
第32章 リドル神聖国の人々
波穏やかな運河に大小の島々が浮かぶアストリア運河は、広いところは対岸まで2kmもある大運河で、ファルコン半島を守る防衛線と同時に様々な貿易の要として栄えてきた。また、昔から風光明媚(ふうこうめいび)なところとしても知られ、古からファルコン人は神の恵みとしてアストリア運河を崇めてきた。
海上に浮かぶ、美しい貴婦人のような都を建てたい――。
アストリア運河の小島に浮かぶ王都アーモロートを建てるとき、ルーヴェルラント王国の初代国王であり、初代十二神将でもあったイルザック王は側近にそう語ったという。
その美貌ゆえに見る者すべての心を奪い、男たちを恋の虜にしながらも、いかなる男の誘惑にも決して乗ることのない貴婦人のような王都を――。
つまり、何人(なんぴと)の目をも奪う優雅で美しい、荘厳で華麗な、誇りと気品に溢れた、そのくせ、何人の手も届かない強固な守りを持つ城を――と。
そして、20年の歳月を費やして完成した水上都市アーモロートは、まさにイルザック王の期待を損なわない素晴らしいものだった 。
王都は周辺の自然と調和してい、その美しさは見る者の心をなごませ、やすらぎを与えた。
特に、王都からの夕暮れの眺めは格別だった。
西の海にゆっくりと沈んでゆくやわらかな陽光が、波穏やかなアストリア運河と気品に溢れた城を黄金色にやさしく包むと、城はさらに美しさを増し、見る者はその場に立ち尽くしたまま、しばし時の経つのを忘れたという。
その上、初代十二神将イルザックが望んだように、王都は強固な守りをしていた。
対岸から島までたどり着くには、船しか交通手段がなく、その船もルーヴェルラント王国から公的な許可を得たものではならなかった。
外敵が攻めてきたときには、島の沿岸のいたるところに建築された迎撃塔から火矢の雨が降りそそぎ、敵を瞬時に撃滅し、何人たりとも立ち入り事を許さない。
壮麗な美しさと、難攻不落の堅牢さを兼ね備えた王都。
それが水上都市アーモロートだった。
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一方、トリエステの港では、迫り来るグランス艦隊を尻目に、目を血走らせたリューベンがゼノラーの襟首をねじれるほど掴み上げながら絶叫していた。
「お前という奴はッ!!一体、正気なのかッ!?リドル神聖国と手を組むというのが、どういうことかわかっているのかっ!?」
しかし、激昂するリューベンとは対照的にゼノラーの反応は冷淡な態度そのものだった。
「乱暴はよくないな……離せよ。これでは落ち着いて話もできん」
そのゼノラーの言いようは、頭に血が上ったリューベンの激情をますます膨れあがらせるには充分だった。
「貴様ぁっ!!これが落ち着いていられるか!ミュッセの事といい、今度という今度は……ッ!」
リューベンは力任せにゼノラーを地面に叩き付け、胸ぐらを掴んで渾身の一撃を顔面に叩き込もうと拳を振り上げた。
その時、
「ちょとリューベンっ!何してるの!一方的じゃないっ!」
背後からヴァハの制止を求める声が響き、リューベンは思わずハッとなって振り向いた。
「ヴァハ!?」
ヴァハは慌ててゼノラーの方に駆け寄って膝をつくと、
「王子、大丈夫ですか?」
「ああ、なんともない。ったく、馬鹿力で締め上げやがって……人の話を聞こうともせず、逆上しやすい性格はさすが親父(おやじ)といったところだな」
そう吐き捨てるように言ってゼノラーは立ち上がり、服についた埃を払いながら、襟をただした。
「ヴァハ、君は知っていたのか?こいつは我々ファルコン人を踏みにじったリドル神聖国と手を組もうとしているんだぞ!」
リューベンは、まるで裏切り者扱いのようにゼノラーを指さして叫んだ。当然ヴァハも自分に同調してくれるとリューベンは思っていたが、ヴァハの口から発せられた言葉は想像と全く違ったものだった。
「ええ。知っているわ。私もグランス公国と手を組むことにはゼノラー王子とよく話し合って賛成したもの」
ヴァハの言葉に目を丸くして驚いたリューベンは、突きだしたままの指先を思わずブルブルと震わせた。
「な……に!?君も……!?どういうことだ?よりによってバリア人である君が?」
「あなたもエッセネ蜂起軍と同行し、あの貧弱な兵力を見て感じたでしょう?今の私達には強い力を持った味方が必要なの。そのためにはリドル神聖国のグランス公国から手を借りるしかないと、ゼノラー王子は判断なさったのよ」
「しかし、そんな軍事介入を許せば、見返りとしてどんな条件をつきつけられるかわかったもんじゃない!おおかた、またファルコン半島にザフネス教をはびこらせようという魂胆なのだろう!」
「そうよ!そうだけど……今は、今という時は!そんな小さな事にこだわっている時じゃないのよ。それに、グランス公国の軍事介入を許したとしても悪い事ばかりじゃないわ」
リューベンには、バリア人であるヴァハがこんな事を言うのが信じられなかった。ザフネス教が再びファルコン半島にはびこれば、また悪しき人種差別が始まり、ヴァハ自身も真っ先にその犠牲になるはずの運命だからだ。
「小さな事?悪いことばかりじゃない?ヴァハ、君のその言いようは耳を疑うぞ!」
「いいわ、説明は今夜ゼノラー王子も交えてゆっくりとしてあげる。……もうすぐグランス公国の船団が上陸してくるわ。いがみ合ってるときはないでしょう?」
「ぐっ……」
