクス・ビュネーンよ、貴公、正気か?ゼノラーという男がよくわかってないようだな。それともゼノラーがただ指名手配を受けているシオン・イレード王子を可哀想だと思ってかくまっていた、とでも言うつもりか?ククク……」
「ありえない話ではないと思います!あらゆる可能性を考慮しませんと、公平なる評議会の威信に関わると思います」
  エクスは一歩前に出て食い下がった。
  エクス自身、かなり苦しい言い訳だとは自分でも分かっていたのだが、ここまできたら引き下がる事はできない。このまま流れを放っておけば、ゼノラー王子は確実に流刑にされてしまう。
  その時……
「エクス・ビュネーンよ、いい加減にしなさい」
  凛とした女性の声が突き抜けた。
  謁見の間が一瞬で静まり返る。それは王のすぐ隣から聞こえてきた。その女性は王座に寄り添うようにして立っている。
  見事なプラチナブロンドの髪を後ろでまとめている。
  雪の様な白い肌に、なめらかな紅い唇が映える。スラリとした長身を豪奢な紫のドレスで包んでいた。年齢から皺こそあるが非常に整った顔立ちをしており、ただならぬ気品を漂わせている。
  エクス・ビュネーンの実の姉であり、クルトニア王妃であるレティシア・スターロードだった。
「ゼノラーがそういう人間でないのは、母親である私が一番よく知っています。ゼノラーは我らを憎んでいます。それにあれは残忍で狡猾な男。復讐のためなら手段は選ばない人間です」
  身を切るような鋭い口調で、レティシアは断定しきった。
「実の母親が、そういう事を言うのですか!」
  レティシアのその暗い瞳は、氷のような深い青色であり、どこまでも冷たく孤高なものを宿していた。その凍てつく瞳で、こうまで断定されると並の者はたじろいでしまうのだが、逆にエクスの心は怒りに打ち震え、姉に向かって毅然とした態度で抗弁した。
  その様子をさすがに見かねたのか、十二神将であり議員の一人であるハルメス・ズィーベンが激昂するエクスを遮った。
「エクス女王、口をお慎みなさい。レティシア王妃陛下に対して無礼であろう」
  エクスはハッと我に返り、興奮のあまり発してしまった失言を詫びるため、片膝をつき頭を垂れた。
  ここで自分を見失ってしまっては意味がない。
「……失礼致しました。王妃陛下」
  だが、レティシアはあくまで寛容だった。
「いや、かまわぬ。顔を上げよ、エクス・ビュネーン。たしかに、そなたの言うとおり、私の言ったことは親としてあるまじき事なのかもしれぬ。しかし、実の母親だからこそ分かる事もある。そなたも人の子の親なら、子の事は分かるはずであろう?」
「…………」
  頭を垂れたままエクスは顔を上げることなく、心の底からにじみ出る無念さで胸が張り裂ける思いだった。
“姉上ッ!こんなのは姉上ではない!誰か別の人だ!こんな、自分の子を貶めるような事を平気で言うような人では断じてなかったのに!”
  頭が上げられない――エクスは、地面についた一方の手が無意識に絨毯の毛を握りしめているのに気づくこともできなかった。
「――ですが母上、私は今のエクス女王のおっしゃった事にも一理あると思います」
  その時、玉座の隣に控えていたアズライル王子の声がエクスの耳に切りこんできた。
  エクスはやっと顔を上げることができた。
  アズライル王子は、若いころのリューベンによく似ていて、艶のある金色の髪を持ち、貴公子然とした品のある顔立ちをしていた。青い瞳は穏やかな色を浮かべ、涼しげな優しい風を想像させる。黒のマントを羽織り、中に着込んだ濃紺の礼服は一流の職人によって意匠がなされたと分かる物で、それはクルトニア王位継承権を持つ王子の正装であった。
「失礼ながら、先程の母上の兄上に対する言いようは、あまりにも……」
  そこまで言いかけたアズライルをレティシアはぎろりと睨み付けた。
「アズライル、いつ私が口を出して良いと許可しました?お前はまだ十二神将でも評議会議員でもない。後学のために評議会の見学を許しただけのこと。出しゃばった真似をするでない。――それからゼノラーの事を『兄上』などと二度と呼ぶな。あれは罪人である」
  またしても謁見の間がしん、と静まりかえった。
  表面上は抑揚のない口調だが、内にこもるレティシアのあまりの剣幕に圧倒され、アズライルは大きく目を見開き、口に仕掛けた言葉を飲み込むしかなかった。


