第31章 ミュッセの幻影

 エッセネ蜂起軍が行軍を開始して1日目の夜。
  蜂起軍はルーヴェルラント王国からそう遠くない場所に位置する『アビスの森』に陣をとり、幕舎(野外にテントを張った営舎)を立て、野営をしていた。

 作戦は順調に進んでいるように見えたが、ゼノラーのいる司令官幕舎の中では激しい議論が交わされていた。すなわち、ルーヴェルラント王国を攻め落とした後の、ミュッセ・リガンスタインの処分についてである。

「冗談ではないッ!」
  リューベンの怒声が、幕舎全体を揺らすほどの大きさで鳴り響いた。
「話が全然違う!この期に及んで、ミュッセを処刑するとはどういう事だッ!?」
  リューベンはそう叫んで、ゼノラーの机を思いっきり拳でダンッと叩き付けた。普段温厚なリューベンにしては相当興奮している。
「まあ、落ち着いて俺の話を聞け、リューベン」
  ゼノラーは眉をしかめて、手のひらをリューベンの目の前に差し伸ばして制しようとしたが、リューベンはその手を乱暴に振り払い、怒りをぶちまけた。
「いいや、これが落ち着いていられるかッ!私はミュッセと話し合えると思ったからこそ、お前の起こしたクーデターにも参加したし、固く約束もした!それを今さら破るとはどういう了見だッ!」
「ほう、ではルーヴェルラント王国に捕らえられたオリビアコリューンの事はどうでもいいというわけか?」
「話を逸らすな!確かに恩人である彼女たちを助け出すのも、私にとっては大事な目的のひとつだ。しかし、それとこれとでは話は別物だ!ゼノラー、今日こそ言わせてもらうが、なぜそんなに私とミュッセを会わせたくないんだ?私には前からそんな気がしてならないッ!」
  ずっと心に引っかかっていた事をリューベンは声を大にして詰め寄った。以前からゼノラーがあれやこれやと理由をつけては、リューベンとミュッセと出会うのを阻止したがっているように、どこか直感で感じ取っていたからだ。
  だが、ゼノラーはそんなリューベンの言い分に対して大げさに肩をすくめてみせた。
「馬鹿なことを言う。被害妄想もたいがいにしろ」
「じゃあ、ミュッセを処刑するという前言を撤回しろ。約束は守ってもらう!ミュッセは生かしてもらい、私と話をさせてもらうぞ!」
「そんなにミュッセと話したいなら、好きなようにしろ。その代わり、ミュッセとの話が済んだら、あんたにはミュッセの首を切断して民衆の前で晒してもらうデモンストレーションをしてもらう事になるぞ。あんたがどう言おうと、こればかりは譲れん」
「……!なっ!?」
  ゼノラーが口にしたあまりに唐突で衝撃的な内容に、リューベンは呻いて絶句した。しかし、それも一瞬のことで、すぐに腸(はらわた)が煮えくりかえるような怒りがムラムラと湧き上がってきた。
「どうして私がそんな残酷なことをしなければならないんだ!お前には何度も説明したはずだ。ミュッセは私の剣の師であり、育ての親代わりだった人物だったと!その恩を忘れて、どうして私にそんな事ができるというんだ!?一体、お前という人間は人の気持ちを考えた事があるのかッ!?」
  リューベンの激昂はとどまることを知らず、目は血走り、再び机を思いきり拳で叩き付けた。
  すると、ゼノラーはだしぬけに毅然とした態度ですくっと立ち上がった。そして興奮するリューベンの手首を固く掴み、真剣というよりかは睨み付けるような目つきで自らの持論を口にし始めた。
「ミュッセ・リガンスタインはこのルーヴェルラント王国にとっても、新生ファルコン共和国にとっても害毒にしかならないクズだ。首をとって民衆の前にあんたが晒すんだよっ!あんたがやれば、民衆と兵達は奮い立つ。マグスの魔法は実在し、過去から送られた救世主、リューベン・スターロードが世直しを叫んでいるんだ。そして、あんたは民衆の希望の象徴となって神格化される。廃都エッセネとルーヴェルラント王国をファルコン半島解放の拠点とするんだ!この計画は誰にも邪魔させん!」