正論をぶつけてくるヴァハに、リューベンは歯を食いしばるような思いだった。
「そういう事だ。彼らは大切な客人だ。くれぐれも先方に失礼のないようにな。リューベン、お前は20年も過去から来た人間だから、リドル神聖国に対して拒否反応を示すのもわかるが、彼らと話し合うときはその先入観をまず真っ先に捨てろ。そうすれば、なぜ俺が奴らと手を組んだのか、自然とわかってくるはずだ」
そう言ってゼノラーはリューベンの肩をぽんと叩いて念を押し、船団が寄港しようとしている予定場所に向かっていった。
「………」
リューベンは押し黙ったまま、どこにもぶつけようのない怒りで、拳を固く握りしめることしかできなかった。
グランス艦隊の8隻の戦艦がトリエステの港に寄港し終えると、ゼノラーをはじめエッセネ蜂起軍の兵達や街の住民達も物珍しさゆえに、わらわら積み荷を担いで港に降り立つ異国の人々を好奇心の目で見つめていた。
その中から、メルートとエンサスが仰々しい甲冑を身につけた騎士達を随伴して港に降り立った。
ゼノラーは、メルートの軍服にグランス公国の紋章を確認すると、早足で歩み寄った。
「聖騎士メルート・ヴェストリア卿ですな?ようこそファルコン半島へ。私がエッセネ蜂起軍の盟主、ゼノラー・スターロードだ。今回のグランス公国の協力には嬉しく思うぞ」
そう言って、ゼノラーは微笑を浮かべてメルートの方へ手を差し伸べ、固く握手を交わした。
「リドル神聖国グランス公国の聖騎士、メルート・ヴェストリアと申します。我が君主、デュナス公はファルコン半島の国々と何としても和平を結びたいと考えているのです。この程度の協力ならば、いつでも惜しみはしません。これより、我がグランス艦隊及びグランス騎士団は、ゼノラー王子の指揮下に入らせていただきます。以後、よろしくお願いいたします」
それに続いて、エンサスも自己紹介をする。
「私はシーガイア公国の司祭、エンサス・ヴェーリングと申す者です。今回の派遣には、私の持つマグスに対しての知識がお役に立てると聞き、同行させていただきました」
ゼノラーはエンサスとも握手を交わしながら、かすかな微笑を浮かべた。
「それは助かる。なにしろ、我々はマグスの知識については皆無なものでな。――そうそう、貴公らもすでに耳にしていると思うが、この男が故ゴルベリアス王の魔法によって20年前の過去から降臨したリューベン・スターロードだ」
そう言って、ゼノラーはリューベンの背中をトンと軽く押した。
「……リューベン・スターロードと申します……以後よろしくお願いいたします」
20年前の過去から来たリューベンにとっては、リドル神聖国の人間など、いくら憎んでも憎みきれない残虐非道な民族であるという先入観を産まれた頃から植え付けられている。それが、仇敵とも言える彼らといきなり協力しろという。
“この私が、リューベン・スターロードがっ!リドル神聖国の人間と握手を交わすなどと……!”
心身共に何の準備もできていないリューベンは、心の底からにじみ出る無念さを必死で隠しながら、力のない声でメルート、エンサスの両名と握手を交わした。
だが、メルートとエンサスをはじめとしたグランス公国の者達は、そんなリューベンの思惑などつゆ知らず、みな感嘆の声をあげていた。
「ほう!あなたが時を越えて過去から降臨なされたという……お噂はグランス公国でもかねがね耳にしておりますよ。あなたがなさった経験は、我々リドル神聖国の者にとっても非常に興味深い。ぜひとも時間のあるときにお話を伺いたいものですな。なあ、エンサス?」
「ええ。そのために私はこのファルコン半島に来たと言っても過言ではありませんからね」
穏和そうなエンサスでさえも瞳を輝かせ、目の前の『生きた奇跡』に興奮を隠せない様子だった。
話が少々、別の方向に逸れそうだったのでゼノラーが全員に向かって声をかけた。
「この度は、遠路はるばる我らに力を貸していただきに来られ、大変感謝している。休む間もなく早速で申し訳ないが、王都アーモロート攻略についての軍議を開きたいと思う。メルート卿、エンサス殿、かまわぬか?」
「もちろんです。王都アーモロートは明日にでも落とさねばならないのでしょう?」
メルートは屈託のない返事を返した。
「その通りだ。事態は急を要するのでな。すまないな」
軍議は町長からゼノラーとリューベンに割り当てられた家で、それぞれの部隊を率いる指揮官の少数で行われることになった。
エッセネ蜂起軍側からは、指揮官達であるゼノラー、リューベン、ヴァハ、メイマーといった面々が顔を揃えた。
対してグランス艦隊側からは、最高指揮官であるメルート、司祭であり作戦参謀でもあるエンサスの二人と、それに随伴する数人の上級騎士が参加することになった。
一同は、丸い木製のテーブルに着き、町長の差し入れてくれたルーヴェルラント地方でしかとれない果実を醸造した果実酒を楽しみながら軍議を進めていた。
「とすると、ゼノラー王子が用意された軍艦が6隻。我々の率いる軍艦が8隻。合わせて14隻で王都アーモロートを落とすと言うことですな?」
メルートとエンサスはひととおりゼノラーから現状の説明を受けた後、改めて確認するように問うた。
「その通り。通常装備の軍艦では、とても6隻で王都アーモロートは落とせたものではない。40年前、リドル神聖国が王都アーモロートを陥落させる際に120隻の軍艦を出動させ、かろうじてリドル神聖国が勝利したという事実を鑑(かんが)みれば、アーモロートの絶大な守備力は推して知るべきであろう。しかし、貴公らの軍艦に積んである必殺兵器を使えば、なんとかなるだろう?」