  いつまで経っても事態が進行しないのに業を煮やしたのか、リューベン王はうっとおしそうに、
「もうよい、レティシア。エクスだけを相手にしても埒があかぬわ。ここは他の者の意見も聞いてみようではないか。――ハルメス、貴公はどう考える?」
  リューベン王は、十二神将の一人ハルメス・ズィーベンを見やった。
「恐れながら」
  ハルメスは神妙な顔で頭を垂れ、発言をはじめた。
「ゼノラー殿のやっていたことは明らかに王家への反逆行為です。早々に芽を摘み取らねばならぬと臣は愚考いたします」
「ふむ」
  ハルメスの模範的な回答に、リューベン王は目を細めた。興味を持った証拠である。
  その後も、十二神将はもちろん、めぼしい評議会議員達も次々に名指しされ意見を求められたが、全て先に発言したハルメスに追従したような答えしか返ってこなかった。
  その中で、なりよりエクスを失望させたのが、かつてファルコン自由解放同盟で、『同盟軍十二神将』として共に戦った戦友、レスター・レイギスやウィンディ・ビゲンゾンさえも「ゼノラーを流刑に」という意見に賛成を表明したことだった。

 
 しかし、それも仕方のないことなのかもしれない。
  新生ファルコン共和国ができてからというものの、クルトニア王家の権力は異常と言っていいほど強力になり果てていたが、クルトニア王家と十二神将及び評議会議員といった貴族達は、まだ完全な主従関係にあるわけではない。
  十二神将や貴族で構成される議員達はそれぞれの領土で荘園を営み、そこから得た利益で自らの生活や統治の体制を支えている。
  決してクルトニア王家から何らかの賃金を得ているわけではない。
  だが現実問題としてクルトニア王家は多大な影響力を及ぼし、クルトニア王家の逆鱗に触れ取り潰しになった家系は決して少なくない。
  それに、なによりクルトニア王国の『特別区』には、各国それぞれの跡継ぎが人質にとられているという現状がある。
  むしろエクスのように、自国のことも世継ぎの事も投げ打って、ここまでリューベン王とレティシア王妃にたてつく事の方が例外中の例外といえるのである。