  リューベンとゼノラーは、身を切るような鋭い目つきでお互い睨み合いながら、微動だにしなかった。しばしのあいだ幕舎内には静寂がおとずれた。
  そしてリューベンは、強引にゼノラーに掴まれている手首を振りほどくと、やっと本音をあらわにしたゼノラーを鋭い眼光で睨みつけたまま言い放った。
「そうか、それがお前の本心だったわけか。しかし、お前の勝手な言い分に振り回されてたまるかっ!ミュッセはかけがえのない仲間だった男だ。話がわからん奴ではないのは私が一番よく知っている!首を切断して民衆の前に晒すだと?いくら民衆を苦しめたといっても、そんな残酷な仕打ちをよりによって私にやらせるのか!」
  その言葉を受けて、ゼノラーは肩を落としてフッと溜息をつくと、
「まだそんな甘っちょろい事を言っているのか?それでよくファルコン自由解放同盟の盟主が務まったものだな………いいか?人間というものは変わるものだ。あんたの知っているミュッセがどんな人間だったかは知らんが、今のミュッセ・リガンスタインは腐りきった、ただのブタだ。ヤツは、俺の恩師だったネヴァン・フリーダムを陥れて、塩の砂漠に流刑にしたんだぞッ!」
  リューベンの顔からさっと血の気が引いた。
  今までの興奮が一気に冷めてゆくのを、肌で実感できた瞬間だった。
「な…に…?ミュッセが……そんな、ネヴァンを陥れて流刑に?バカなッ!」
  信じられない事だった。
  いや、信じたくなかった。
  リューベンにとって、剣の師であり戦友であったミュッセが、『ファージを使って民衆を苦しめている』という事実だけでもまだ心のどこかで信じきれてないというのに、今度はその上、リューベンの親友であったネヴァン・フリーダムを陥れて流刑に処したという。
  それは、もはや20年前のミュッセしか知らないリューベンの想像の域を越えていた。
「ネヴァンは……立派な騎士だった。ニュクス王国の王という身分でありながら、新生ファルコン共和国全体の事を常に考えていた。クルトニア王国にいた頃の俺に武芸と学問を教え、弱肉強食の国策を強行する親父(おやじ)と公安委員会に対して真っ向から対立し、挑み続けていた。しかし、ミュッセを始めとした己の保身しか考えてない評議会議員どもの策略にはまって、リューベン王の命令で塩の砂漠へ追放された。
ヴァハだってそうさ。親父と、それに追従しかしない評議会のありかたに異を唱えたばかりに、十二神将の位を剥奪されて、廃都エッセネの一市民にまで降格になり、まるで使い古されたゴミのように追放されたんだ。そしてミュッセは席が空いた十二神将の地位にちゃっかり収まり、地位と名誉を手に入れた。そういう事で手柄をたてて親父に取り入ってるんだよ、あのクズはッ!!」
  ゼノラーは拳を震わせ、声を絞り出すようにして語った。その声音からは魂の震えが感じられ、瞳にはどこまでも深い怒りと憎悪がの色が渦巻いていた。
  例えゼノラーの言っていることが全て嘘だとしても、ここまでの演技はできないはずだ。
  だが、リューベンは認めたくなかった。
  ネヴァン・フリーダムは、リューベンにとってかけがえのない親友だった。苦楽を分かち合い、お互いを励まし合い、一生の親友と認め合った仲だった。どんな意見の衝突があったとしても、未来の自分がネヴァンの存在を抹殺したということ自体、リューベンにはとても受け入れがたい事実だったのだ。
「未来の私がみすみすネヴァンを流刑に処したり、ヴァハをあの廃都エッセネに追放するような事をしたというのか……一体、未来の私はどうなってしまったんだ!?悪魔にでも魅入られたとしか思えない!」