「……ン。まあ……『あれ』を使えばなんとかなるでしょうな」
メルートは顎をさすりながら、何かを思索しているような口調で言った。
「必殺兵器?新型の大砲か何かか?」
話から取り残されていたリューベンは、ゼノラーに聞いてみた。
「そんなチャチなものでアーモロートが落とせるか。『機関砲』といってな、続けて弾丸が撃てる。弾丸にも火薬が入っていて、その威力は従来の大砲などとは比べものにならん。それを聖騎士メルート殿はグランス公国からはるばる送り届けてくれたのだ」
ゼノラーの説明に、リューベンは目を丸くした。
リューベンの中で、リドル神聖国といえば巫女王(ふじょうおう)ゼノビアを神の化身と崇め、ザフネス教を盲信し、『科学』などという概念とは無縁の狂信的な宗教国家だというイメージしかなかったし、師であるミュッセ・リガンスタインにもずっとそう教えられてきたからだ。
「宗教国家のリドル神聖国が、そんな先進的な兵器を開発していたのですか?」
リューベンは、やや失礼かと思いつつも、当のリドル神聖国から派遣されたメルートに問いかけ、事の真相を確かめようとした。
「ああ、そういえばリューベン殿は20年前の過去から来られたんでしたね。この20年の間でリドル神聖国内でも色々ありまして――ま、それは次の機会にでもゆっくりお話しましょう。現在のリドル神聖国はですね、一口にいっても、全て一枚岩というわけではないんですよ。我がグランス公国の当主、デュナス公は、リドル神聖5公国の中でも宗教哲学より学問と技術開発に特に力を入れていましてね。機関砲もその産物というわけです。――そうそう、これなどもグランス公国で普及している武器ですよ」
そう言うと、メルートは腰に吊した革袋(ホルスター)から小型の銃らしきものを取り出し、机の上に置いた。
メルートは配下の騎士達に命じ、見るからに重そうな鉄のブレスト・プレート(※胸部のみを覆う金属の胸当)を木の台に乗せて来らせ、部屋の隅に置かせた。
「グランス公国で作られた鋼鉄製のブレスト・プレートです。どうぞ、硬度と装甲をお確かめになってください」
リューベン達、エッセネ蜂起軍達の将軍達は、ブレスト・プレートを手の甲で叩いたり、手触りを確かめてみた。確かに非常に厚い装甲を有し、最新の製法で作られているのか、表面が全て波形に加工されており、強度と同時に衝撃を受け流す工夫を凝らされている技術は見事という他になかった。ファルコン半島で普及している、最も強力な強化型ボウガンの矢でも、この装甲を突き通すのは至難の業であろう。
「堅さはご確認いただけたようですな?では、リューベン殿、こちらに来て下さい」
部屋の隅にある鎧から反対側のほうでメルートが手招きしている。リューベンは無言でメルートのところまで歩を進めた。
「リボルバァの扱いは簡単です。もう既に弾丸は装填済みですから、あの鎧に向かって引き金を引くだけでいいのです」
「引き金を引くだけで?」
「ええ。しかも、その型は6連発製で、撃鉄を起こす必要もないですから連射が可能です。――ああ、蜂起軍の皆様方は鎧から離れて下さい。……では、どうぞ」
リューベンが引き金を引いた瞬間、ダァンッという銃声が部屋に響き渡った。リューベンは続けて5回引き金を引き続けた。その度にダンッ、ダンッと銃声が部屋に響き渡る。
「もうよろしいですよ。弾丸は全て撃ち尽くしました。リューベン殿、貴方はなかなか筋がいいですね。初心者は的を外して壁に当ててしまったりなどして、全弾命中させるのは至難の業なんですよ――では、鎧の損傷度を見てみましょうか」
リューベンが駆けつけるより先に、鎧の近くにいたヴァハやメイマー達が「おお!」と驚きの声を上げていた。
リューベンの撃ち放った弾丸は、全弾とも堅い鋼鉄製の鎧を完全に貫通しており、おそらくこの銃で、同じ鎧を着た人間を撃ったとしたら、いとも容易く即死か致命傷を与えることができることは容易に推測できた。
リボルバァの威力を体験するため、他の3人もリューベンと同じくリボルバァを使って軽々と鎧を貫通させてみせた。メイマーもヴァハも、自分の放ったリボルバァの弾丸の威力に目を見張って愕然としていた。が、ゼノラーだけは事前にリボルバァの威力を知っていたのか、さして驚いている風には見えず、腕組みをしてじっとその一部始終を観察している様子だった。
「実地体験はこのくらいでいいでしょう。まぁ、これが、リボルバァの威力というわけです」
メルートはニコニコ笑みを浮かべていたが、エッセネ蜂起軍の将軍達は、そのあまりにも強力なリボルバァの威力を見せつけられ、ゼノラーを除いて誰もが思わず感嘆の溜息をつくのだった。
「回転弾倉方式の利点はですね、機構が簡単なために故障が少ないんですよ。だから私はもっぱらリボルバァや、デリンジャーと呼ばれる上下二連銃身の小型拳銃を愛用してるんですが。――ま、お恥ずかしいことに、そのせいで私自身の剣の腕のほうはからっきしなんですがね」
そう言って、メルートは屈託ない笑みを浮かべて頭を掻いてみせた。
「笑い事じゃありませんよ、メルート様。仮にも聖騎士ともあろう方が、剣も扱えないことを他人に自慢してどうします」
エンサスは顔をしかめてメルートの弁を諭す。
「ま、いいじゃないか。隠したってどうにもなるまい?本当の事はさっさと言った方がスッキリするしな」