  だが、まだエクスには最後の希望が残されていた。
ジークハルト・フリーダム、貴公の意見はまだ聞いていなかったな?この件についてどう考えておる?」
  エクスは、やっと自分に味方してくれるであろう人物の到来に心躍らせた。
  頭が切れ、正義感の強いあのジークハルトなら、きっとこの状況を何とかしてくれる。
  そう思った。
  が。
「……私も、ハルメス殿をはじめとし、エクス殿を除いたこの場におられる議員の方々と同意見であります。
すなわちゼノラー殿が特級戦犯であるシオン・イレード王子をかくまい、心中大いに叛意を企図するところがあったのは明白であります。そうでなければ、シオン・イレード王子をかくまう決定的な理由が見当たりません。陛下の仰せられるとおり、やはりここはゼノラー殿に謀反の意があったと考えるのが最も自然でありましょう。
ゼノラー殿の裁判を行わないという点についても賛成です。この新生ファルコン共和国が誕生してから20年間ものあいだ、共和国の内部ではおびただしい数のクーデターが起こってまいりました。そして嘆かわしい事に、それはこれからもまだ新しい国家である新生ファルコン共和国が国力を安定させ、各地をくまなく平定させるまで続くでしょう。
それから裁判の件でありますが、これまでは鎮圧したクーデターの首謀者及びその協力者を裁判にかけてまいりました。が、それではあまりに時間と労力、それに莫大な金がかかりすぎます。そういった意味では、今回、元王家の人間であったゼノラー殿がクーデターを企てていたのはいい機会とも申せます。これを機にクーデター首謀者と協力者に対する裁判制度を廃止し、クーデター関係者には即、処刑あるいは流刑という形をとれば、より迅速にクーデターを平定でき、共和国の秩序を守ることができると愚考いたします」
  ジークハルトの明確なビジョンのある発言に、謁見の間のあちらこちらから「おお」という感嘆の声が漏れる。 
  エクスは一瞬我が耳を疑った。目の前が真っ暗になり、息が詰まるかと思った。
  完全に裏切られた。
  今さっき、ゼノラー王子は新生ファルコン共和国にとって必要な人間であるとジークハルトと語り合ったばかりなのに……。
「ふむ、素晴らしい意見だな、ジークハルトよ。新生ファルコン共和国の未来を見据えた明確な視野も未来像もある――他に意見のある者は?」
  リューベン王さえもジークハルトに対して感嘆の意を示し、まだ他の者の意見があるか、ぐるりと謁見の間を見渡した。
  そして、うなだれているエクスの方を見据えた。
  エクスにはもはや異論を唱えようにも、弁護しようにも、まともな気力が残っていなかった。
「では、エクス・ビュネーンよ、改めて聞こう。議会は貴公を除いて全員が『ゼノラーを流刑に処するべき』だと一致したぞ。これでもゼノラーに対する裁判を行うべきだと断固主張するか?」
  リューベン王の声が鞭のようにエクスを叩く。
「……いえ、陛下とジークハルト王の仰る通りです。前言は……撤回させていただきます」
  消え入るような声で答えるエクス。
  最後の方は聞き取れぬほど憔悴の様子をありありと示していた。
  そのエクスの様子を見て、リューベン王は嘲笑を浮かべた。
「では、評議会の満場一致をもって、ゼノラーを逮捕、事の真相を聞き出し、有罪であればすみやかに塩の砂漠へ流刑に処す!よいな!?」
「ハハッ!」
  リューベン王の高らかな宣言が謁見の間に響き渡り、議員達の承諾の声がそれに続く。
「では、これにて閉廷する。皆の者、大義であった」
  リューベン王はそう言い残すと、玉座の裏側にある扉から謁見の間をあとにし、評議会は閉廷した。

 