  リューベンは、激しい苦悶の表情を浮かべ、頭を抱えた。
  しかし、ゼノラーはそんなリューベンの姿をはたから見て、フンと嘲笑しすような笑みを浮かべた。
「――これは、どうも意外な事を言うな。俺の知っている親父とは言い分がまるで違う。フフ、奇妙だが面白いものだな」
  そう言って、ゼノラーは目を細めた。その表情には、何か思うところがある事を示していた。
「どういう意味だ?」
  リューベンは顔を上げ、ゼノラーの言葉の意味を問い詰めた。
「今の新生ファルコン共和国は、クルトニア王国を宗主国として評議会で民主的な政治が執られている――というのは真っ赤な嘘であることは、お前も今までの経験を通じて知っての通りだろう。
クルトニア王国の実態は、リューベン王王妃レティシアが評議会を意のままに操り、ファルコン半島の各国から王位後継者の人質をとって、公安委員会をあらゆる国に派遣して監視させている。
だから今までどの国の王族も、クルトニア王国に対して反旗を翻すことができなかったというわけさ。もし逆らえば、人質となっている王位継承者は殺され、ひどければその人質を差し出している国の王族達もよくいって家を取り潰され、悪ければ処刑や流刑が待っている。それが今の新生ファルコン共和国の現実だ」
「!……各国の王族を人質にとっているだと?」
「ああ。うまいことを考えたものさ。建前上は『クルトニア王国への留学』ということになっていて、各国の王位後継者達はクルトニア王国内にある『特別区』に屋敷を与えられて住まわされているがね。
しかし、少しでも人質をとっている国に不穏な動きがあれば、その国に派遣されている公安委員会が即座にクルトニア王国に密告し、厳罰を与えるという仕組みだ。これも公安委員会同様、お袋が考え出したシステムだがな」
  ゼノラーは、口に出すのも忌々しいような口調で実母レティシアの名を口に出した。
「あのレティシアが……公安委員会の創設だけでなく、そんなことにも手を染めていたのか?」
  ミュッセに続いてレティシアまでも……リューベンは、この世界に来てからも心の中ではいつでも屈託なく笑顔をみせてくれていた二人の顔が、この時をもってグニャリと歪んでガラスのように砕け散っていくような錯覚を覚えていた。
「民衆や貴族達を黙らせるには、圧倒的な恐怖で支配するのが一番手っ取り早いからな。――そう、ギロチンというのを知ってるか?」
  ゼノラーが急に話題を変えてきた。しかし、それまでの流れから『ギロチン』という固有名詞がこれから自分に嫌悪感を抱かせる話の内容になるであろうとは容易に予測がついた。
「人間の首を瞬時に切断する断頭台だろ。そのあまりの残虐さに、70年ほど前、時のクルトニア国王によって使用を禁止されたはずだが?」
「そのギロチンを復活させたのもミュッセさ。ギロチンの残酷な処刑方法は否が応でも民衆の恐怖心を煽るからな。しかしミュッセは『人道的見地から考案された素晴らしい処刑具』『国家の秩序と安定のためにギロチンを使いこなす段階まできている』と進言して親父とお袋を言いくるめ、今では年間に1万5千人もの民衆や貴族、王族がギロチンの刃の露となって殺されている」
  もうリューベンは何も聞きたくなかった。
  ネヴァンの流刑、ヴァハの追放の経緯、新生ファルコン共和国の腐敗、ミュッセの『ギロチン』の考案……耳に入ってくるのはリューベンを幻滅と嫌悪感の地獄に突き落とすような凄絶な内容のみで、そこには一片たりとも救いがなかった。
  どこにもぶつけようのない怒りと幻滅のあまり、リューベンはゼノラーの襟首をつかみ叫んだ。