メルートは少しも動じることなく、平然と言ってのけた。
ファルコン半島で仮にも戦士を名乗る者が『剣が扱えない』と人前で公言するのは自殺行為に近い。それを何ともないような顔で言ってみせるメルートの自信は、この精巧な拳銃の性能に裏打ちされたものだと容易に推測できる。
“この拳銃で仕掛けが簡単というのか……”
リューベンは技術の結晶とも見えるリボルバァを改めて隅から隅まで見回し、溜息をついた。
「リューベン殿、私にもそのリボルバァをよく見せてはくれませんか?」
生まれの土地は違えど、リドル神聖国から派生したシーガイア王朝の聖騎士であるメイマーもさすがに好奇心をそそられたのか、リューベンのほうに手を差し伸べた。
「ああ、仕掛けもすごいものだぞ、これは」
リューベンはそう言ってメイマーにリボルバァを手渡した。メイマーもリューベンと同じく、食い入るように隅から隅までリボルバァの構造を見回し、みるみるうちにその瞳は驚嘆の色に変わっていった。
「機関砲、といいましたか?メルート殿の軍艦に積んである兵器は、これ以上に精巧で強力なものなのですか?」
リボルバァだけでも充分にリューベンの感性を刺激するものだったのに、これ以上精巧で強力な兵器があるという。リューベンには想像もつかなかった。
「そうですね……なにしろグランス公国でも最近開発されたばかりの最新鋭の兵器ですから。失礼かもしれませんが、あなた方ファルコン人には一朝一夕に扱えるものではありませんでしょう。整備の問題もありますし、扱いも難しいのです。ですからアーモロート攻略の際には、機関砲の扱いは我らグランス艦隊の者達に任せていただきたい」
「……承知しました」
リューベンはそう答えるしかなかった。
「では、明日のアーモロート攻略について、具体的な段取りを打ち合わせておこうと思う」
ゼノラーはそう言って、大きな藁半紙の地図を机の上に広げ、木でできた小さな駒を地図の上にそれぞれ任意の箇所に配置して説明をはじめた。
椅子に座っていた者達は、身を乗り出すようにして、一言も聞き逃すまいとゼノラーの説明にじっと耳をかたむけた。
「水上都市アーモロートが難攻不落の要塞と呼ばれているのは、島の岸沿いにくまなく配置された迎撃塔の存在が大きい。運河から軍艦で近づけば、高くそびえる迎撃塔の上から火矢の雨の攻撃を受けて撃沈させられる。川の上に堤防を作って陸軍を出撃させようとしても、2つの港から強力なルーヴェルラント艦隊が出動してきて瞬時に叩きつぶされる。これを殲滅、打破するにはどうするか?」
ゼノラーは、手につまんだ木製の駒を上下左右に動かしながらそこで言葉を切った。
あとは、各艦隊とも目の前の敵を撃滅し次第、一気に島に上陸する。
島に上陸さえしてしまえば、あとはこっちのものだ。作戦は最終段階に移る。
王都アーモロートは堅牢な城壁に阻まれているが、この日のために4年もかけて、極秘裏に王都アーモロート内の市民の中にも我々エッセネ蜂起軍の内通者を作っておいた。彼らには城壁の地下に坑道を掘らせておいて、櫓(やぐら)で支えておかせている。そこに兵力が衰えた城門の一角に艦隊のひとつが接近すると、櫓に火を放つようにあらかじめ命令してある。櫓が燃え尽きて地盤をなくした城壁は大崩壊を起こして崩れ去るという寸法だ。
そして城壁が崩れ落ちたら、一気にエピファネス王城まで突撃し、これを占拠する。
作戦の段取りは以上だ。何か質問のある者は?」
ゼノラーの提案した作戦は用意周到なもので、誰もが納得し、異議を申し立てる者はいなかった。
「……特に異議はないようだな。では、エッセネ艦隊がアーモロートに突入したあと、各自の役割を決めておく。まず、ヴァハ、そしてメイマー率いる騎士団には市街で待ち伏せている敵兵を任せる。ミュッセのことだ。万が一にそなえて武装させた騎士や兵を配置していることは充分に考えられる。――そこでだ、できればメルート卿にもグランス騎士団を率いて参加してもらいたいのだが……」
「私はかまいませんよ。剣は不得手ですが、わたしはこいつを使わせてもらいますから」
そう言って、メルートはリボルバァが収められているホルスターをぽんと叩いた。
「ありがたい。拳銃の威力は、いくらミュッセでも計算に入れてないだろうからな――それから、リューベン。お前は俺と一緒に敵の王城エピファネス城に突入する」
「私もか?」
「ミュッセに会いたいんだろう?嫌なら俺は別に全然かまわんがな」
「いや、行く!行かせてくれ!」
ゼノラーとミュッセを2人きりにさせると、どうなるかわかったものではない。リューベンの直感がそう告げていた。
「それでは、明朝この作戦を実行に移し、王都アーモロートを占拠する。それと、言い忘れたが、作戦が成功して島に上陸できたからといって、王都アーモロートに住む市民には手を出すなよ。目的はあくまでエピファネス城の占拠だ。我々の敵は武装した兵や騎士達のみだ。そして投降した兵は丁重に扱え。無抵抗な市民を攻撃し、命令を破った者は厳罰に処す!この戦いの正義は我らエッセネ蜂起軍にあるのだ。それをアーモロートの市民達にも印象づけなければならん!よく憶えておけ!」
ゼノラーは、『無抵抗な市民には手を出すな』という部分に特に力を込めて、周囲の面々を見渡した。
「それでは、これで作戦会議は終了する。明日は激戦になるだろう。今夜はゆっくり休んでくれ。各自の健闘を祈る!」
そのゼノラーの言葉を合図に作戦会議は終了となり、その場は解散となった。