 評議会が閉廷したあと、玄関広間を行くジークハルトの後をエクスは半ば強引に呼び止めた。
「ジークハルト……あなたって人はッ!」
  エクスは、できるだけこみ上げる怒りを押さえて声をかけようとしたのだが、完全に感情が先走った言い方になってしまった。
  それほどエクスの憤りは大きかったのである。
「これはエクス様、なにをそんなに興奮なさっているのです?」
  ジークハルトは振り返り、平然とした顔で問うた。
  さすがのエクスもその態度に激怒し、ジークハルトに詰め寄った。
「とぼけないで下さい!あれほど私が今の新生ファルコン共和国には、ゼノラー王子が必要だと説明して、貴方もそれに同意したではないですか!それを……それを、リューベン陛下を諫めるどころか、逆に率先して同調するなんて!私は、あなたの事だけは他の議員達と違って心から信じていたのに……しょせん、あなたも他の腐敗した議員達と同じ。私は見事裏切られたというわけですね!」
  エクスは拳を握りしめ、最後の方は吐き捨てるような口調となっていた。
  だが、ジークハルトは少しも動じることもなく、
「裏切った?これは心外です。私は言いましたよね?『私は、私なりの答えをもって今回の評議会に臨む』と。それを実行したまでのことです」
「ですが、あなたは開廷の前に『エッセネを立て直したゼノラー王子を塩の砂漠に流刑に処するなど、少々いきすぎではないかと思っている』と確かに言いました。あの言葉は何だったのです?ただの私に対するお追従だったとでも言うのですか!?」
  エクスの熱弁をしかしジークハルトは冷ややかな目で見ていた。
「個人的な思いと、半ば形骸化したとはいえ、未だに影響力のある評議会での発言は別物です。議会の場では私達は『評議会議員をやらなければならない』。そのような事もわからないエクス様ではありますまい?」
  エクスの悲鳴のような抗議は、いとも簡単にジークハルトの一瞥によって退けられた。
  ジークハルトの言葉は一々もっともだった。
  エクスは悔しそうに歯を噛みしめうつむいていた。そうでもしなければ耐えられなかったのだろう。
「それでも……それでも私は納得できない!あなたの父ネヴァン・フリーダムは、評議会がこうなることを恐れて、リューベン陛下に逆らい、塩の砂漠に流刑になったのですよ?その息子のあなたがッ!新生ファルコン共和国の最後の希望であるゼノラー王子の流刑に賛成するなんて!」
  最後の手段としてエクスはジークハルトの父、ネヴァン・フリーダムの凄惨な最後を話の引き合いに出し、反論しようとした。
  しかし、予想に反してジークハルトはその話を一笑に付し、フッと嘲笑した。
「……わかりました。では私の本心を話しましょう。エクス様、私はあくまでニュクス王国の国王です。私まで陛下に反逆して追放になれば、ニュクスの民はどうなります?母は既に病死し、妹のマリアは父が起こした反逆罪のおかげで『特別区』にもう何年も軟禁されていて、跡を継げるかどうかもあやしい。それが私達ニュクス王族の現状です。あなたは夫であるシェルナー様が反逆罪で収容所に監禁されるという仕打ちを受けてはいても、まだ実の姉であるレティシア王妃陛下の庇護があるからいい。しかし、父を失った私には、もはや何の後ろ盾もないのです。貴方と私ではまるで対等な立場ではないのですよ」
「!……ッ」
  エクスは絶句した。
  確かにディアナ王国はクルトニア王国の援助もなく、第一王子であるギリアムを人質として差し出し、夫であるシェルナーが収容所に監禁されているとはいえ、姉であるレティシアが王妃をやっているから心のどこかに安心感があってリューベン王にあれだけたてつけている、といえば嘘になる。
「それでも自分の信念を貫き通したければ、エクス様自身がレティシア王妃陛下と義絶し、ディアナの民も、お世継ぎであるシャルロット嬢もギリアム殿も見捨て、塩の砂漠に流刑になるぐらいの覚悟で発言することですね。そういう事です」
  そう言い残し、ジークハルトはマントをひるがえして颯爽とその場を去っていった。
  エクスは何も言い返すことができず、茫然自失としたままジークハルトの後ろ姿を眺めている事しかできなかった。
“人を非難することしかしないで……私という人間は、結局、姉上を頼っていたというの……?”
  情けなさのあまり、エクスは崩れ落ち不覚にも涙が頬を伝った。


  ジークハルトは、廊下を歩きながら考えていた。
“少し突き放しすぎたか?”
  ジークハルト自身、エクスには、まだニュクス王国の王子だった頃から恩もあったし、長く良好な関係を築いてきていた。
  なによりジークハルトにとって、エクスをあれほど激怒させ失望させたのは初めての事だったので、心中は忍びなかった。
“エクス様は心がお優しすぎる”
  そう思う。
“だが、ここでエクス様の味方をすると、いずれはニュクスの民まで巻き込んでしまう。それに、今回のことだけで済むはずがない。これからも、弱者を斬り捨てたり、他国の民を見捨てるようなおびただしい数の決断を平然とした顔でしなければならないのだ、私は。そのためには、エクス様とここで袂を分かってよかったのだ。……これでよかったのだ。そう、これで……”
  ジークハルトは半ば自分自身を強引に納得させつつ、床を踏みしめる足の速度を速めていった。

 