「それではまるで、シーガイア王朝の再来ではないか!私は同じ事を繰り返すために、ファルコン自由解放同盟を導いたのではないっ!クルトニアディアナルーヴェルラントエレボスニュクス、それぞれの国が助け合っていけるような国造りをしようと信じて戦ってきたんだ!」
  リューベンは突然突きつけられた残酷な真実を受け入れたくないがために、必死にゼノラーに向かって抗弁した。そうしないと、どうにかなってしまいそうだったからだ。
  だが、ゼノラーは冷ややかな顔でなりふり構わず激昂するリューベンの姿を見下げ、チッと舌打ちした。
「ガキが……」
「!?……ッ」
  ゼノラーのその一言でリューベンの一方的な激昂が急に止まった。
  それまで冷静な口調で現状を説明していたゼノラーだったが、リューベンを見下げる目つきは背筋がぞくっとするほど冷たく、そして軽蔑の色が込められていた。リューベンはゼノラーの襟首から力なく手を離した。
「ほざくなよ、リューベン……。まるで自分達だけ、解放同盟の力だけで、シーガイア王朝を討ち滅ぼしたかのように思っているような話しぶりだな?そうだと思ったら大間違いだ。シーガイア王朝を討ち滅ぼした一番の功労者は、貴様らファルコン自由解放同盟じゃない。貴様らが派手に戦っている最中、とばっちりを受けながらも我慢に我慢を重ね、1年間に渡って貴様達の戦いを支え続けてきた名もなき農民や無名の貴族や民衆達だ。彼らのおかげで、今の貴様があるんだ。貴様は大きな勢力の中のひとつの部品に過ぎなかったということだよ。貴様、その事をよく認識していたのか?ええ?」
  リューベンは、全身から冷や汗が吹き出るのを実感した。
  この男は、リューベンさえ意識しなかったことを、全て見透かすようにはっきり言葉にしてズバズバ投げかけてくる。リューベンは、発作的に今すぐにでもこの幕舎から逃げ出したい衝動に駆られた。
「……そ、それは、もちろんだ。彼らの助けがなければ、私など、とうの昔にどこかの戦場で命を落とし、のたれ死んでいただろう……」
  うつむいたまま、たどたどしく言葉を口に出すリューベンを、顎をすこし上げて見下すようにしていたゼノラーは、その返答を聞いて言った。
「フン、分かっているんならいい。大きな戦争の影では、常に膨大な数の人間が苦しんでいる。それも、戦っている我らには到底見えもしないところでな。戦いが長引けば長引くほど、なお始末が悪い」
「……それは充分承知している」
  リューベンは、できるだけ言葉に力を込めたつもりだったが、さきほどまでの勢いは失われていた。
  その機をゼノラーはを逃しはしなかった。
「結構。なら、ミュッセの首を貴様が晒さなければならない理由もわかるな?この解放運動に参加している兵士や武装市民達は、皆クルトニア王国に対してもルーヴェルラント王国に対しても、煮え湯を飲まされるような経験をしてきた者達ばかりだ。親や兄弟から引き裂かれ、ゴミのように見捨てられてきた者達だ。市民や農民達も、新生ファルコン共和国がかけるとてつもない重税に極貧の生活を強いられている。心底、今の新生ファルコン共和国のありかたを憎悪しているんだよ。だからこそ、皆この解放運動に参加している。その蜂起軍の象徴となるべき貴様が、諸悪の根源であるミュッセを擁護するようなそぶりを見せたらどうなると思う?蜂起軍の士気は一気に崩壊する。当然、戦いは長引き、多くの人々が苦しむ事になる。その時は、いくら俺でも貴様の命の保証まではできかねんな」
  ゼノラーは恐ろしい言葉を口にした。
「エッセネ蜂起軍の者が、私を殺すとでも?」
「当たり前だ。彼らは、『ファルコン自由解放同盟の勇者リューベン』ではなく『ゴルベリアスの魔法によってこの時代に降臨したリューベン』に期待を寄せてるんだ。エッセネ蜂起軍の中にはザフネス教信徒やシーガイアの残党達がかなりの比率を占めている。わかるか?この意味が?」