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軍議が終わって、それぞれの指揮官達が出て行くと、部屋は元の静けさを取り戻した。
部屋に残ったのは、リューベン、ゼノラー、ヴァハの3人だけだった。なぜこの3人が残ったのかというと、夕方のリューベンが問うた『なぜリドル神聖国と結託したか』という問題に決着がついてなかったからだ。
「あのメルート・ヴェストリアという男がグランス艦隊を率いているのか?ずいぶん若いな」
リューベンは、ゼノラーから見て斜め右に席を移し替え、その横にヴァハが座る。リューベンは、いきなり核心の話題に触れることはせず、順を追って聞き出していくつもりだった。
「なに、ザフネス教はなにも人種迫害ばかりしているわけじゃない。そんな宗教を誰が信仰したがると思う?良いところや、優れたところもたくさんある。そのひとつが『適材適所の精神』さ。グランス公国はそれを最大限に活用しているだけの話だ。その成果の産物が、あのリボルバァや機関砲というわけだ」
ゼノラーはそう言いながら、懐からパイプを取り出した。どうやら、なにか一段落ついたり、リラックスする時にパイプをふかすのがゼノラーの癖なのだろうと、リューベンは短い付き合いの中でおぼろげながらわかってきた。
パイプに火をつけ、ゼノラーは煙を吐き出した。紫色の煙がゆっくりと天井まで立ちのぼる。
「お前や聖騎士メルート卿の話を聞いていると、この時代のリドル神聖国は随分先進的――というか、自由な発想が許されているらしいな?」
「『リドル神聖国が』じゃない。その中に属しているグランス公国が特別なのさ。グランス公国の君主、デュナス・ミルザルド公爵はマグスだが、あまり魔力は強くないらしい。だから巫女王ゼノビアの呪縛からも、そのぶん解き放たれているんじゃないかともっぱらの噂だ」
「そうか……。だが、私はだからといってまだリドル神聖国に気を許したわけではない。なぜリドル神聖国と手を結んだ?納得のいく説明をしてもらおうか」
リューベンはゼノラーをじろりと睨み、尋問するような口調で言った。
「この20年間で、リドル神聖国内でもいろいろあったみたいでな。今ではリドル神聖国領内の各地で反乱が勃発しているそうだ」
「各地で反乱が?なぜだ?」
「まあ、原初のマグスである巫女王ゼノビアの統治が長く続きすぎたせいだな。伝説によると1500年も前に巫女王ゼノビアは『天界パージ』から永遠の命を与えられ、今日(こんにち)まで生き続けていて、人類を導くためにリドル神聖国の統治を行っているらしいが……そんなものが永遠に続くわけがない。世の中というものは常に動いている。皆、新しい意識の改革を求めてると言ったところではないのかな?」
ゼノラーの話によると、10年前にグランス公国の先代当主が死に、その息子であったデュナス・ミルザルドが跡を継いでから、デュナス公爵は急激な意識改革や技術開発を行って、民衆を啓蒙しているとのこと。
噂によると、リドル神聖国の内乱にも、デュナス公爵が関わっているらしい。嘘か誠か、近い将来、グランス公国もリドル神聖国内に対して大規模な反乱運動を起こすとの噂さえある、とメルートは言っていたという。そのためには地理的に最も近いファルコン半島の協力が必要なのだが、リューベン王は協力することを拒んだのだという。
「まあ、親父がグランス公国を信じられないのも無理はないな。20年近くもかけて、親父はやっとファルコン半島からザフネス教を根絶したというのに、はいそうですかと協力できるわけがない。それに、リスクが大きすぎる。ただでさえ、新生ファルコン共和国は、まだ俺のようなクーデターを起こすような輩がうじゃうじゃいて、自国内を平定するのに手一杯なのに、その最中に他国に軍事的援助をしろなどと到底無理な話だ。しかも、その相手はリドル神聖5公国のひとつ……いわばザフネス教の総本山だ。今の新生ファルコン共和国には、バリア人の貴族や官僚も大勢いるし、はっきり言って、今のクルトニア王国がグランス公国に協力しても何の得にもならんのさ」
「では、なぜお前はグランス公国に借りなど作るんだ?状況がわかってるのか?おまえのやってることは、このファルコン半島に、再びザフネス教を――シーガイア王朝の亡霊を呼び寄せるようなことをしているんだぞっ!」
バンとテーブルを叩く音が、部屋一杯に響き渡った。
感情を剥き出しにしてゼノラーを睨み付けるリューベン。だが、ゼノラーはフンと鼻をならして肩をすくめてみせた。
「リューベン、あんたの最大の過ちは、早すぎる蜂起にあった。だから新興の弱小国である新生ファルコン共和国を維持するために独裁体制の道をとるしかなかった――辛抱強さが足りなかった証拠だ。俺の親父は、物事を長期的・大局的に見るという視点が絶望的に欠けているからな。だから、本来の目的を見失って、ファージを使った恐怖政治で民衆を縛り上げるようなザマになってる」
ゼノラーは刃物のように鋭く、そして理路整然と言葉を突きつけてくる。当該者であるリューベンには、反論する余地はなかった。
「今、リドル神聖国は自国内の反乱を鎮める事だけで精一杯だ。このファルコン半島にまで大遠征を繰り出して、力ずくで改宗を迫る余裕はない。グランス公国を派遣して軍事介入をしてくれるかわりにザフネス教を布教させようなどという、回りくどい事をしてるのがその証拠だろうが。