 落胆を隠せないまま、エクスは控え室に戻っていた。
  娘のシャルロットは、ソファに腰掛け、沈んだ表情のままのエクスを見ても何があったかあえて聞かなかった。
  エクス・ビュネーンという人は感情がすぐ表に出やすい母親なのだということを、シャルロットは充分熟知していた。
  評議会で何があったか知らないが、ほとぼりが冷めたらそのうち自分から話してくれるだろうとのんびり構えていた。
  それがシャルロットなりの気遣いだった。
  その時、控え室の扉がノックされた。
「はい?どなた?」
  シャルロットはソファから立ち上がり、扉を開けた。
  そこには、二人の貴族とおぼしき壮年の男女が立っていた。
  一人は赤毛の壮年の男。そしてもう一人は栗色の髪をした貴婦人だった。どちらもエクスと同年輩に見えた。
「失礼、私は評議会議員のレスター・レイギスと申す者。こちらの婦人はウィンディ・ビゲンゾンという。エクス・ビュネーン殿はおられるかな?」
  赤毛の壮年の男が尋ねると、部屋の奥にいたエクスはソファから驚いて立ち上がった。
「レスター!それにウィンディも……どうして?」
「なに、昔ともに戦った戦友同士だろ?こんな時でもなければ、会えないと思ってね。お邪魔だったかな?」
  レスターと呼ばれた男は、軽快な中にも品のある微笑を浮かべて言った。
「お母様のお知り合い?」
  シャルロットはエクスの方を見やって尋ねた。
「ええ、あなたも知っているでしょう?その方達がエレボス王国のレスター王と、ネメシス公国のウィンディ卿。20年前、ファルコン自由解放同盟で共に私達と戦った仲間です」
「え!?この方達が、あの……!?」
  シャルロットも母エクスから聞き及んでいた。
  歴史上の立役者の来訪に、シャルロットは虚を突かれた思いだった。
「ど、どうぞ、お入りください。すぐにお茶をお入れします」
「あら、お構いなく。ありがとう、お嬢さん」
  栗色の髪をした貴婦人は、柔らかい口調で優しく微笑んだ。
「お久しぶりですね。まあ、お二人とも掛けてください」
  先程の評議会で二人と意見を違えた事もあったが、それとこれとは別である。
  エクスは二人の客人を丁重にもてなした。
  エクスと二人の旧友は、低いテーブルを挟んで、ゆったりとソファに腰を降ろした。
「可愛いらしいお嬢さんね。顔つきとか、若いころのあなたにそっくりだわ」
  豊かで艶やかな栗色の総髪に茶色い瞳、形の良い唇。白磁のような肌に十二神将の黒い礼服が映える。ウィンディ・ビゲンゾンは、このファルコン半島でも少数派であるカルム人独特の風貌を特に強く有していた。
  一方のレスター・レイギスは今年45歳になるが、全身からみなぎる気迫は年齢を感じさせない。鋭い眼光と、無駄肉がひとつもない骨張った顔は、一国の王に相応しい威厳すらある。分け目をつけず後方に撫でつけた薄い色の赤毛は、かつて迫害されていたバリア人の名残を残していた。彼も同じく十二神将の黒い礼服に身を包んでいる。
「あれでなかなか生意気でしてね。手を焼いているんですよ?」
  エクスは、先程の落胆を悟られぬよう、つとめて明るく振る舞った。
  が、レスターはそんなエクスの様子を見て目を細めた。
「……エクス、無理をしなくていい」 
「え?」
  レスターの声音には、旧友を心配する思慮がありありと含まれていた。
「実は、私達も偶然君とジークハルトが廊下でやりあっていたのを見ていたものでね。心配で様子を見に来たんだ」
  その言葉が耳に入ったシャルロットは、ハッとなりティーカップにお茶を入れる仕草をしながら耳をそばだてていた。
「そうだったの……ありがとうございます。シャルロット、すまないけれど少しのあいだ席を外してくれない?」
  娘には聞かれたくない話だった。エクスは懇願するような口調で部屋からの退出を促した。
「ええ、わかったわ」
  慕っているジークハルトの話となると、なるべくなら聞いておきたいところだったが、シャルロットは空気を読み、静かに部屋をあとにした。
  シャルロットが退出するのを確認すると、レスターは話を続けた。
「遠くからだったので、詳しいところまでは聞けなかったんだが、大丈夫なのか?」
「情けない姿を見られてしまいましたわね。私は裏切られたと興奮するばかりで、ジークハルトの苦悩を想像すらしないで……」
  エクスはうつむき、体の奥から深々とため息を吐き出した。体の中に汚いモノが溜まっている気がする。この体の中にこびりついた穢れを、拭い落としたかった。
「エクス、そんなに自分を責めないで」
  ウィンディは悲しそうな顔をして、そっとエクスに手を差し伸べた。
「そうさ。君は立派にやっている。評議会の場では、言いたいことも言えない。誰だって怖いんだ。君の夫シェルナーがリューベン陛下に逆らったばかりに、収容所に監禁されたのがいい例だろう。それでも、君は毅然として自分の正義を貫き通してる。誇っても良いことだよ」
  横にいるウィンディは、レスターの励ましの言葉に首肯し、言葉を継いだ。
「そう、レスターの言うとおり。私達だって、本当はゼノラー王子の流刑には反対だった。でも言えなかった。あの評議会の張り詰めた空気……いつ自分がリューベン陛下やレティシア王妃陛下の標的にされて家を取り潰されるか、追放になるか、そればかりが頭の中を駆けめぐってしまって……」