「彼らは私とゴルベリアスを重ね合わせているんだな?そして、その奇跡は天界パージや巫女王ゼノビア、そしてマグスの導きだと……」
  聞きかじったザフネス教の知識を披露するリューベンを尻目に、ゼノラーはフンと鼻をならしてみせた。
  そして、くるりと踵を返すと、再び机に備え付けられた椅子に腰を降ろし、椅子をギシッといわせた。
「ザフネス教についても少しは知識があるようだな。なら話は早い。要するにだ、貴様は戦いに関して何もしなくていい。ただ解放軍の偶像(アイドル)をやってくれていれば、それでいいんだ。後のことは俺たちがやる」
「そんな勝手な事を貴様に決める権利がどこにあるっ!」
  さすがのリューベンも、このゼノラーの見下し切った言い方に自尊心を傷つけられ反撃する。
「……言い方が悪かった。訂正する。――ただリューベン、この役目はあんたにしかできないことなのだよ。そうでなければ、このクーデターはいずれ失敗する。このクーデターが順調に進めば、近いうちにクルトニア本国の正規軍とも正面から戦わねばならない。その時までにこちらも充分な戦力を蓄えておかねばならん。あんたの存在はエッセネ蜂起軍にとって必要不可欠なんだ」
  さすがに言い過ぎたと思ったのか、ゼノラーの口調は説得を促すような多少柔らかいものになっていた。
「しかし、だからといって、ミュッセの首を私が民衆の前で晒すなどという行為を今から計画するのは早急すぎる――ゼノラー、エッセネ出立の時にも言ったが、頼むからまずミュッセと話をさせてくれ。わたしは、20年も過去から来た人間なんだ。この時代に来て、世の中のあまりの変貌ぶりに頭では分かっているが、感性がついていってないんだ。頼む」
  そう言葉を切って、リューベンはゼノラーに対して頭を下げた。
「………」
  沈黙を守ったままのゼノラーだったが、それについてはかまわずリューベンは頭を上げ、己の信念を全て瞳に託したつもりで必死に訴えかけた。
「今のミュッセがお前の言うとおり、本当に私の知っているミュッセではなく、私利私欲のために平気で他人を踏みにじるような男に変わってしまったというのなら、お前の言われるまでもなく、ミュッセはこの私の手で葬ろう。しかし何度も言うが、ミュッセは私の仲間だったんだ。僅かでもいいんだ。時間が欲しい」
  しばらく両者の間に沈黙が流れた。
  そして、フーッと溜息をついたかと思うと、ついにゼノラーが折れた。
「わかった。俺には想像もつかないが、貴様にとって、ミュッセは本物の騎士だったのだな……だが、覚悟しておくことだ。世の中には知らなければ幸せなこともある。今のミュッセを見たとき、あんたの心も変わっているだろうよ。絶対にな」
「………」
  ゼノラーは椅子から立ち上がり、リューベンに背中を向けて手を組んだまま言った。
「明日の出立は早いぞ。明日中には、ルーヴェルラント王国にあるトリエステの港で仲間と合流する手筈になっているんだ。ミュッセに生きて会いたければ、ゆっくり休んで鋭気を養っておくことだな。……もう、この議論はここでおしまいにしよう。正直、俺も疲れた。王都アーモロートを占拠した後でならば、ゆっくりした休息の時間も取れよう」
「ああ、そう信じたいものだな」
  リューベンはそう言い残し、なんともいえない気持ちで司令官幕舎を辞した。

***********

 翌日。
  エッセネ蜂起軍は、朝早くから行軍を開始し、夕方にはルーヴェルラント王国に到着した。