それにな、例え、このクーデターが成功してザフネス教を受け入れなければならないとしても、それは一時のことだ。親父の頭の中には数年先までのビジョンしかない。だが、俺は違う。10年、20年、いや30年もあれば――そのぐらいの長いスパンで見たら、真に新生ファルコン共和国が強力で平和な国家として独立するのも不可能ではない。現在の不安定極まりない、こんな腐りきった共和国ではなくてな……」
ゼノラーは極めて長いスパンで、新生ファルコン共和国の未来の事を考えているらしい。
自分はどうだっただろうか?ただゴルベリアスを倒し、シーガイア王朝の圧政から逃れれば、そのあとはしばらく大国と睨み合いが続くではあろうが、平和が訪れると勝手に思いこんでいた。リューベンは、自分の脳天気さが今になって心底情けなくなるのであった。だが、許せないこともある。
「では、ザフネス教はどうするつもりなんだ?こればかりは避けて通れない道だぞ」
「ザフネス教の介入を容認するというのは本気だ。そうしたらリドル神聖国も、あまり文句は言ってこなくなる。今のクルトニア王国のやり方はザフネス教を完全排除しているから、リドル神聖国の脅しに絶えずびくついてないといけないのだ。おかげでせっかく20年前にリドル神聖国と不可侵条約(※相互に相手国に対して侵略行為を行わない事を国際的に約束すること)を結んだというのに、未だにリドル神聖国から物資の輸入もままなってない状態だ。クーデターが成功して今のクルトニア王国を打ち倒したら、いずれにせよ、リドル神聖国の意向に賛同しなければならん」
だが、それはあくまでザフネス教の中では上級人種とされるウォルス人のゼノラーだけの弁である。ザフネス教の教義の中で、虫ケラ以下の存在として蔑まされるヴァハ達バリア人の意見ではない。
「それじゃ、ヴァハたちバリア人やカルム人達はどうなる?またひどい人種迫害が始まるぞ」
先程、ゼノラーは『新生ファルコン共和国内部にもバリア人の貴族や官僚が大勢いる』と言った。バリア人やカルム人の平民や農民達はその何百倍にものぼるだろう。
20年前、リューベン率いるファルコン自由解放同盟とシーガイア王朝の戦いは、ある意味で純粋な宗教戦争だったといえる。互いの信仰する宗教を、どちらも死ぬまで捨てようとはしないから、通常の戦争とは違い妥協というものがない。だから、どちらかが根絶やしになるまで続くのだ。
ザフネス教が再びこのファルコン半島に入り込んでくるのを容認してしまえば、今度こそ最下等人種とみなされているバリア人達は根絶やしにされてしまうだろう――リューベンはそう訴えた。
「それは残念ながら仕方がないことだ。だが、できるだけ手は打つつもりだ。例えば、西方の大国、アレクサンドリア帝国第12首都ディザーンや、遙か南西のユイマン国では、現在でもクルトニア王国と友好関係にある。ファルコン半島に住むバリア人やカルム人達には、そこに表向きは追放という名目でファルコン半島から移住してもらうというような事は考えてある」
「ファルコン半島だけで独立することは考えられないのか?」
リューベンは、それでも食い下がらず、なんとかザフネス教をファルコン半島に介入させない方法を模索しようと、聞いてみた。
「そこが貴様の甘いところだと言うんだ。このファルコン半島は、黄金とミスリル銀といった鉱物、『塩の砂漠』から採れる塩の他には、特にこれといった特産物もなければ、豊富な食料を生産する肥沃な土地も面積もない。まともに国力を維持していくには、他国からの貿易に頼るのが一番なんだ。親父がやってるようなファルコン半島だけの国力増強政策では、いずれ行き詰まって、他国から資源を奪い取るため侵略戦争を起こすのは目に見えてる。その相手がアレクサンドリア帝国になるかリドル神聖国になるかはわからんが、どう考えても勝ち目はない。それこそ共和国は自滅するのは目に見えてる。親父のやっていることは、他国を植民地にでもしない限り機能しないシステムだ。いずれ限界が来る」
「………」
ゼノラーの持つ明確な未来のビジョンに圧倒されながらも、それでもまだリューベンにはどこかで納得できないものがあった。
「ヴァハ、君はどう思ってるんだ?私は君の意見こそ聞きたい。バリア人の君が、こんなことを見過ごすなど、信じられない。またザフネス教を信じている者達からひどい人種迫害を受けることになるんだぞ?君は両親でさえも、バリア人であるというだけで殺された過去があるじゃないか――だのに、なぜ?」
「……リューベン、あなたはまだこの時代にきて間がないから仕方がないかもしれないけど……確かにザフネス教を受け入れなければならないのは屈辱的だわ。でも、この時代のあなた――リューベン王とレティシア様がやっていることは、ザフネス教の人種迫害と同じかそれ以上に残虐なものなのよ。しかも、未来に対して決して希望があるわけでもない……民衆や貴族たちは決して口には出さないでしょうけれども、間違いなく今のこの新生ファルコン共和国は自滅への道を突き進んでいると誰もが思ってるわ。ならば、多少ザフネス教を受け入れることになっても、他の国に移住することになっても、ゼノラー王子の理想のために戦うのが正しいと信じているのよ」
リューベンは、ヴァハの固い決意めいた口調に二の句が継げなかった。
「――大丈夫、私達バリア人は太古の昔から移住を繰り返してきた人種ですもの。その気になれば、どこにでも住めるのがバリア人というものなの。けれど、いつかゼノラー王子がバリア人やカルム人を受け入れてくれる国造りをしてくれるのなら……それに賭けてみたいと思うのが私達バリア人なのよ」