  確かにエクスの夫であり、元十二神将だったシェルナー・ビュネーンは、公安委員会のあまりの横暴さについてリューベン王に異を唱えたばかりに収容所に監禁されてしまった。
  しかし、それさえも塩の砂漠に流刑になったネヴァン・フリーダムなどと比べると、処罰の重さとしては雲泥の差である。
  それに、ディアナ王国は代々女性君主の国家であるから、王婿(※おうせい――女性君主の配偶者の事)であるシェルナーがいなくても大混乱に陥ることはない。
  第一、エクスには王婿がいないと困ると言う事で、レティシアからゾハルという貴族を紹介され、エクス自身も国と子供のためを思って我慢し、既に再婚もしているのだ。
  こうしてみると、エクスの影には常にレティシアの庇護が働いているような気がして、どうしようもなく自己嫌悪に陥るのだ。

「違う、違うのよ。ウィンディ。私はあなた達の言うような立派な人間ではありません。それどころか、姉上がクルトニア王妃をやっているのに安心して、評議会で自分の不満を言えてるだけなのです。甘えているのよ」
  そう言いながらエクスは両手で顔を覆った。
「……ジークハルトに言われたのか?」
「いいえ、ジークハルトは何も言ってません。私自身がジークハルトと話している内に気付いただけの事です」
  嘘をついた。
  だが、事実でもある。
「彼をかばうのはよせ。まったく、あんな男ではなかったのに……何があったというんだ?」
  レスターは憤慨すると同時に、拭いようのない奇妙な感覚にとらわれていた。
  名君ジークハルト・フリーダム
  ニュクス王国の民からは絶大な支持を集め、ファルコン半島最強の騎士としても名を轟かせ、正義感が強く、誠意ある人物として、遠くレスターの治めるエレボス王国までその名声は音に聞こえていた。
「彼は、なにかとてつもない苦悩を一人で背負っているのです。ニュクス王国の民を守るのに必死で……それでいて誰も傷つけたくなくて……だからこそ私とも衝突してしまったのです」
  エクスは、いつのまにか小刻みに震えながら涙を流していた。涙がこんなに静かに流れ落ちるものだったのかと、レスターは初めて知る。
「難しい問題だな……」
  重苦しい空気の中、レスターは天を仰いで言った。
  ウィンディも同感だった。
  そして、苦しく辛いこともあったが、魔王ゴルベリアスを倒すため皆の心がひとつになり駆け抜けていた若き日のことを懐古する。
「全く、いつからこの国はこんな風になってしまったのかしら……。私達の知っているリューベンレティシアは、もっと優しく、思いやりがあって、太陽のように人の心の闇を照らしだしてくれる、そんな方達だったのに……」
  ファージなどに聞かれたら不敬罪ものの発言である。
  だが、言わずにはいられなかった。
「そうだな。いつから歯車が狂いはじめてしまったんだろうな……」
  誰かがこの流れを止めなければならない。
  しかし、誰が?
  ゼノラー王子は塩の砂漠に流刑になるというし、王位継承権を持つアズライル王子も聡明で王者の資格を充分備えた若者だが、今日の評議会での様子を見ている限り、このまま放っておけば傀儡の王に成り下がってしまう可能性が高い。
  かつて、ファルコン半島の未来を信じて戦った3人の十二神将達は、今や深く暗い迷宮に迷い込んでしまっていた……。


一方その頃――。
見捨てられし廃都エッセネで、新たなる時代の胎動が始まろうとは、その頃は誰も予想だにしなかったのである。





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