  アストリア運河の対岸周辺は三層もある巨大な石造りの城門に阻まれていたが、城門内の街に住む人々達はエッセネ蜂起軍の到着を待ちわびていたかのように、熱烈な歓迎をもって城門の中に招き入れてくれた。
  岸沿いの街、ハシディームの街の風景は古びた建物が乱立していて、お世辞にも整った町並みとは言えなかったが、エッセネ蜂起軍が到着したことも手伝って、街は活気に溢れていた。
“ゼノラーはルーヴェルラント王国内にも内通者を作っていると言っていたが、この歓迎のされようは大したものだ……”
  リューベンは、瞳を輝かせながらエッセネ蜂起軍の兵達を見つめる民衆の人々の姿を目にして、素直にそう思った。
「大した歓迎のされようじゃないか、ゼノラー。話には聞いていたが、ここまでとは思わなかったよ。エッセネだけじゃなく、この国の人たちにもお前はよほど人望があるんだな」
  リューベンはゼノラーの傍に馬を寄せてそう褒めたが、ゼノラーから返ってきた返事はそっけないものだった。
「人望?そうじゃない。このアストリア運河の岸沿いに住んでいるハシディームの街の人々は『負け組』なのさ」
「『負け組』?」
  ゼノラーの説明によると、離れ小島に浮かぶ王都アーモロートやその周辺に住めるのは、一部の大貴族かファージ、模範的な一等市民か二等市民と認められた者達だけらしい。
  それに対して、岸沿いに住んでいるハシディームの街の者達は、コネも金もなくば模範的な一等市民や二等市民でもない、漁やわずかな貿易で生計を立てている貧乏人達(三等市民)ばかりなのだという。
「今や王都アーモロートは『選ばれし者』しか住むことの出来ない都になってるのさ。ハシディームの街にも気休め程度に城門が設けられているが、もし外敵が攻めてきたら、いっとう一番に殺されるのは岸沿いに住まわされているハシディームの街の人々だ。だから王都アーモロートに住んでる『勝ち組』の連中からは『負け組』と蔑まされ、岸沿いに住んでいるハシディームの街の人々の不満は今や爆発寸前というわけだ。だからそれを解放しにきた我々を熱狂的に歓迎してくれるというわけさ」
  ゼノラーはいくらか憐憫のこもった瞳で、馬上から『負け組』の人々を見下ろしていた。
「まさか、それもミュッセが……」
「その通り。よくわかってるじゃないか」
「なんとなく、そんな予感はしていた……」
  昨夜聞かされた、この時代のミュッセの行っている数々の悪逆非道な所業を考えれば、そのくらいの想像はつく。リューベンはまたしても胸を締め付けられるような思いを味わっていた。
  その時、ハシディームの街の町長とおぼしき白髪に髭をたくわえた老人が声をかけてきた。
「これはゼノラー王子、お待ち申しておりました」
  ゼノラーは町長の姿を確認すると、ひらりと馬を降り、村長と握手を交わした。
「久しぶりだな、ゴタール町長。いろいろ世話になると思うが、どうか頼む」
「なにをおっしゃいます。ゼノラー王子が先導された廃都エッセネの解放運動は、このルーヴェルラント王国にも音に聞こえております。そのゼノラー王子が、このルーヴェルラント王国の解放にも手を貸して下さるという。感謝の言葉もありません。街の若者達も、義勇兵としてエッセネ蜂起軍に志願するため、この日まで武芸に腕を磨いてまいりました。どうか、使ってやってくだされ」
  確かに、リューベンが周りを見回すと、武芸に打ち込んだ者特有のたくましい筋肉をした男達が数十人も集まっている事に気付く。
「有り難い。それでは遠慮なく、志願している若者達はエッセネ蜂起軍に編入させていただこう」
「お願いいたします。――ところで、その御仁が時を越えられてきたという……?」
  ゴタール町長は、リューベンのほうをちらりと見ながら言った。