ヴァハは気丈な風を装っていたが、それを見つめるリューベンの瞳には憐憫の念がこもっていた。
そして思うのだ。
ザフネス教で最も下等人種とさげすまされていたヴァハにここまで言わせる未来の自分は、一体、どれほど民をないがしろにしている治世を行っているのだろうと……。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
時間は既に深夜。
だが、メイマーとアイリン、それにジェシカといったシーガイア神聖騎士団の指揮官達に割り当てられた民家には、まだランプの明かりが煌々と灯っていた。
そこに、突然メルートとエンサスが従者の一人も引き連れず、たった二人で尋ねてきたのには、さしものメイマーも目を丸くした。副官であるアイリンとジェシカも驚きを隠せない様子だった。
「!……聖騎士メルート卿とエンサス司祭……どのような用件でしょうか?明日は激戦になります。できるなら手短にお願いしたいのですが?」
そう言って、メイマーは失礼だとはわかりつつも二人を中に入れることはなく玄関口で話を済ませようとした。
だが、深夜の突然の来客に対して、眉間に皺をよせているメイマーの顔などまるで見えてないかのように、メルートはニッコリと笑って胸に手を当てゆっくりと礼をした。
「こんな夜分に申し訳ありません、聖騎士メイマー殿。こいつがどうしてもと言うものですから……ほれ!エンサス!」
メルートは肘でエンサスの背中を小突くと、エンサスは一歩踏み出し、メイマーの顔をじっと見つめて話を切り出した。
「こんな夜分に大変失礼します、メイマー様。率直に言いましょう。正直に言って、今日の軍議の席にメイマー様が同席された事には大変驚きました。シーガイア王朝の聖騎士ヴェスター卿は戦死されたとシーガイア公国本国に報告がもたらされておりましたから、まさかご息女のメイマー様が本当に生きておられたとは……」
「20年前の話だ。それで?シーガイア公国は私にどうしろというのだ?」
メイマーは興味なさそうな口調で、腕を組んで部屋の内側に開け放たれたままの扉にもたれかかった。
「本国ではあなた様も20年前に戦死なされたことになっています。リドル聖騎士院から、ザウドニック家の名は除名されているのです」
「そうだろうな……」
「それで、本題なのですが――シーガイア公国にご帰還するおつもりはないのですか?」
エンサスは好意からその言葉を口にしたのだが、メイマーの神経を逆撫でするものとなってしまった。
「バカな!聖騎士の序列からも外され、おめおめと今日まで生き恥をさらしてきた私がシーガイア公国に戻って何になるというのだ!」
メイマーは怒りに震えながら睨みつけたが、彼は涼しい顔でメイマーの視線を受け流している。
「まあ、そう言わずに。シーガイア公国では当主であらせられたゴルベリアス王も殺害され、ただ一人の後継者であらせられるシオン・イレード殿下は、クルトニア王国に捕らわれておいでだ。現在、君主の不在なシーガイア公国は、元老院がかろうじて支えておりますが、マグスのいない我がシーガイア公国はお家取り潰しの危機にあるのです」
リドル神聖国に属する5公国では、『巫女王ゼノビアの血筋を受け継ぎ、マグスとしての力を持つ者だけが当主になる資格を有する』ということが法によって厳格に定められている。エンサスの言うように、マグスであるゴルベリアスも死に、その直系であるシオン王子もクルトニア王国に捕らわれている今となっては、シーガイア公国の存亡に関わる重大事なのである。
「フン……貴様、ザウドニック家の名を利用しようというのか?賢(さか)しい事を考える」
「まさかそんな――私はただ、正統なるシーガイア王朝聖騎士の正統なる血筋を受けたメイマー様にご帰還いただき、シーガイア公国の復興に手を貸していただきたいだけでございます。メイマー様さえシーガイア公国にご帰還いただければ、私がリドル聖騎士院にザウドニック家の名を復活させるよう、とりなしてもみせます。どうか!」
エンサスはそう言葉を切ると、片膝をつき、真摯そのものといったようなまっすぐな瞳で懇願した。
だが、メイマーはあくまで能面のような無表情さを崩すことなく、片膝をついたエンサスに向かって言い放った。
「あいにくだが、その頼みは聞けないな。例えマグスでもない私が戻ったところで、それは一時しのぎにしかならん。真にシーガイア公国を復興させたいと思うのなら、まずクルトニア王国に囚われの身となっておられるシオン殿下を何としてもお救いするのだな。今の私には、打倒クルトニア王国と、シオン殿下をお救いする事以外、眼中にない。シーガイア公国の元老院にもそう伝えておけ」
やはり説得は無理だったか――エンサスは落胆の色を隠せなかった。軍議の時から、メイマーの瞳に宿る底知れぬ信念の深さを見たときから、多少のことでは己を曲げるような性格の女性ではないとは思っていたのだ。
「……左様でございますか。残念です。ですが、今すぐにとはいいません。あなた様の打倒クルトニア王国、そしてシオン殿下をお救いするという悲願が達成された暁には、どうか一度、シーガイア公国に戻ってみてはもらえないでしょうか?」
メイマーは、この言葉を受けるとフイと顔をそむけたまま言った。
「……先のことはわからん。が、考えてはおく……」