「ああ、20年前の過去からマグスの魔法によって降臨したリューベン・スターロードだ。大丈夫だ。今のクルトニア王国を治めているリューベン王とは別人と思ってもらっていい」
  ゴタール町長はかなりの高齢で、20年前のリューベンの事もはじめから知っているのか、それともゼノラーから事前に説明を受けていたのか、柔和な表情を崩すことはなく深くは詮索しなかった。
「左様でございますか。では、むさくるしいところですが、ゼノラー王子とリューベン殿の部屋を用意させていただいております。こちらへどうぞ」
「何から何まですまんな。――おい、リューベン、行くぞ」
「あ、ああ」
  ほんの少しの間、雄大なアストリア運河に浮かぶ水上都市アーモロートに見ほれていたリューベンは、ゼノラーに声をかけられ、慌てて後を追った。


  町長に案内された家は、古さは感じさせるものの、中はこざっぱりとした調度品でまとめられていて、リューベン達は充分リラックスすることができた。
  リューベンとゼノラーはテーブルに備え付けられた椅子に腰を落ち着け、町長が差し入れてくれた茶を飲みながら今後の事を話し合っていた。
「しかし、本当に王都アーモロートを攻略できるのか?はっきり言わせてもらうが、いくら村の男達が加勢してくれたからといって、エッセネ蜂起軍の兵力が飛躍的に上がったわけじゃない。エッセネでは、お前は『ルーヴェルラント王国には軍艦を用意してあるからアーモロート攻略は心配ない』と言っていたが、一体、軍艦は何隻あるんだ?」
  鎧の甲冑を外しながらリューベンが問うと、ゼノラーはパイプを咥えて火をつけ、口に含んだ紫煙をフーッと吐き出すと、そっけなく答えた。
「6隻だ」
  鎧の甲冑を外すリューベンの手の動きがピタリと止まり、椅子を蹴るようにして立ち上がった。
「ろ、6隻だとッ!?」
「それがどうかしたか?」
「お前、正気かッ!?40年前、リドル神聖国がルーヴェルラント王国を陥落させるために出動させた軍艦の数を知ってるのか!?120隻だぞっ!それがたった6隻の軍艦で一体、何ができるというんだ!」
「まあ、落ち着いて座れ」
  ゼノラーにそう制されて、リューベンは仕方なくドスッと音を立てて椅子に座り直した。
「誰が6隻だけで攻めると言った?お前は色々勘違いしている。確かにルーヴェルラント王国の人間達も俺の同調者に違いないが、他にも協力者がいるんだよ」
「協力者?どこにいるんだ?」
“エッセネでもルーヴェルラント王国でもないとすると、他の国にも人脈を広げているのだろうか?”
  リューベンがそんなふうに想像力を巡らせていると、
「……そろそろ到着する時間だな」
  ゼノラーは部屋に備え付けられた置き時計を見て出し抜けにそう言い、扉を開いて出て行った。
「お、おい、ゼノラー!待て!」
  リューベンは途中まで脱いだ甲冑を床に落としたのも気付かずに、慌ててゼノラーの後を追った。


  ゼノラーが足を運んだのは、ハシディームの街にあるトリエステの港だった。
「リューベン、あれを見てみろ」
  ゼノラーが夕日に向かって指をさした。
  目をこらして見てみると、運河の沖合の方に船団の影が紅い夕日を背にして近づいてくる。
「あ、あれは……ッ」
  リューベンは、その船団の帆に染め抜かれた紋章を目にして絶句した。
  太陽のシンボルに銀十字をあしらった紋章。
  リューベンにとっては、忌むべき偽りの正義を振りかざす紋章。
「あれは、リドル神聖国の紋章っ!!」
  両眼をこれ以上なく大きく見開き、唖然とするリューベンを横目にゼノラーはニヤリと薄く笑みを浮かべてこう言った。
「そう、あれが我々の真の『協力者』だ」





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