「ありがとうございます。そのお言葉が聞けただけで、このエンサス・ヴェーリング、このファルコン半島まで来た甲斐があったというものです」
そう言って、エンサスは深く頭を垂れた。
「明日は激戦となる。もうここらで休ませてはくれないか?今日は行軍のし通しで私も疲れているのでな」
メイマーは、エンサスに背を向けたまま抑揚のない口調で言った。背後でエンサスが立ち上がる気配がした。
「これはご無礼を……お許し下さい。では、明日のメイマー様の健闘を、ザフネス神に心からお祈り申し上げております。では、失礼いたします」
「ああ……」
振り返ることもなく答えるメイマーの後ろ姿を見つめつつ、エンサスはゆっくりと扉を閉めてその場を辞した。
「ハハハ、見事にフラれちまったなぁ、エンサス」
後ろで一部始終を見ていたメルートは、軍艦に戻る帰り道の間で、エンサスの背中をバンバンと叩いてみせた。しかし、それが彼なりの慰め方だということをエンサスは充分承知していた。
「力強いお方ですよ、メイマー様は。さすが20年間もこの地獄のようなファルコン半島を生き抜いてこられた事はある。立派なお方だ」
「はあ?あれのどこが?俺にはただの目をギラギラさせた、そのくせいつも仏頂面をした無愛想な娘にしか見えなかったぜ?すぐ顎をあげて人を見下す癖なんざ、ありゃ、絶対やめさせたほうがいいな。いつか言ってやれよ」
妙なところに気がつくメルートの観察眼に苦笑しながらも、
「ああして他人を威嚇しなければ、このファルコン半島では生きていけなかったのでしょう。ですが、それが聖騎士としての強さにもつながります」
「あーあ、俺に対してのあてつけかよ。いいよ、どうせ俺には剣の才能なんてないんだから」
「そんなこと、一言も言ってませんよ」
「いーや、言ったね。まったく、明日が戦いじゃなかったら酒の一杯でも煽りたいぐらいだ」
ふくれっ面をしたメルートは、そう言って両手を頭の後ろで組んでみせた。
「明日の戦いに勝ったら好きなだけ飲めますよ。メルート様、明日の勝敗は聖騎士である貴方様の采配にかかっていることをお忘れなく」
「ハン、今更おまけのように『聖騎士』って褒めてくれたって遅いってんだよ」
先程までは、メイマーとの緊張した対面と突き放されたような物言いをされたことで少々落胆気味のエンサスだったのだが、この愛嬌のある友人のおかげで今夜はよく眠れそうだ――エンサスは夜空を見上げながらそう思った。
「よかったのですか?メイマー様?戦場での指揮ならば我らに任せて、シーガイア公国本国にご帰還なさったほうが……」
エンサスとメルートが返ったあと、ソファに腰を降ろして黙りこくり、何事かをずっと思案しているメイマーに、アイリンはテーブルの上に茶の入ったカップを置きながら恐る恐る声をかけた。
エンサスの言うことが本当ならば、本来メイマーは華々しくシーガイア公国に凱旋し、多くの従者にかしずかれ、死の恐怖とも戦争の悲惨さとも無縁の、夢のような生活が待っているはずなのだ。そのせっかくの申し出をメイマーはみすみすドブに捨てるような真似をしたのだ。
「私には戦場の中で剣を振るっている方が似合っているよ。幼い頃からずっとそうだった。世界は全て戦いだよ。それにな、私はあくまでファルコン半島を支配していたシーガイア王朝で育った人間だ。私にとっては、ここが故郷(ふるさと)なのだよ。それに亡き父や、私の師であった騎士ベストン・クリューガーの無念を何としても晴らしたいという思いもある。ぬくぬくとシーガイア公国で静観していた聖職者に何がわかる」
メイマーは、かすかな腹立たしさを堪えてみて、本当は、副官であるアイリンにもジェシカにも本心を打ち明けてみたかったという思いがあることを意識した。
「メイマー様……」
メイマーの告白に、アイリンは盆を胸に当て、何と声をかけていいか戸惑った。
「それに、あのメルート・ヴェストリアとかいう男。あれが聖騎士だと?グランス公国も地に墜ちたものだな。機械仕掛けの銃に頼って、己の剣の腕も鍛錬しないでいて、何が聖騎士だ。笑わせてくれるよ」
メイマーはフッと嘲笑するようにメルートの軟弱さをあげつらったが、それは半分以上、メイマーが自分自身を納得させるためのロジックだった。あのような精巧かつ小型の銃で、鎧をも軽々打ち抜く威力を見せつけられれば、剣の道一筋に生きてきた自分は、まるで苔むした石のようなものではないかという恐怖がメイマーを襲ってくるのである。だが、それは決して誰にも気取られてはならない事だった。
「自分には、メイマー様とはまるで正反対の軟弱極まりない男のように見えましたよ。あれでよく由緒正しき聖騎士が務まるものです」
メルートに対する嘲笑に、ジェシカが膝を乗り出すのは、自分ではものを考えずメイマーの言う事にしか同調しようとしない彼女の悪い癖である。
「フッ、こそばゆいが、お前の言うことは的を射ているよ、ジェシカ。銃器というものがいくら進化しようとも、結局は剣と同じ、扱う者の気迫と修練がものを言う。明日は、せいぜいその機関砲とやらの性能をおがませてもらうとするか」
拳銃の凄まじい威力、シーガイ公国への帰還、アーモロート攻略――酒の一杯でも飲んでからでないと眠れないと感じるメイマーだったが、明日は戦闘が待っている。
メイマーが、部下達の前で、うっかり銀髪の髪をおろし、両手でかきあげてしまったのは、胸いっぱいに湧き上がる何とも言えない不快な雑念を払おうとしてのことだった……。